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カテゴリー「漫画・劇画」の3件の記事

2009年5月31日 (日)

漫画録 朔ユキ蔵「ハクバノ王子サマ」 '090531

ボクに思春期の「がきデカ」と「俺の空」に出逢って以来のHな衝撃(※2.)を与えてくれた「つゆダク」の作家・朔ユキ蔵の「ハクバノ王子サマ」10巻を読んだ。う~ん、なるほど~。

まず「つゆダク」の何がボクにHな衝撃を与えたのか?それは多くのTV好きには堪えられない芸能界の闇(笑)のHな世界に、これまた闇の牙城であるTV局の職員たる主人公が、H(挿入)はしてもいいが発射(忌野清志郎風に!)してはいけないといく過酷な使命を帯びて、Hなタレントたちと明るくヤリまくるその奇想天外な展開に驚き、そして登場する女の子の豊かでかわいらしい姿態表現に興奮したのだった。ボクはBOOKOFFに「つゆダク」の古本が並ぶのを日々眺めながらなかなか集まらない焦燥感に悶えたものだった(※3.)

その朔ユキ蔵の次回作となればもう、Hエッチの連続かと思いきや、なんと恋愛心理劇・・・やられた!前作「つゆダク」なら当然100回はHしてるはずのボリュームになんとHは2回しかしない。これは作者としてはかなりの賭けだったと思うが、作品としてはかなりの成功を収めていると思った。

Hとは行為そのものだけでなく、“したい”と願う瞬間のそのものなのだ。

Hの絡みの塊のような漫画「つゆダク」にはなかった男女の「愛」が、この「ハクバノ王子サマ」には在る。Hは愛と切っても切り離せないものなのだ、だからみんな悩むのだと、なんと全10巻も伸ばしに伸ばして切って成就する。うん、これは朔ユキ蔵の底力だろうと思う。または朔に「つゆダク」と「ハクバノ王子サマ」を書かせた小学館の担当者がすごいのか。

この話の内容は、先に恋愛心理劇と書いた。そう、新任教師と、赴任した学校で年上の独身教師がお互いを意識しながら、激しく惹かれある。しかし新任教師には海外留学中の婚約者がおり、挙式も決まり諦めるしかない。また年上の独身教師にはかつて不倫した相手が同じ学校に居て相変わらずアプローチを駆けてくるし、新任教師の妹も在籍していて、兄と年上の独身教師との中を正義漢のようにひたすら疑う。新任教師の友人たちも、年上の独身教師の同僚や友人たちも結婚についてひたすら刺激する(ボクにはこの漫画に登場する名古屋弁のHな子だくさん野郎とそっくりな友人だがいる)。

たかが一組の男女がいろいろ悩み悶えて打ち解けるまで何と漫画で10巻延べ2000ページにもわたって書き繋げる逞しさ。これは村上春樹の「ノルウェイの森」的な、そしてグレアム・グリーンの「情事の終り」的な、エロチシズム溢れる作品に感じられた。

余談だが、ボクの知人(かつては友人だったが最近疎遠なので)にこんな奴がいる。大学の2年下の同郷の彼女と付き合い(そのため留年までした)、就職のため1年先に故郷の会社に就職し、彼女の帰郷を待った。翌年彼女も無事故郷の会社に就職しめでたく再開となるところで彼は海外転勤、結婚を約束して渡航・・・学生時代の濃密な3年間、そして遠距離恋愛の3年間を過ごし、いよいよ挙式まで半年と云うところで破談・・・男は帰国後日本の職場で同僚となった女性と急速に親しくなり、学生時代以来の彼女との恋は終止符を打った。

ふたりが結婚を決めたのは、濃厚な3年間の学生時代の思いを実らせたかったのだろう。しかし、余りに離れた時間が長すぎたし、就職してから別々の職場の人間関係の中で育まれる思い・・・簡単に云えば新しい異性との出会いの方が遥かに魅力的だったのだろう。結婚を破談された女性の気持ちはいかがばかりかと思ったが、これもヒトの不可解な思いの成せるドラマだろう。男と女なんてそんなもんだろう。

さて、先に「つゆダク」と「ハクバノ王子サマ」を書かせた小学館の担当者がすごいのか、と書いた。ボクは「つゆダク」に出逢って衝撃を受けたのち、作者のそれまでの作品を一通り読んでみた。「夢のような」、「モウソウマニア おんなのこ」、「無軌道メルヘン」、「チマタのオマタ」、「少女、ギターを弾く」。 「無軌道メルヘン」以外は今も所蔵している。初期の「夢の・・」はカット割りなどに無駄が多い、が女性の肢体の描写は独特な美しさがあり、現在にも引き継がれている。また無感情で過激なSEX描写は「つゆダク」登場まで一貫している。エロではあるがそれほどそそる漫画ではない。後の二作品完成度とは比べるべくもないが、それはそもそも作品の目的ではなかったのだからいたしかたない。しかしこれらの作品を読みながら、「つゆダク」に昇華させる可能性を見出した担当者の先見に拍手を送りたい。誰だか知らないが、その担当者なくして「つゆダク」も「ハクバノ王子サマ」もなかっただろう。

最後に、作者・朔ユキ蔵が女性らしいと最近知るに及んで、またまた興味が増した今日この頃である。どんな女性なのか?今後の作品にも妄想が膨らむ。ひたすら・・・

※1.「がきデカ」・作:山上たつひこ・'74年より週刊少年チャンピオン(秋田書店)にて連載

※2.「俺の空」・作:本宮ひろ志・'75年より週刊プレイボーイ(集英社)にて連載

※3.「がきデカ」と「俺の空」の二作品から受けたHな衝撃は別の機会に書きたい

2009年5月26日 (火)

漫画録 藤原カムイ・大塚英志「アンラッキーヤングメン」 '090526

今日漫画「アンラッキーヤングメン」を読んだ。

高校生の頃、上前津の古本屋で黒い装丁の「子連れ狼」全28刊を見つけた時のような、ドキドキするような漫画にはもう二度と出逢えないだろうと、諦めていた気がしてた。でも、そうでもなかった。そう、今日「アンラッキーヤングメン」を読んだのだ。もう何ヵ月も前に中野のまんだらけで購入していたものだったが、今日まで読まなかったのだ。

あの日、ボクは高田馬場の早稲田松竹でケン・ローチもの二本立て(※1.)を観た帰りに、ほぼ半年振りに中野・まんだらけに寄ったのだった。偶然は重なるもので、この日ボクはこの「アンラッキーヤングメン」の他に、山本直樹ものを2冊購入していた(※2.)。映画の後にせっかく近くを自転車で通るんだからちょっとだけ寄ってみようかな、と余り期待しないで行ったのが良かったのかもしれない。

「アンラッキーヤングメン」の作者、藤原カムイ氏と大塚英志氏の本を、ボクは今回初めて読むことになった。このふたりは、山本直樹氏と同じくボクとほぼ同世代。'60年代初頭に幼少期を過ごした世代は、ちょうど小学生で'70年安保を体験した。そして自分が大学に入った頃の、無残なほどの革命勢力の衰退ぶりに愕然とした、

山本氏の「レッド」は'06年からの連載(イブニング)、「アンラッキーヤングメン」は'04年から「野生時代」で連載されたと云う。共に'70年安保時の学生運動をベースにした物語だ。昨年、若松孝二監督が「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」が、'06年には塙幸成監督の「初恋」が公開された。これは偶然だろうか?

これまでも'70年安保の学生運動を物語った作品は、藤原伊織氏の「テロリストのパラソル」や桐山襲の「風のクロニクル」、立松和平の「光の雨」など、小説を中心に数々著されていたが、漫画での表現としてボクが接したのは、尾瀬アキラ氏の「ぼくの村の話」以来だ。

オレたち ついてない

この本はかなり計算されている。携帯電話もコンビニもTVゲームもなかった時代の乾いた空気が読み上がってくるのは、計算されたフィクションの展開と石川啄木の詩だ。働いても働いても我が暮らし楽にならず、と自嘲した彼は、今思うと'60年から'70年の高度成長期のまじめな革命ごっこの空に、本当に似合っている。このアイデアは作者の大塚栄志氏の策略だろうか?角川書店と作者は、この本がどれくらい売れると考えたのか?少なくともあの同時代に起きた不思議な女子大生ブームに面食らった“乗り遅れた学生運動志願者たち”は買わせられるだろうと踏んだに違いない。そう、古本屋での購入だが、確かもボクはハマった。この本を古本屋に売ることはないだろう。

そしてボクは何にそんなにそそられたのか?

それはあのまだ大学生が特権階級だった時代の空気と、革命がまだ漢字で書かれる資格があった時代の残像だ。三億円事件に永山則夫、三島由紀夫に中上健二が絡み、そして連合赤軍事件に雪崩込んで行く展開は、正直“よくぞ!”と唸らせてくれた。だがその展開以上に気持ちよかったのは、三人の「ヨーコ」のプロフィール。やはり革命にはかわいい娘が居て欲しい。ラスト、展開上どうしようもなかっただろうが、あのヨーコは房子になって欲しかった、と。

最後に、このタイトルである。あの時代のこの登場人物皆が、アンラッキーなのか?時代に名を残したが、皆どこかで躓いている。このタイトルこそが、遅れて生まれたものたちの彼らへの、あの時代への嫉妬だろう。

かつて革命を信じたヒトビトよ、この国のしらけた空気を笑おうよ。そして自らの人生を泣こうよ。もう漫画だけがぼくらの手に残っていると。

少々センチメンタルになった夜の記憶。まさに革命も解放のない国で・・・

※1.「Sweet Sixteen」と「この自由な世界で」

※2.「レッド」と「明日また電話するよ」

お題:「アンラッキーヤングメン」、角川書店刊、

作画:大塚英志、脚本:藤原カムイ

2008年8月15日 (金)

漫画録 小池一雄・小島剛夕「子連れ狼」 ‘080815

敗戦の日に漫画「子連れ狼」を読む。失業の身で、仕事のある妻を東京に残し、ひとり実家に帰り、猛暑の中、田の風に吹かれ、蝉の終の鳴き声を聞きつつ。

「子連れ狼」との出会いは、高校生の頃、授業をサボって名古屋は上前津の古本屋街をふらふらしていた頃だ。黒地のカバーに浪人姿がひとり。そして背に童子の丸い顔。あぁ、これがドラマで有名な子連れ狼の原作本か、と手に取ったのが始まりだった。双葉社・ACTION COMICSのシリーズだ。背表紙には巻数が記されておらず、後ろ表紙にのみ書かれているのが特徴だった。何巻目から購入したか覚えていなかったが、読み始めてすぐにその内容に、作画にぐいぐいと引き込まれるように夢中になった。

高校は生活態度にも勉強にもけっこう厳しいところで、授業をなかなか抜けられず、また土日夕方は部活で動けず、少しづつ授業を抜け出し抜け出しの古本屋通いを続けた。名古屋の古本屋は鶴舞から上前津にかけての通り沿いに数軒ポツンぽつんと飛び石のように続き、神田神保町のような厳密な専門分化がされていないから、集めている専門書の他にだいたいどこも人文書から漫画、雑誌などを扱っていた。それをしらみつぶしに観て廻るのが好きだった。

付近には名古屋工業大学や名古屋大学医学部などがあり、学術・研究書などが並び、当時はよくわからない専門書に惹かれながらも、やはり手は雑誌や漫画に落ち着き、一冊、二冊と「子連れ狼」を集めていったのだ。

社会科全般が得意だったボクにとっても、日本史は倫理社会の次に好かない科目で、特に江戸時代=鎖国→退屈な時代、という認識があった(※1)のだが、「子連れ狼」を読んでその考えは一変した。まさに目からうろこ、の感であった。

あくまでも漫画でありフィクションであることは紛れもないが、「子連れ狼」には物語が充満している。江戸幕府が諸国各藩を統治する各種政治機構の中での、公儀職である探索、介錯、刺客の三制度のあらましと、それも実行する各一族を巡る争いと復讐の物語である。ただ復讐と云っても、すでに主人公拝一族は親子ふたり以外は柳生による暗殺とその後のお家断絶で皆殺しになっており、お家の再興を願っての仇討ちではなく、また仇の柳生烈堂個人というよりも結果的に柳生一族への果し合いの形になっていた。

そうするに刺客人であった柳生一族が、この三制度の支配を目論み、介錯人の拝一族を策略で抹殺したことに始まる、拝一刀及び大五郎親子の復讐の旅劇画(ロードグラフィック)である。そして、諸国を一殺五百両で廻る刺客旅で数々のエピソード・・・諸藩のお家事情や農民の窮状、街道筋の関所制度や参勤交代や当事の庶民や渡世人の旅の事情、宿場町の風情、「草」と称される里入忍者の代々の暮らし、幕府による各藩への捜査体制や取り潰しなど、余りにリアルに江戸時代が見えて来て、江戸時代への興味が尽きないのだ。

しかし、この面白さはいったいなんだろう?これはひとえに原作者である小池一雄(夫)氏の江戸時代の各種制度への造詣の深さと物語を紡ぐ才能であり、作家・故小島剛夕氏の作画の絶妙さの結実であろう。小池氏の江戸時代ものは、この「子連れ狼」の成功から後に幾人かの作家とコンビを組み、多くの作品に結実して行くが、その中核を成すのは小島氏とのコンビであり、「首斬り朝」「畳捕り傘次郎」「春が来た」「道中師」などがそれになる。このコンビが送り出す時代物劇画はその卓越したストーリー性と作画で、読者を江戸時代へ誘う。

「子連れ狼」は’76年に連載が終わっているが、生き残った大五郎を主人公に今世紀に入り「墨攻」で著名な漫画家・森秀樹氏が作画として「新子連れ狼(そして-子連れ狼 刺客の子)」が始まっている。こちらは、小池氏の永かったゴルフ関連三昧期を経ての「子連れ狼」復帰である。若干まじめ過ぎて面白みに欠ける感ありで、かつ連載誌の移動が多い不遇が続いているが、一ファンとして今後の盛り上がりを切に期待している。

「子連れ狼」、けだし名作なり!

1.後に、江戸時代を卑下する明治以降の教育の影響にあった自分を発見するのだが。