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カテゴリー「書籍」の24件の記事

2009年11月 8日 (日)

読書録 今尾恵介「日本鉄道旅行地図帳」 '091108

趣味とは、興味のあるヒトはその「対象」にひたすら無防備になってしまうものであり、関心の無いヒトにとってその行動や願望は、まったく理解不明なものであろうもの。
そう、ボクの趣味は映画観賞や読書などがあるが、特に一番の趣味と云えば「地図」と「鉄道」と「旅行」だ。ただそれぞれひとつでもあればうれしいはうれしいのだが、それで完結するものではない。この三つは一体化して不分離なもののとして「究極」となるのだ。

旅行をしても、そこに地図を持っていつでも広げられなければ楽しくないし、しかもその旅に鉄道が絡んでいないと喜びは中途半端なものになる。もちろん山間部や離島など鉄道のかけらもない場所は行かないのか?と云われればそうでもなく、西表島から礼文島まで、これまで日本の旅を満喫してきたし、そこではやはりしっかり満足して来たし、また行きたいと考えている。でももしそこに鉄道があれば、なお楽しかろうと思うのが旅好きの鉄道ファンなる所以なのだ。だから、欧州の旅行でも、出来るだけ都市間は鉄道で移動して来た。もっと云えば、その路線がローカル線ならなおうれしいし、訪ねた街にトラム(路面電車)や軽鉄道が走っていたりしたら、もう悶絶してしまうほどの喜びなのだ。

さて、そんな旅好きの鉄道ファンに究極な書物と云えば、紀行では堀淳一氏や、「ヨーロッパ市電の王国を行く」などの著者・宮田親平氏らで、堀氏は「ヨーロッパ軽鉄道の詩」などの著書があり、「地図の楽しみ」という著作で日本エッセイストクラブ賞を受賞されている元北大の先生である。また宮田氏は、「毒ガス開発の父ハーバー 愛国心を裏切られた科学者」で科学ジャーナリスト賞を受賞されている週刊文春の元編集長である。

堀氏は北大理学部物理学科、宮田氏は東大医学部薬学科のご出身であり、このおふたりの理系の作家の著書に親しんだ鉄道マニアは当然、地図を片手に鉄道旅をすることでアドレナリンが大量に分泌されることになり、それはまさにボクの嗜好そのものになってしまったのだった。

そんな「鉄旅地図好き(マニア)」にとって究極のサポーターになる地図帳が、今尾恵介氏監修となる「日本鉄道旅行地図帳」シリーズなのだ。このシリーズが「北海道編」から刊行が始まった時にボクを襲ったショックはすさまじいものだった。まさに脳天を突き刺す稲妻と云うべきか。これほどに書物に思いいれたことはないと云い切れる。小学校以来学生時代はずっと進んで図書委員長となり、齢四十代後半となった今でも図書館通いが日常になっているボクにも、この本の出現には驚き、感謝した。

このシリーズの何がボクを痺れさせるのか?それはいくつも挙げられるが、特に指摘するとすれば、廃線鉄道地図の克明さであり、この地図帳の表紙に書かれたコピー「日本初 ありそうでなかった正縮尺の鉄道地図」であるいことなのだ。

JTBや交通新聞社ほかが毎月発行している「時刻表」は、鉄道ファンにとっては欠かせぬ必需品である。がしかしいくつか物足りないものとしてある最大のポイントが、鉄道地図の書かれ方なのである。路線によって駅数が極端に違いがあり、限られたスペースでの記述は時刻表では無理であることを重々承知しているのだが、どうしてもあの地図は好きになれない。時刻表は列車の時刻を探すのが目的であるからあれで充分目的を果たしているのだが、「鉄旅地図マニア」にとっては別に正確な地図帳を手にしないと旅のプランを立てる楽しみが半減してしまうのだ。

またかつて日本中に存在した様々な鉄道の廃線を鉄道地図に併記された点が、何とも堪らないのである。日本各地の繁栄のために町や山里をつなぎ、ヒトや産物を運び、モータリゼーションによって淘汰されていった多くの私鉄たちが正確な地図の上に投影され、路線一つひとつが年表化されて記述されている。これはこの本がまさに「労作」と云える所以である。
幼少の頃、自宅にあった百科事典の別冊に「日本分県地図帳」があったが、ボクはその随分昔の地図に今は亡き鉄道路線の線を飽きずに眺め、あぁこの路線が走っていた頃に乗ってみたかったと思ったものだった。大分県の日豊本線沿いの駅から何本も伸びていた大分交通の各路線や北海道の開拓を担った拓殖鉄道や簡易軌道、軽井沢から草津まで迷路のように蛇行しながら等高線を上下した草軽電鉄、前橋など群馬の各都市を結んでいた東武鉄道の軽軌道たち、そして各地の都市交通を担った路面電車たち・・・この「日本鉄道旅行地図帳」シリーズは、ボクの知識欲を満たす、ほぼ満点の出版物だったのだ。

「無人島に持ってい行く本は?」という問いが昔からあるが、ボクは間違いなくこの「日本鉄道旅行地図帳」を持って行くだろう。

願わくば、「世界鉄道旅行地図帳」も作ってもらいたいものだと、今尾氏と新潮社の編集スタッフの方々にお願いしたいところだ。
「朝鮮・台湾」編、「樺太・満州編」が近日発売となるとのこと。これも無茶苦茶楽しみである。

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2009年9月27日 (日)

読書碌 出河雅彦「ルポ 医療事故」 '090927

歳をとって病院に行くことが多くなった。最近は痛風の経過をみるためにひと月ごとに整形外科に通っている。痛風は循環器系の病気のはずなのになぜか整形外科、リュウマチもそうらしい。痛む場所が骨に近い場所だからだろうか?担当の女性医師はボクよりかなり若いが無口なようで、ちょっとボクはバカにされてもいるようだ。「痛風なんて自己管理が足りないわねー」って感じなのだろうか?ボクより太ってて大酒のみでも全然尿酸値が上がらないヒトもたくさんいるのになぁと悔しい限りだ。とほほ・・・

また高齢化社会が進んで、病院にかかるヒトも増えたのだろうか、ここ十数年医療費の抑制などがしきりに政治問題化しているとメディアは報じている。うまいこと負担を減らしたい政府や自民党は高齢者医療制度などと呼ぶくくりをでっちあげたようだが、どうなのだろうか?確かに75歳以上の高齢者に費やされる医療費が全体の半分以上になっている現状は社会の負担増であることは云うまでもない。でも、先進国の国家予算に占める医療費の割合で日本はかなり低いという情報もあるから、税金の使われ方に問題があるんじゃないだろうか?戦後の急激な高齢化によって医療費の割合が高まって注目されているのかもしれないけど、これはずいぶん前から予測できたこと。道路や橋、無駄な建物を造ることやオリンピックやったり紐付き援助でゼネコンを儲けさせたり、官僚に天下りさせて退職金を大盤振る舞いさせていたことが続かなくなってから、医療費を問題にしているのだろう。しかし、これまで高齢者を騙して投票してもらって来たくせに、自民党もひどい扱いだ。まぁそれに乗せられる国民も国民だが・・・

医療は医療制度のことだけでなく、様々な病気のことも新聞や雑誌、TVやラジオの放送でも取り上げられるようになってきている。10年以上前に比べればその量は倍どころではないだろう。病気の治療法や発見方法など、予防法やサプリメントを含めれば、朝刊や夕刊に載らない日はないくらいだ。それだけ読者が高齢化したということだろうし、病気や健康情報に飢えているということなのだろう。

さて、医療の話をここまで注目させたのは、頻発する医療事故の報道の影響が大きいのではないだろうか?ボクは様々な医療事故関連の書物の中で、朝日新書の「ルポ 医療事故」を手に取ってみた。

最初この本を読む前は、新聞記者が普段決められた文字数の中で書ききれなかった取材上の細かな疑問や怒りを書き殴ったものだろうかと少々気が引けていたのだが、読み進むうちにそんな浅い気持ちで書かれている本ではないことがわかってきた。確かに様々な医療事故に接して取材してきた中での思いがぎっしり詰まったものだったが、それ以上に「医療事故の本質」に迫るまさにルポルタージュな、地道で緻密な調査報道の賜物なのだということがよくわかった。

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2009年9月 1日 (火)

読書録 斎藤直人「私が愛した十二人の美女たち 偏愛的女優論序説」 '090901

痛風も完全に癒えぬうちに夏風邪を引いてしまったらしく、どうも調子が出ない。発端は木曜日、朝起きると口内の上部、ちょうど鼻の下の柔らかい部分が痛い。呑みこむ毎に鈍痛が走る。そして少しだが頭痛も。すかさず葛根湯を呑む。近年風邪に引き始めに葛根湯に頼ることが多い。そして翌金曜の朝も相変わらずの鈍痛でなんとなく元気が出ない。鼻も詰まって来て黄色い鼻水が出始めた。そしてまた葛根湯を呑んでまた眠る。そして土曜日の朝、かなり快適で「おっ、治ったかな?」と油断したのがまずかった。芝刈り鋏を手にエントランスの芝を刈っていたらついつい調子に乗って小一時間も跪いていたら、蚊に刺されるは、筋肉痛になるは、いやはや軽率だった。そして昼寝をしたらまた喉が痛みを始め、鼻からは水気の多い鼻水が出始めた。

こんな日は読書に限る。ボクはソファに寝転び扇風機を浴びながら、「私が愛した十二人の美女たち 偏愛的女優論序説」に手に取った。この本は読み始めてかれこれ3ヵ月くらいになる。ひとつの話が2-4頁でコンパクト。少しづつ読んでいたらこんなに時間がかかってしまった。しかし、この本は文句なく面白かった。“肩肘張らない”と云う言葉がぴったりはまる映画論であった。専門家による難しい映画論がはびこる中、こんな映画本があっていいのではないか。

しかし、「私が愛した十二人の美女たち」を“文句なく面白かった”のはボクの場合であり、映画ファンの大多数は「?」と思うかもしれない。その違いはどこにあるのか?それはそのヒトの生まれ育った環境だと思う。

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2009年7月12日 (日)

読書録 東嶋和子「緩和医療の現場から がんとともに生きる」 '090712

癌とは不思議な病気だ。体の様々な場所に癌が出来る。ヒトは自分や身近なヒトがその病気にならないとなかなか真剣には病気のことを考えないものだと思うが、こと癌に関して云えば、そろそろそんなことは云えなくなってきたようだ。日本人の死亡原因では三人に一人が癌で亡くなるらしい。そしてふたりに一人は癌に罹るそうだ。ヒトの一生と癌との結び付きはもう必然的で、ヒトは生まれ育つことと同じように癌になる・・・そんな風に考えてもいい時代になっているように思えてしまうのだ。

繰り返すが、本当に癌とは不思議な病気だ。インフルエンザや結核、HIVなどの性感染症のようにウイルスで感染する訳ではないし(※1.)、交通事故や火傷、殺人などの外部要因でもなく、全く自分の体の中の細胞の変化によって、自らの生命が脅かされる病気なのだ。

確かに予防が出来ないこともないらしい。皮膚癌は紫外線を浴びる量を減らすことで危険性を回避できるそうだし(※2.)、肺癌の患者は喫煙者に多いという。肝臓癌はやはり飲酒好きが多く罹る傾向にあるとのことだ。しかし、煙草を吸わないヒトだって肺癌になるし、皮膚癌になるヒトが他人より多く紫外線を浴びたかどうかは、統計的にははっきりしない。

はっきり云えることは、癌とは自分の細胞=自分を生かしている細胞がある日突然自分を殺す細胞に変わってしまう現象に起因する病なのだと云うことなのだ。これはいったいどういうことなのだろうか?

ボクが癌について興味を持ったのは、毎日新聞に連載されている東大の放射線科の医師・中川恵一氏の「Dr.中川のがんから死生をみつめる」を愛読しているからだ。これは毎日新聞で永年連載されてきた同氏の「がんを知る」シリーズで、単行本はベストセラーなのだと云う。過去の経営陣が失敗を繰り返してきた毎日新聞では、貴重な成果なのではないだろうか?余談だが、毎日新聞は新聞協会賞を他の新聞社より数多く受賞していることを売りのしていて、確かに調査報道では抜きん出た実力と思うが、こと科学や医療の分野の報道でももっと評価されるべきだと思っている。

さて、中川氏は連載の中でボクにこう教えてくれた。癌とは人間の中で日々繰り返されている細胞分裂の際の遺伝子のコピーミスから生じるものなのだ、と。ボクはそれを知らされて「え、そうなの?」と改めてびっくりしてしまった。そして氏はこうも云われた。自分以外の細菌やウイルスの侵入なら免疫機能が働き防御されることもあるが、自分の細胞の変化なので、癌細胞の増殖は抑えられない・・・そして「どうして癌の患者が増えたのか?」との質問に「長生きするヒトが増えたから」・・・なんと!そうなのだ、衣食住や薬や医療技術が進んでいなかった昔と比べて、格段に生活が豊かになって長生きするヒトが増えたことが、結果的に癌の発症の機会を増やしてきたのだ。細胞分裂のない心臓が癌にならないという事実も、なんだかびっくりさせられたが、確かに「心臓癌」というのは聞いたことがなかった。

癌は人間の生命と切っても切れない結びつきがあるのだなぁ

さて、東嶋和子氏の「緩和医療の現場から がんとともに生きる」である。癌に興味を抱いたボクは、中川氏の科学的なお話と併せて、では癌治療を扱った書籍も読み始めたいと考えた。癌を克服する、となれば、癌治療医薬の話しや癌細胞を取り除く外科手術、癌細胞を狙い撃ちする放射線治療などにも興味があるが、癌=ヒトとの必然性、と云う考えから、癌治療現場での患者と医療者の関係性について述べた本を探してみたのだ。そして巡り合えたのがこの本だった。

この本は'97年の発行ですでに相当古い本なのだが、まだ「がん対策基本法」の施行前の時代の話しで、その時代に患者と寄り添う医療者の行動を克明に追った物語りだった。

この本を読むと、今では癌治療の世界ですでに有名になっている方々や施設が続々登場しているのがわかる。大阪の淀川キリスト教病院や東札幌病院など先進的な癌治療=患者と寄り添う医療を実践してきた施設や恒藤、高宮と云った今や著名な医師の若かりし頃や看護師、薬剤師、ソーシャルワーカー、ボランティアなどなど、癌患者を取り巻く多くの関係者の活躍を登場させて、癌治療が医師だけで成り立つものではないこと、そして癌は根治させるだけではなく、癌患者の痛みや薬剤による副作用からの克服、日常生活への支援、精神的な支え、そして結果的に治せないことによるターミナルケアの充実・・・様々な場面が重なりあう医療なのだという事実がとても詳しく述べられていた。

ボクは今たぶん癌ではない。しかしいつ癌になるかわからない。いつ癌になっても不思議じゃない。だって癌は自分の細胞分裂のコピーミス=いつでも起こりえること、なのだから。

今、癌に冒されている方には申し訳ないが、癌になることで少しだけ救いではないかと思えることがある(とっても勝手ないい方だが)。癌になることとは「自分が死に向かっている現実を知ることが出来る稀な病気ではないか」、と云うことだ。ヒトは思わぬ事で死んでしまう。事故にあったり、殺されたり、自殺したり。そのほとんどが突然の予期せぬ死であるが、癌は自分の死の可能性を事前に知ることが出来る病気ではないだろうか?

かつて「死ぬまでにしたい10のこと」という映画があった。この映画は癌闘病を描いた映画ではないが、ある癌に冒された若い女性が、夫や子への思いや自分のわずかに残された人生について、自分なりに納得するために日々を送る物語りになっていて、ボクはその淡々とした描写がとても気に入ったものでした。癌の闘病生活はこの映画で描かれたようにそんなに自由には行かないでしょう。もっとつらく大変な日々なのでしょうが、主人公は自分がやり残したことをし、残すべき思いに対して前向きに行動します。

ボクはこの映画を観て、「あぁ癌というのは、自分が死ぬことを準備できる病なのだなぁ」と思えました。死ぬよりは生きて行くことの方がいいですが、生まれてきたものはいつか死ぬのだと思えば、死ぬかもしれないと先に分かること、そしてその原因がよそになくて自分なのだと思えれば、果敢に治療に臨んだり、自分らしい死に方を選んだり、そうして死ぬまでを生きることに普段とは違う一生懸命な自分になれるような気がします。

そして最後に、もし癌になったら、この「緩和医療の現場から がんとともに生きる」のように、癌患者と一緒になって歩いてくれる素敵な医療者に巡り合いたいものだと、心から思ったものでした。

※1.例外あり:感染が結果的に癌細胞を発症させてしまうものとしては、ヘリコバクターピロリと胃癌、パピローマウイルスと子宮頚癌などがある。

※2.そんな情報が増えたことで、今や町中には日傘の情勢が溢れている。予防するのは自由だが、傘を低くさして狭い道を闊歩するのは止めてもらいたい。ヒト通りの多い場所では傘を高く上げるか、傘を畳むべきだ。自分が癌になりたくないからといって、他人を怪我させたり、迷惑かけるのはマナー違反だ。

書名:緩和医療の現場から がんとともに生きる

著者:東嶋和子

発行元:日本実業出版社

初版発行日:1997年07月20日

2009年6月29日 (月)

読書録 宮田親平「ハーバー 愛国心を裏切られた科学者」 '090629

現代を生きるボクらの周りには、様々な機器や道具がボクらの生活を支えてくれている。その一つひとつには、多くの先人の発明や発見、そして工夫が集積されている。100年前のボクの実家にはたぶん電気は来ていなかっただろうし、ボクの生まれた40数年前にはまだカラーTVはなかった。そう、ボクの中学時代にはコンビニもなかったし、高校時代にはパソコン、大学時代には携帯電話もなかった。名も知らない科学者や研究者がコツコツと研究を積み重ね、たくさんの失敗を繰り返しながら貴重な発見をして、今日の便利な道具や機器となって使われているのだろう。そう、今このPCだって書いているブログだって、ほんの十年前にはなかったものだ。

科学史という世界がある。しかし科学はその全てが人類の幸せに貢献した訳ではない。かのアルフレッド・ノーベルが開発(※1)し事業化したダイナマイトは、氷河が削った岩盤むき出しの大地が広がるスウェーデンで鉄道や道路建設に貢献したが、戦争では破壊と殺戮を目的に大いに使用された。ジェット機も初めに飛んだのはナチスドイツの戦闘機としてのロンドン空爆だ。科学とはかくも哀しい運命も共にしているのだ。

フリッツ・ハーバーという科学者をボクはこの本を読むまで知らなかった。この朝日選書に収められた「毒ガス開発の父 ハーバー 愛国心を裏切られた科学者」がなかったら、ボクはずっとハーバー(1868-1934)を知らずにいただろう。

まずボクの興味は、科学が飛躍的に発展した19世紀から20世紀にかけての欧州の時代背景だ。ベルリンの壁崩壊をその象徴として政治陣営の東西の区別が無くなって早20年近くが経つが、欧州ではこれまでの100年、劇的な変化があり、科学者はそんな激動の時代に様々な発明をしただ。そう云う意味では20世紀は“科学の世紀”と呼べるのかもしれない。

そしてさらに興味深いのは、民族意識と国家への帰属意識だ。(ボクが見るに)外見があれほど似ているにもかかわらず、小さな民族がそれぞれに独立国家を形成している欧州、そしてフランスやスペインのように中央集権をことさらに強調するあまり国内の地域主義を抑圧する。他者との違いを強調する力を反面国内には同化を求める。フランスのブルターニュやコルシカ、海外県の扱いや、スペインのバスクやガリシア、そしてカタロニアの扱いなどもなんだか滑稽だが、されどそれが国家なのだ。国家とは何とも曖昧でかつ魅力的な幻影のようなものなのだ。そして特に興味を引くのはユダヤ人(民族)だ。

北米移住やイスラエル建国まで、欧州に広く散住していたユダヤ人が、どう生きていたのか?それは一様ではないはずで、この本の主人公であるハーバーの人生も波乱だ。著者の宮田氏はこの書名の副題に「愛国心を裏切られた科学者」と記した。およそ科学と愛国心ほど、微妙なものはない。科学には本来国境はない。しかしその科学者には皆それぞれに故郷があり帰属意識もあるだろう。しかし、ユダヤ人であったハーバーはどうだったのか?宮田氏はその意識をハーバーの言葉で示す。

平和時には人類のために、戦争時には国家のために

このなんと矛盾に満ちて、かつ肯定せざるを得ない言葉の響きはなんだろう。

ユダヤ人であったハーバーが、ドイツ人たらんとして第一次大戦に馳せ参じる覚悟をし、“戦争を早期に終わらせるため”に毒ガスの開発と生産に心血を注ぎ、挙句軍服まで着こんで東西の前線で指揮を執ったのはなぜか?異教徒として蔑すまれ、職業や住居を限定され、卑しいものとして迫害されてきたユダヤ人の末裔がなぜ帝政ドイツを応援したのか?

ボクはこう思う。彼の育った幼少の頃(19世紀後半)の旧ドイツ地域は、まさに諸国割拠状態を脱してプロシアを中心としたドイツ民族運動の真っ最中だったのだ。有史以来初めてドイツ語を母語とする統一ドイツ国家が初めて生まれようとしていた訳だ(※2)。彼はこの時代に領土を持たないユダヤ人であるより、この誕生間もない「ドイツ」と云う国の国民となろうしたのではないか。そしてよりドイツ人になるためには、ドイツ人として戦争に勝つために己の科学力を捧げようとしたのではないか。

この本の詳細をここで記述しても何もならない。ただハーバーと云うヒトが、こうして物語りとなりえるのは、数々のエピソードと卓越した科学者魂である。母を知らない誕生、父との確執、ドイツ帝国の誕生、科学者としての格闘、そして「ハーバー・ボッシュのアンモニア合成法」の発明と毒ガスの開発と決行、その抗議としての妻クララの自栽・・・彼の半生の前半から中盤に至るその凄まじいドラマの連続。まさに欧州の歴史そのものではないか。

そしてまだドラマは続くが、その冴えたるものは、彼が開発した毒ガスが、彼を追放することになるナチスドイツにより、彼の出自であるユダヤ人を大量殺戮することになる皮肉。

多くのユダヤ系科学者がドイツを去ることになるナチスドイツによるユダヤ人排斥に、ヒトラーは「これからの百年、ドイツは物理も化学もなしにやって行こうではないか」と答えたというこの破綻した思想は何なのだ。ボクはこの言葉の狂気は「大東亜共栄圏」を唱えながら広くアジア太平洋地域を戦争に巻き込み、自国民を戦時体制下に置いた帝国主義日本の本質となんら変わりはないではないかと。

宮田氏はこの本で、ハーバーと日本の関係もじっくり掘り起こしている。興味深かったのは、星製薬創始者・星一との関係である。ボクが知っていたのは、彼が星薬科大学を創ったことと子息にSF作家の星新一氏がいることくらいで、今はなき星製薬とはどんな会社だったのかも、この本で知らされる。

ハーバー・ボッシュ法の発明により食糧増産に寄与し、かつカイザー・ヴィルヘルム物理化学研究所(現マックス・ブランク研究所)の所長として多くの科学者を育て、科学者として人類への貢献を高く評価され、かつノーベル化学賞にも選ばれたハーバーは、一方で毒ガスの開発者として戦争史にも刻まれている。ユダヤ人改宗プロテスタントとして、妻をも自殺に追い込んでさえ誰よりもドイツ人たらんとしたにも拘らず、そのドイツから追放されたハーバー。この人生の皮肉は何か?

ただ幽かな救いとすれば、多くの科学者を愛し、数多くの科学者に愛され、ナチスドイツの毒ガス室の悲劇を知らないうちに亡くなったこと、そして死後妻クララと共に同じ墓に眠っていることだろう。あの世と云うものがあるとすれば「ほら見なさい」と妻に叱責されているであろうハーバーが見えるようだ。狂気の科学者として語られるかもしれないが、まさしく愛すべきドイツ人であり、科学者の鏡でもあったと云えるのではないだろうか?

多くの科学者をボクは知らない。きっとハーバーの他にも数々の科学者がまだいるだろう。この「毒ガス開発の父 ハーバー 愛国心を裏切られた科学者」を知ったことでボクはハーバーという特異な科学者の足跡に触れる恩恵を得た。科学史とは人類史なのだと改めて感じたひとときであった。

※1.ダイナマイトはノーベルが発見したのではなく、ソブレロが発明したニトログリセリンを工夫を重ねて実用化したそうだ

※2.フランク王国や神聖ローマ帝国をドイツ人統一国家と見る人もいるだろうが・・・

書名:毒ガス開発の父 ハーバー 愛国心を裏切られた科学者

著者:宮田親平

出版社:朝日新聞出版・朝日選書834

初版発行:2007年11月25日

余談:著者の宮田氏の本に最初に触れたのは、科学書ではなく路面電車の紀行である。氏は路面電車と地図(とプロ野球のパr・リーグ)の大ファンとして知られており、ボクも氏の「ヨーロッパ市電王国を行く(光人社)」、「トラムのある街(同)」を旅のバイブルとして愛読している。

2009年6月 7日 (日)

読書録 副島隆彦「恐慌前夜 アメリカと心中する日本経済」 '090607

珍しく経済書を読んだ。「恐慌前夜 -アメリカと心中する日本経済-」、副島隆彦さんというヒトの本だ。

経済書と云うのは書店に行くと随分並んでいるが、今までほとんど近づかなかった。ボクのように勉強が嫌いで偏差値から忘れられたような地味な大学(でも楽しかった)を出て、中小企業を渡り歩き、英語も覚えずITも苦手な化石的オヤジには、世界経済の動向など縁のない世界だと思っていた。

しかし、世界経済に興味がないか、と云えばそうでもない。そうでもないが難しそうだったので手にとっらなかった。しかも日本経済の趨勢すらわからないし、行列好きでふらふらしてるだけの国民の上に殿様よろしく世襲が当たり前のように振舞う保守系議員が跋扈する国政を観るに及んで、世界経済なんて知っても仕様がないではないか、と諦めてもいた。

そんなボクも、ここ数年の世界経済の堕落、日本経済と政治の愚かさ、そして弱肉強食の度合い(格差拡大)が日増しに高まり、隣の席の人間を貶めるような競争を奨励する殺伐とした社会に疑問が募っていたし、自分がしばらく外資系企業に居てアングロ・サクソン的な理不尽さが心底嫌気が差して辞めたこと、しかし日本人として真っ当にやって行こうと日本企業に入ってみたら、そりゃぁもう鬱病の部長が役員と結託してパワハラしてたり、中堅社員が部内を恐怖政治で(鬱病部長を支配して)仕切ってたりで、もう大変な世界だったりで、日本企業のいい加減さにもうんざり。こんな厭味なところには居たらこっちも鬱病になりそうだったんで辞めたら、この大不況・・・そんじゃイッチョウ経済書でも読みますか、と手にしたのがこの本だった。

ボクはついぞ知らなかったのだが、この副島隆彦さんという方、多数の本を書かれていてこの世界では相当有名らしい。まぁ所謂博士系経済学者ではなく、自らの経験と知識で大胆に論じている訳で、本書を読んでいると目の前で顔を真っ赤にして熱心にオルグする副島氏の唾がかかって来るような錯覚に陥りながら読んでいた。まさに熱血な方である。ボクより10年ほど上の世代で、早大時代には政治運動にも関わっていたとのことだが、早大の主流セクトでなかったとすれば、革マル派には頭の痛い存在だったのだろう(革マル派だったりして)。

経済書としてはかなり異端な本を手に取ったわけだが、実際の生活感覚としてはこの本は真っ当に現実的だ。副島氏の論法は現実の社会経済を俎上に挙げ、一つひとつを鋭利に切り取って行く。そして他者に憚ることなく断罪し、断定し、予言する。これはかなり心地良い。これほどはっきり云い切るヒトが日本にもいたのだと感心したものだ。しかし、ある意味過激で新聞やTV局は論評を求めないだろう。「国民の目線で」的な立場に居そうで実は高給を食んで優雅な世界に暮らす主要メディアには、彼のようなはっきり云う“タレント”は使えないだろう。「朝まで生テレビ」にでも出ていただき、もうろくして他人の意見を全く聞かない電波芸者(あぁ旧きコトバ)田原総一郎をやっつけて引退させてもらいたものだ。

副島氏はこの本の中で、US中心経済の破綻、特にサブプライムなどレバレッジによる詐欺的な金融工学が幅を利かせた経済の暴走がこの現実を招いたと断じ、当然の帰結だと論じている。またその中心となったUSの投資銀行の金融工学の危うさに気付いたにも拘わらず、USの銀行やFRB、目先の利益に目が眩み阻止するどころか逆に乗っかってしまい、また欧米や日本の銀行や投資団体がそれに乗り遅れまいと巨額な資金を注ぎ込んでしまったのだとはっきりと述べている。まさにレミングの集団自殺だ。

この本が出版されたのは'08年の9月15日。それはこの本の出版日がリーマン・ブラザースの連邦破産法第11条申請日と重なるということ。結果的に副島氏の指摘に世界の潮流が追いつく形となった訳だ。要するに日本の主要マスコミは、世界経済をほぼ正確に予測できる日本人を論客として使えてないということなのだ。

「恐慌前夜」を読んで関心した箇所はいくつもあるが、特に面白いなと思ったのは以下の点だ。

1.銀行預金を引き出し、金地金と不動産に投資せよ

こう副島氏は読者にひたすら呼びかけている。銀行預金は間もなく統制になり自由に出し入れできなくなる(出金についてはすでに始まっている)。金地金と不動産、これが一番の資産であると説く部分には、博士系経済学者にはない庶民的な皮膚感覚の経済論を感じた。実際の金融業界や世界政治に何の希望もないのだからと、今ある現物を握るべきだとバッサリ切り捨てる彼だからこそ云えるのだろう。ボクも心情左翼学生のひとりだったからこそ、心中「異議なしっ」と同調してしまった部分だ。

2.USは世界恐慌に備えている

USのバーナンキFRB議長の専門が「恐慌論」であることをこの本で知った。彼は「日本の昭和恐慌と高橋是清の経済政策」が研究主題である、と云う意味は、US経済当局はすでにサブプライム問題の波及が世界的な恐慌をもたらすと予想し準備していたことになる。これも日々の情勢に右往左往する新聞記事やTVニュースでは決して知らされない事実だ。今のUS支配の政治経済の状況下では何も変わらない。いや余計に引きづられるだけだ。日本がそこから抜け出すには、US支配=USは復活するし頼りがいがある、という妄想から解かれなければならない。寄らば大樹では全てを悪化させるという予言だ。

3.次の投資先企業はゼネコンと水関連だ

バブル崩壊後あれほどの苦境を生き抜いてきたゼネコンはきっと逞しくなっているだろうとボクも感じていた。相変わらず談合が頻発する不透明な世界だというし、西松のように権力や検察に翻弄される状態では、まだまだ業績は上向いたりはしないだろうが、それに耐えるゼネコンは今きっと牙を磨き=技術力を高めいているだろうと勝手に期待している。そして水である。不況で一時の勢いはないだろうが、オイルマネーに飽かしてドバイやサウジアラビアなどは相変わらずのバブルを謳歌している。また共産主義ではなく完全な「開発独裁国家」となって久しい中国も、オリンピックの余勢を買って相変わらず鼻息荒く経済拡大している。しかし、この両地域のネックはまさに「水」だ。汚れた水は何も生まない。そもそもこの両地域は水に恵まれない上に、水質浄化とか汚染防止という概念が薄い。なぜか?環境汚染防止と経済発展が両立するには、民主主義の成長が必然だからだ。しかしそれが育っていない=歪に権力が偏在する社会では、ひたすら開発が優先される。日本の高度成長時代がそうだった。社会的弱者を置き去りにし、環境汚染は極端に進んだ。しかし日本は水が豊富だったことから、それが隠ぺいされ、結局被害の発覚は河川の汚染からの水俣病やイタイイタイ病と云う形で発覚した。水がたまる場所で環境破壊は顕在化するのものなのだ。中東と中国は遠からず浄化された水の供給に逼迫するだろう。その解決には「水関連技術」を持つ産業の関与が必要となる。生き残るためにはヒトも経済も国も「水」が必須なのだ。

「私は先が見通せる」と副島氏は「あとがき」で書いている。いや書いてしまっている。これは自信だろうか?そうかもしれない。しかし逆に彼のうめきでもあるのかもしれない。「こんなに先を読めるボクがなぜ社会の中央で論じられないのか?」「世界はボクの指摘をどうして喜ばないのか?」と。情勢を論破しているからこそ感じる不遇が、彼をこう書かせるのではないだろうか。

ボクは思う。天才は不遇であるべきだ。不遇だからこそ輝くのだ。ナチスドイツに阻とまれたパウル・クレーは、「この世では、ついに私は理解されない」と云ったという。副島氏はきっといつか評価されるだろうヒトではないかと感じた。

下宿の畳の上で寝転んで革命を信じ読書に励んだ日々、四角い硝子越しに見た冬空の碧さを思い出す中年がどこかに居るような気がした。世界は変われるだろうか?

書名:恐慌前夜 -アメリカと心中する日本経済-、出版社:祥伝社

作者:副島隆彦

2009年5月22日 (金)

読書録 Jon Krakauer 「荒野へ/Into the Wild」 '090522

「荒野へ/Into the Wild」を読んだ。

これはボクが2008年の9月に観た映画「イントゥザワイルド/Into the Wild」の原本となった本だ。映画同様、実に重厚なノンフェクションだった。

USの青年、アレックスことクリストファー・ジョンソン・マッカンドレスは、1992年8月にアラスカの大地で死んだ。死因は餓死。彼が死んだその時、ボクは日本と云う国で20歳代の終わりを平凡なサラリーマンとして過ごしていた。ボクは冒険もせずのうのうと太り、彼はアラスカの原野の、元フェアバンクス市交通システムの廃バスの中で、ひとり身動きできずにやせ衰え、最後の光を見つめていたのか。

アレックスはアラスカの大地の中で生活することを選び、何らかの失敗によって、誰にも助けられもせず餓死した。それは悲しむべきことなのか?いや、ボクはそうは思わない。彼は死ぬためにアラスカに向かった訳ではないし、決して死を望んだ訳ではないが、夢に観たアラスカの原野で生活し、アラスカの自然の中で失敗を冒し、結果死んだのだ。それは結局、一番彼らしい死に方だったもではないか、とボクは勝手に思えてしまった。

この本はUSの著名な登山家で随筆家でもあるジョン・クラカワーというヒトによって著されたノンフィクション。自らが冒険家である視点は、この本の中で自らの冒険を語るシーンでアレックスの冒険と重なり、ジョン・クラカワーをしてアレックスの人生を書かずにはいられなったことがわかる。

この本でアレックスは、その出生から成長、大学時代と卒業と同時に家族の目の前から消えUSを横断し、国境を越え、数々の出逢いをし、アラスカで死ぬまでを、作者・ジョン・クラカワーによって「暴かれる」。自らの複雑な出生の秘密を許せず、文明社会の不誠実に憤り、やり場のない怒りを、荒野への放浪と自活を夢に昇華させた青年。読み進むうちに、避けられ嫌われながらも息子を思い続けた両親。そして唯一の理解者ともいえた妹。彼らがアレックスを許す道程も、このノンフィクションにとって重要な要素だ。

アレックスは卓越した冒険家であり、そして旅先で多くの友人を虜にした見事な好人物だった。彼に出逢った多くの人々が、彼を意志が強く(頑固)でユニークな(変わってる)奴だったと語っている。とにかくナマの彼と接したヒトは、彼を個性的で前向きな男として認識してたわけだ(詳しいことは本で読んでください。うんざりするくらい嬉しいアレックス評が語られています)。

不思議なのは、死んだアレックスを非難するヒトが多かったと云うことだ。これは映画が公開された後の批評にも多くあったもので、とにかくアレックスの行動は無謀だ、常識知らずだ、と非難される対象となったようだ。う~ん、そうなのか・・・

まぁ、非難するヒトはすればいい。しかしボクは彼を評価したいし、非難からは弁護したい。では彼の何を評価し何を根拠に弁護するのか?

彼は自らの信念に基づいて、旅に出たこと。結果若くして亡くなってしまったが、それは過酷な旅の答えではあったが、彼は目的のアラスカの大自然の中で生活した。ひとりで生きたのだ。

大学を卒業するまで、彼は両親の勧めに従い、優秀な成績を収めたこと

旅に出た後、一度も助けを求めていないこと。両親や妹に連絡もせず放浪し心配させ、結局先に死ぬことなったが、彼は最後まで死ぬ気ではなく、自分らしさを生きたのだ。

全てひとりの責任において行動したこと。そして多くの人々の思い出の中に残ったこと。

アレックスはアラスカで餓死した。死んだこと=無茶をした、と云えるかもしれないが、自分のしたいことをやりぬいたことで彼は後悔していないのではないだろうか?「チェッ、しくじった」くらいは、衰弱して行く自分を無詰めながら思ったかもしれない。でも死ぬこと自体を非難されるのなら、若いうちに死んだヒトは全て非難されるべきなのか?

両親の愛を受けて育ったのにそれに報いなかったと非難されるとしたなら、その非難は意味がない。非難は両親がするべきで他人がすることではない。

ヒトはいつか死ぬ。いや、この世に生れた生物は必ず死ぬのだ。ヒトもまた然り。例えヒトより早く死のうが、その生を自分らしく生き死ねるのなら、こんな幸せはないではないか。

またもしこの本が世に出なかったら、誰もアレックスの冒険と死を知らないはずだ。荒野で死んだ名もなき若者の死に、どんなドラマがあるのだろうと、ジョン・クラカワーは自然と興味を持ったのだろう。それは彼の登山家の霊感だろうか?とにかく、ジョン・クラカワーがアレックスの死を不思議がって調べてくれたからこそ、他の誰も挑戦しない冒険と死を、平凡なボク(あなた)が知ることが出来たのだ。

多くの冒険家の失敗を絡めながら、アレックスの短くたくましい人生を辿ってくれたジョン・クラカワーの勇気と筆力に感謝したい。

最後に云う。「荒野へ/Into the Wild」を読んだ。都会の物質社会の中でだらだらと過ごすただれた中年のボクが、荒野で餓死した青年の逞しいレクイエムを読んだ。その信念、その行動力に嫉妬した。

「荒野へ」、力作だと思う。

書名:「荒野へ/Into the Wild」、作家:ジョン・クラカワー、訳:佐宗鈴夫、集英社刊

2009年4月13日 (月)

読書録 近藤敦子「グアテマラ現代史」 '090413

南米コロンビアからメキシコまで細長く続く地峡地帯に「中米」と呼ばれるいくつかの国々が連なっている。パナマ、コスタ・リカ、ニカラグア、ホンジュラス、エル・サルバドル、グアテマラ、ベリーズ。かつてマヤ文明が栄え、スペインが征服し略奪の限りを尽くし、そして細かく独立した主にスペイン語を国語とする国々。熱帯から温帯に属し、至る所に火山が煙を吐き、地震が数十年おきに襲う大地。スペイン統治時代から欧州系民族が政治経済を牛耳り、支配構造にローマ・カソリックが大きく関わる。そして米西戦争後はこれにUSの衛星国化が始まる。多くの先住民族=マヤは、その欧州系支配層のもと、二級三級市民として虐げられて来た。これは見まごうことなき事実だ。

そんな中米諸国の中でボクにとって特に謎のベールで覆われていた国がグアテマラだ。スペインから独立して間もなく、USの多国籍企業「ユナイデット・フルーツ社(※.)」がバナナ・プランテーション農場を展開、拡大して以来、グアテマラは単なるUSのバナナ供給基地となった。

この 「グアテマラ現代史」は、1931年に成立したホルヘ・ウビコ独裁政権から'96年に成立したアルバロ・アルスー政権までの、グアテマラに登場した政権と政治勢力、そしてそのほとんどがUS勢力と結託した軍部の専制的な抑圧による原住民たちへの虐殺の歴史を描いたものだ。その夥しい数の虐殺の数と、抑圧の構造は、まさに現代の悪夢だ。

地峡地帯の中米の国々について日本人はどんな印象を持つだろうか?運河と独裁者「ノリエガ」で有名なパナマ、軍隊を廃止した国として有名でかつ親米・反共にもかかわらず民主的な政権交代を実現しているまれな国コスタ・リカ、独裁政権との長い闘いを経て民主化を実現しつつあるニカラグアとエル・サルバドル、親米路線を取りながらも独裁による目立った虐殺や激しい反政府運動もなかったホンジュラス、英国から独立したベリーズなど、その歴史は様々だが、その全てがかつての支配国・スペインとそれとともにもたらされ支配勢力と結託して成長したローマ・カトリック、そしてユナイデット・フルーツ社の利権を利用して介入し続けるUS・・・

グアテマラの暗黒の歴史の中で唯一の光と云えるのは、'44年から'54年まで続いた“グアテマラの春”と呼ばれた民主主義政権時代。特に後半のハコボ・アルベンス・グスマン政権の時代は、農地改革が進められ、ユナイデット・フルーツ社が所有する広大な農地の解放され、さらに労働党が合法化された。しかし、その改革は寡頭政治が跋扈する周辺国とユナイデット・フルーツ社、そしてUS政権の逆鱗に触れ、反政府軍にテコ入れし、同政権は崩壊する。

以来、グアテマラには民主的な政権はほぼ一度も成立しなかった。最も進歩的であるとされるから'96年からのアルスー政権でさえ、反軍的とみなした住民や組織を虐殺や誘拐する軍や右翼民兵を検挙できないでいる。

この本が著されたのは'96年で、それまでの暗黒の軍政史がアルスー政権の登場によって、メキシコを本拠にした反政府ゲリラグループURNGとの対話が始められたことを記念したものだろう。しかし、その後の道のりは相変わらず遠いようだ。

グアテマラが世界史に影響を与えた事柄として挙げたいのは、アルベンス政権時に中南米各地から民主的なヒトたちが集まっていた中、キューバ革命の指導者のひとり、ゲバラがいたことだ。彼はこのグアテマラの地で民主主義の正義と、ユナイデット・フルーツ社とUS政権による破壊を目の当りにし、後の革命への道の糧としたことだ。革命とは完全への連続した継続であり、抑圧者への容赦はありえない、と。

グアテマラの民衆に当たり前の自由=殺されない世界と虐殺者の逮捕・・・が実現する日が来るのはいつだろうか?

※ '84から「チキータ社」

2009年3月 7日 (土)

読書録 佐藤尚之「明日の広告」 '090307

たまには仕事に関連した本も読まなければいけない。そう思ってもなかなか読めるものではないが、失業して9ヵ月目、来月中には失業給付も終わるので・・・と云う訳ではないが、「明日の広告」という本を読んでみた。

ボクはこれまでの20年余りの歳月をほとんど「広報」や「広告」の世界で生きてきた。先回ある企業を辞める時に、精神的にかなりの負荷を背負って辞めたことで、次の仕事先を決める作業になかなか出る気分になれなかった。ちょうど夏の始まりのころで、ダメージを受けた身体に熱気と湿気が襲い始めていた。大学を卒業するまでの歳月のちょうど倍の人生を過ごしてきた。次の人生もこのままこの世界でサラリーマンをしていいのか?と自分への疑問がもたげていたのだ。

いや、現実から逃げたかったのかもしれない。いろんな煩わしさや人々から・・・しかし、やはりこの世界の周辺にいることが自分の性に合うようだと気付いた。いや、違う仕事など今更就けようがないないのだ、と悟ったのかもしれない。

そしてボクの体たらくな日常を見かねたある友人が、一緒にやらないか、と云ってくれたお陰で重い腰を上げることにした。そしてそのリハビリのために手に取ったのが、かの“さとなお”の「明日の広告」だった。

彼とは面識はない。あたりまえだ、失業した元広報マンと、“世界の電通(※)”のクリエイティブディレクターである“さとなお”氏の間に接点などありもしない。しかしこの本で語られる彼のこれまでの広告人生の軌跡は、丸っきりボクの足取りと裏表なのだ。

彼はつくづく立派だ。Netの登場によってこの世界がどう変わるかをいち早く嗅ぎ取り、前向きに着々と進化してきた。彼の語る消費者と企業、広告と社会の変化は、この二十年間の変化の歴史そのものだ。その輝かしい世界と同じ時間を確かにボクも体験してきたのだ。この本の中で彼が語る「目も耳も閉ざしている人」とはまるでボクを指しているかのように感じたのだ。グサリ・・・

いや、ボクだってPCを操れない訳ではないし、今日のようにブログも書く、しかし・・・PCのスキルも当たり前以前で、やっとワードが書けるだけで、エクセルも表計算には心もとないし、パワポも打ち込む程度だ。最低限の操作以上に自分から学ぶことなどなかった。困った時に人にやり方を聞き、それを何度か繰り返したことで結果的に身に着いたにすぎない。。

何から何まで、この本は素晴らしい。それは何か?笑われるかもしれないが、この本の書いてあることに全く偽りがないからだ。本当に“さとなお”と云う人は正直な方なのだろう。たぶんこの本を手にした若い広告マンたちは、この本を読むことによってかつてのコミュニケーション作法がどのように今日まで変化してきたかを知ることになるだろう。経験することができない経緯をこうした書物が詳しく伝えてくれるのは、何にも増して有意義なことだろう。「日本広告書籍大賞」というイベントがあるとしたら、この本はまぎれもなく象印賞を獲得するに違いない。

しかし、彼とほぼ同じ時間を自分の作法に徹して現実に向き合わなかったキリギリスには、この本はど真ん中に切れ味鋭いストレートを投げ込まれ三振に切って取られる三球目のように、ただ手も足も出ないただただ唖然と見送るしかないのだった。それほどイタい痛すぎる内容の本なのだ。

おっしゃる通り!・・・それしか云うことはない。この本には「変化した消費者とコミュニケーションする方法」という、きっとこの新書制作担当者がその余りにもど真ん中のタイトルに、なんとか付けた親切すぎる副題があるが、ボクにはそれが「変化しなかったコミュニケーション担当者へのレクイエム」と読めるのだった。

しかし、ボクは食べて行くため、ローンを払うため、そして実家で年金暮らしをし、バカ息子の失業を心から心配しつつ社交ダンスと俳句に興じる両親より長生きして葬式を出すまで、なんとか生きてゆかねばならない。そのために、この本を読んだことをスタートに、またこの世界の端っこに引っかかろうと思っている。

※ どうしてこの企業が独占禁止法に触れないんか、昔から疑問だ

2009年2月 9日 (月)

読書録 安野光雅「画集 野の花と小人たち」 '090209

義父の大動脈瘤手術に付添うために都内のある大病院に行った。しかし、手術中、付添いは何もすることがない。持参した小説もあったが、ふとロビーの書棚この画集を見つけ、手に取った。安野光雅氏の「画集 野の花と小人たち(※1.)」だ。

書名にあるように、ほんの野に咲く草花を淡い水彩で描かれた作品。その草花の間に幻想のように小人の母子が草花に溶け込むように、何かした話したり、遊んだり、実を運んだり、花を摘んだりしている。そんな不思議な画集だ。

れんげ、なずな、あざみ、いぬふぐり、つゆくさ、ひめじおん・・・東京の大学に入ってから四半世紀、そのほとんどを23区内で過ごしてきたボクは、こんな草花に接する機会がなくなったが、農村育ちのボクにとって画集に描かれたほとんどの草花が子供の頃傍らで接したありふれてたものだった。しかし、今日はとても懐かしいものに出逢えた気分になった。

数年前だと思うが、山口に泊まる用があり、翌日山口線を津和野まで乗り、安野光雅美術館を訪ねたことがあった。平日の昼のひたすらのどかでこじんまりとした城下町の一角に静かにしかし堂々と建つ開館してまだ半年くらいの美術館だった。館内をゆっくり歩きながら、展示作品を見て廻っていた時の幸せな気分・・・そしてその時、安野氏自身が歩いていらっしゃるのに気付いて、なんだかとても得をしたような気になったものだった。

義父の手術は当初一時間か長くても二時間くらいとの説明だったが、三時間以上に長引いた。その間、ボクは画集をゆっくりと鑑賞した。安野氏の画集は何冊か持っているが、こんなに時間をかけて眺めたのは初めてだった。この画集の素敵なところは、その絵画の素晴らしさはもちろんのこと、野に咲く草花一つひとつに安野氏の小文が添えられているところだ。草花との出会いを簡潔な文章で綴られて、素朴な氏の絵画と共に感銘を受け、ボクはそれだけ氏に近づいたような幸せな気分になったのだった。

そしてもうひとつ、この画集はとても素晴らしいことに「野草傷心」と云う「あとがき」があることだ。安野氏の草花への眼差し、肌触りが感じられる文章で逆説的でかなり皮肉めいてもいるが、なぜか心温まる。「わたしは花を愛さない」と氏はおっしゃる・・・そうなのだ、「愛す」とかのそう云うことではないのだ。

画集の中から、ひとつ「彼岸花」のページの小文を抜き出すことを、著者、出版元にお許しを願いたい。

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ひがんばな

 毛布が二枚、靴下一パイの米と一にぎりの砂糖をもらって復員し、ようやく両親の疎開したいなかにたどり着こうとしていた。日本は負けた。そして私はあの冷酷きわまりない軍隊から解放された。

 野間宏の書くように、兵隊は人間ではなかった。人間からつくった史上例を見ない生きものであった。

 いなかへ帰るこの道をゆくことは、抜けがらのような兵隊から、少しずつ人間にかえろうとしていることでもあった。

 何のうたがいも持たず、まったく当然のように老いた父母のもとへかえる・・・その道一面に彼岸花が咲いていた。

 その、何とやけつくような「赤い」花であったことか。ぶたれても泣かなかった私なのに涙が出た。

 花など、長い長い間、思っても見なかった。それを美しいと思う。人間の心を、私はこの花がとりかえしてくれたのだと思っている。

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ボクはこれまで彼岸花をこれまであまり好きではなかったが、安野氏のこの思い、安野氏を生き返らせた彼岸花との再会を、なんだか分かる気がした。そしてボクの故郷の、すでに失われてしまったのどかな農村風景の中の草花を思い出すのだった。

※1.発行元:岩崎書店、発行日:'76年08月30日

2009年1月28日 (水)

読書録 堀淳一「消えた鉄道 レール跡の詩」 '090128

地図の大家・堀淳一氏の鉄道遺構探索紀行をまた読んだ。そしえて社が発行した「風土と歴史を歩く」シリーズの「消えた鉄道 レール跡の詩」だ。B6版、全95頁の小柄な本だが、鉄道遺構好きには堪らない名著だと思う(※1.)

ここ数年、書店には「廃線紀行」ものがたくさん出ているが、堀氏は鉄道遺構探索の分野で第一人者であると思う。氏は国鉄解体の前から各地の廃線跡を探索され、単に鉄道回顧のみでなくその地理的かつ植物的な見地から解説されている。

堀氏の鉄道遺構探索の分野でいくつかの紀行を著しているが、この本は地図と写真が豊富だ。私鉄ファンのボクには、横荘鉄道、伯陽電鉄、熊延鉄道に特に面白く思えた。

紹介されている失われた鉄道は以下の通り。

1.カラマツの山あいを抜けるレール跡・・・北海道拓殖鉄道
2.山里の蕩駘をゆく哀愁の路・・・横荘鉄道(後の羽後交通)
3.杉の山あいにやぶを分ける小径・・・北陸鉄道河南線
4.石を運ぶレールの残影・・・岩間の人車軌道
5.薄命のレールを詩うススキの穂なみ・・・国鉄篠山線
6.県境をトンネルでくぐっていたミニ私鉄・・・伯陽電鉄(後の日の丸自動車法勝寺鉄道)
7.鉄橋の遺跡また遺跡・・・熊延鉄道

※1.発行元:そしえて、初版発行日:'83年07月01日

2009年1月12日 (月)

読書録 芝生瑞和「アンゴラ解放戦争」 '090112

長い間知りたいなぁと思っていてそのままにしていた沢山の疑問の一つに、かつてアフリカにあったポルトガル植民地の解放闘争があった。最近藤沢周平ばかり読み重ねていた反省(※1.に立ち、地元の図書館で関連図書を探してみた。そして最初に手にしたのが、故 芝生瑞和著「アンゴラ解放戦争(※2.」だった。

芝生瑞和氏は、特に中東、中南米、アフリカ諸国を中心に紛争地帯や発展途上国の政治経済体制から欧米の政治動向まで、幅広く活躍した日本を代表する国際ジャーナリストである。惜しまれつつも’05年に急逝されたそうだ。この本は氏が上程された初期の本で、海外留学期に触れたアフリカでの民族解放闘争を追ったレポートであり、この本には氏のバイタリティあふれる取材精神を強く感じられる作品となっている。

この本の素晴らしいところは、結果的にアンゴラ独立の基礎となったMPLAによる東部解放区づくりの段階から現地に入って体験し、ポルトガルのカーネーション革命による独立過程における内戦状態の生のレポートであることだ。

'70年代のアンゴラは、鉱山資源を多く産出しポルトガルにとっても手放したくない植民地だった。数十万に上るポルトガルからの植民者と産業を護るとの口実に軍隊を派遣していたが、’74年に起こった国軍運動(MFA)によるカーネーション革命によってサラザール=カエターノ独裁政権(エスタド・ノヴォ)が崩壊し、革命政府が海外植民地の放棄を宣言することで独立が約束された。しかし・・・

'70年代のアンゴラの独立戦争期は典型的な大国の代理戦争と云われ、米中ソ南アらが泥沼の援助と足の掛け合いをしたことで知られる。社会主義を志向するMPLAには旧ソ連とキューバ、そして独立して間もないアフリカ民族諸国が支援し、USは当初傀儡政権を立てていた隣国ザイールを経由しFNLAを支援し、FNLA 衰退後は部族主義的な色彩のUNITAを支援。当時ナミビアを属国化し鉱山資源を独占していた南アは、資源的野望と社会主義の南下を恐れ、中国に近いアフリカ諸国や西欧諸国と共に後押しした。また社会主義の路線闘争を繰り広げ、当時反ソ色の強かった中国やルーマニアも当初FNLA、後にUNITAを支援するという“敵の敵は味方”を字で行く悲しい代理戦争となっていた。

この本はまさに泥沼の内戦=大国に翻弄される戦争の真っ最中のアンゴラをレポートした貴重なものだ。

この本を読み進んだ末に、実際の解放闘争とはどんなものだったのだろうと考え、他の書物を探したところ、「森と精霊と戦士たち ギニア・ビザウ、モザンビーク、アンゴラ解放闘争写真記録」という写真集に辿り着いた。この写真集は、副題にもあるように、在アフリカ旧ポルトガル植民地の解放闘争を解放勢力側から記録されたものだ。主にギニア・ビザウとモザンビークの闘争の写真が掲載されているが、これはこの本がフリカ行動委員会から発行された時期(’70年代中盤)が、ちょうどギニア・ビザウとモザンビークが独立を果たし、またアンゴラは独立を果たしたものの国内の解放勢力が分立して(※5.)、実質的な統一政府がなかったことに由来する。この写真集の中で紹介されているアンゴラの解放闘争の写真には、芝生瑞和氏から提供されたものがあった(氏が「アンゴラ解放戦争」執筆前)。これは解放闘争側から撮った写真だから当たり前ではあるが、森林地帯でのキャンプ生活や戦線の様子や解放された農村部での農民たちの生き生きとした表情や生活ぶりが伺えて貴重な写真集だった。ほんの30年前、アフリカでは自由と独立を勝ち取るために闘争し倒れていった数多くの無名戦士がいたことを忘れてはならないだろう。

また、この旧ポルトガル植民地の独立は、ポルトガル本国の独裁政権を民主派将校たちの蜂起による民主化クーデター(カーネーション革命)によって実現したことであること。これは旧ポルトガル植民地における持続的な解放闘争が、現地に派遣され殺し殺されるポルトガルの軍人たちを悩ませ、国家財政を苦しませ、国際的な信用を落としめた結果などだという成果と云えるだろう。密林での地道な解放闘争が解放区を拡げ、結果的には本国の軍人や市民をも包囲したことは、解放闘争に協力したすべての人々に賞賛を捧げたいと思う。

1.’08年の後半(06-12月)に読んだ本40冊のうち、実に18冊が藤沢周平ものだった。

2. 書名:アンゴラ解放戦争、著者:芝生瑞和、発行:岩波書店/岩波新書、発行日:1982/06/25.

3. アンゴラ独立時の国内勢力(※5.)は、USNATO諸国、南アフリカ、ザイールそして中国などが支援し、部族主義的な色合いが濃かった。FNLAUNITAと、当時のキューバをはじめとする社会主義国やアフリカ諸国が支援し、部族主義を排したMPLAがあり、最終的にはMPLAが解放区を全国に拡げ、国際的に承認されることになる。

※4. 書名:森と精霊と戦士たち、著者:アフリカ行動委員会、発行:亜紀書房、発行日:1976/06/10.

※5. アンゴラの解放組織と支援国(FNLAUNITAへの支援国は時代的に変動あり)

・MPLA(アンゴラ解放人民運動):ソ連、キューバ、スウェーデン・・・社会主義を標榜したが社会主義陣営の崩壊後穏健に。独立後'09年春現在に至るまで政権を維持している

FNLA(アンゴラ民族解放戦線):US、旧ザイール(現コンゴ民主共和国)、アルジェリア、ガーナ、イスラエル、フランス、ルーマニア、中国、南ア・・・ホールデン・ロベルトを指導者とし北部部族を中心に勢力をもった。'09年春、国会に議席を持つ

UNITA(アンゴラ全面独立民族同盟):US、南アフリカ、中国・・・FNLAから分かれたジョナス・サビンビを指導者に、主に南部地域を中心に勢力をもった。社会主義を標榜したMPLAの政権奪取を好まない全ての国と宝石会社デ・ビアスの援助で長く内戦を続けた。ジョナス・サビンビの私設軍隊的性格の集団で現在消滅。

2008年12月 7日 (日)

読書録 堀淳一「北海道 鉄道跡を紀行する」 '081207

かつて日本中に張り巡らされていた旧国鉄の鉄道網の多くが失われて、早25年が経ってしまった(※1.)。喪失の度合いが特に大きかったのは北海道。その追憶の記録として廃線跡を辿る紀行が「廃線跡マニア」などによって、書籍やWebで公表されている。本書は地図紀行のパイオニアたる堀淳一氏による「北海道 鉄道跡を紀行する」である。

この本は地元・北海道新聞社が1991年に発行したもので、それぞれ取り上げた鉄道跡が、鉄道が敷かれていた時代と廃止後の地図を掲載して、わかりやすく書かれている。ただ、さすがに地元の新聞社だけあって北海道のことはよく分かっている人が読むことを前提にしていたのか、その線が北海道のどの辺りを走っていたのか俯瞰する北海道全図の収録がなく、地図好きのボクにもすべての線区の場所が思い出せなかった。しかし、今年新潮社から発売が開始された「日本鉄道旅行地図帳(監修・今尾恵介)」の1号「北海道」を傍らに置きながら読むことで、違和感なく読み切ることができた。

堀氏の紀行文はリズムがある。その植生に対する博学さと情景に関する独特の表現がそのリズムに乗りながら楽しく展開する。

植生についての表現はこうだ。「それははじめ、びっくりするほど明るいシャトルーズイエローの綿雲で、道床を覆っていたのである。そして、その中に時折混じっていたナスタチゥムオレンジのがいつのまにかシャトルーズイエローにとって代わってもわもわとしたオレンジの雲を道床いっぱいにふうわりとたなびかせていったのだった(湧網線)」、「天売・焼尻両島が今度はかすみにかくれてしまっていたけれども、その方角の、なぎさから水平線までの逆光にまぶしくきらめく波立ちで埋め尽くされた海と、手前いっぱいにひろがるコウボウシバのきらめきの洪水とが、これもまためまいをさそうのだった。(羽幌線)」

また、独特な情景表現は、たとえば「天北原野には、寂しさがはろばろとして満ちている(興浜北線)」、「湿原がうわーん、と現れた(標津線)」などだ。

北海道の鉄道の敷設は、北海道の開拓の歴史でもある。今のように道路が整備されず、車の技術も進んでいなかった時代に、ヒトとモノを流通させた鉄道が、経営赤字とその責任を鉄道労働者の怠慢として切り捨てた時の自民党内閣への不満がボクの心の中には今も残る。鉄道建設を餌に票を買い取ったのは誰だったろう?鉄道が単独で黒字を出せるのは、新幹線や大都市など一部の限られた路線だけだ。山手線が採算がとれるのは、その過剰な人口蓄積と、経済活動の一極集中の結果であり、その実態の方が異常なのだ。また、採算が取れないから国が運営するのではないか?走って儲かるのなら民鉄が経営するだろう。確かに作ること自体が疑問のような路線もあった。採炭という使命を失った路線など廃止すべき路線もあったはずだが、それにしても一挙に北海道だけで1400キロもの線路を廃止する必要があったのか?そしてそこで働いていた労働者を切り捨てるやり方は、まさに国による偽装倒産以外の何物でもなかったのではないか?

そんな様々な思いを反芻しながら、この本を読んだ。残念ながらボクは取り上げられた廃止線のいづれも乗った経験がない。学生時代にもっと北海道に足を進めるべきだったと悔やむ日々である。

先日鉄道趣味の会合で、偶然にもある堀氏の話を伺うことができた。氏に「先生の本を読んで軽鉄道や地図好きである自分を発見したのです」と直接伝えることができた。80を超えているとは思えない若々しさに対面できてうれしい限りだった。

[掲載線区]・・・掲載線は旧国鉄以外の路線もあり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

湧網線/興浜北線/興浜南線/羽幌線/根北線/美幸線/岩内線/広尾線/名寄本線/胆振線/渚滑線/士幌線/相生線/冨内線/瀬棚線/松前線/白糠線/羽幌炭鉱鉄道/歌志内線/幌内線/万字線/千歳線(※2.)/函館本線(※3.)/北海道拓殖鉄道/標津線

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※1.特定地方交通線の第一次廃止対象線として白糠線が1983年10月23日に廃止。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%AE%9A%E5%9C%B0%E6%96%B9%E4%BA%A4%E9%80%9A%E7%B7%9A

※2. 千歳線:廃線ではなく、沼ノ端駅付近の線路付け替え地点の紀行

※3. 函館本線:廃線ではなく、目名駅付近の旧線の紀行 

2008年11月 5日 (水)

読書録 五十嵐仁「労働再規制」 '081105

ボクにはとても珍しいことだが、出版されたばかりの本を読んだ。五十嵐仁・著「労働再規制 -反転の構図を読みとく-(ちくま新書-'081010発行)」だ。

格差社会、貧困、ワーキングプア、勝ち組負け組、自己破産・・・聞いても口に出しても嫌な言葉をよく耳にるようになってどれくらいたつだろう。ボクが社会人になった20年以上前には、こんな言葉はあまり使われなかったと思う。確かにいつの時代にも貧困はあった。しかし、それにはそれなりの根拠があり、「努力を実行すること」で離脱出来ることと信じられていた。今はどうか?

確かに今も、人より努力すれば勉強すれば、そうならないかもしれない。しかし・・・一歩踏み外せば奈落の底に落ちて這い上がれない蟻地獄のような、勝者は自分の努力以外に他人を踏み台にしなければならないよう弱肉強食の時代になってはいないだろうか?

そもそもこの本は、格差や労働不安を引き起こした元凶を掘り起こすものではなく、行き過ぎた新自由主義=小泉・竹中路線のひずみへの反省から、労働行政に携わる厚生労働省や自民党の旧来のリベラル派のなかで、「労働市場の自由化」への反転が、あの狂乱の衆議院「郵政選挙(郵便局民営化)」で自民党が圧倒的な勝利を収めた直後から始まっていたことを、経済財政諮問会議や総合規制改革会議など、政府が作った数々の首相への諮問機関の動きの流れから読み解いている。

この本の論旨は、新自由主義による労働行政の混乱からの反転の流れを観るものだが、それとは離れてボクが注目したのは、現在の劣悪な労働環境=格差社会化の原因となった諮問機関にどんな考え方を持ったメンバーが集められ、そこで何が話し合われたのか?という点だった。郵政選挙で大勝を収めて「強行採決」を繰り返す前の、小泉・竹中が政権を握った段階から、新自由主義と云う妖怪が表面化していたことだった。

この本を読むと、新自由主義を掲げた小泉・竹中路線が、現在の労働構造=派遣、日雇い労働の拡大、過労死・ストレス離脱の増加、正規雇用の縮小、という労働者の権利が「規制緩和」によって剥奪されたこと、そしてそれがどんな意思決定によって成立したかがあぶり出してくる。

まずびっくりしたことは、派遣や日雇いの労働規制緩和を推し進めた総合規制改革会議のメンバーの中身だ。この厚生労働省ではなく、内閣府に設置された諮問機関は、開設当初の'01年1月、経済界10人、学者5人、その下に設けられた規制改革・民間開放推進会議は経済界8人、学者5人と、労働行政に不可避の労働者サイドの人間が全く入らないという、まさに労働者無視の会議であったということだ。

しかも総合規制改革会議の経済人の中には、奥谷れい子、佐々木かをり、川野栄子という、人材派遣業社の経営者が含まれていたことは、まさしく労働者をモノにしか見ない人選がなされていたことを証明している。こんな人たちが話し合ったのだから、こんな格差社会が来るのは決まっていたのだと思わざるを得ない。人材派遣会社のトップが話し合う目的は、働く者の安定ではなく、「会社が自由に社員を取り換えることが出来る法律」を作ることになるしかないだろう。

特に奥谷というヒトの発言として以下のような問答が記されている(五十嵐仁著「労働再規制」041ページから引用)。

Q.(奥谷)社長の考える労働行政、特に監督指導を行う労基署(労働基準監督署)の役割と云うのは。

A.はっきり言っていらない。労働省はいらない。労基署もいらない。要するに国が働き方をどうしろ、こうしろということ自体、ナンセンス。個別企業の労使関係の契約で決めてゆけばいいことですよ。

こんな差別人間が税金をもらって政府の政策や法律作成に関与していたのかと思うと、本当に腹立たしい。このヒトにはたぶん「まごころ」というものがないのだろう。軽々しく「労使関係の契約で決めればいい」と言い切れるこのヒトの頭の中は何が入っているのだろうか?使用者と労働者の間には常に「雇ってやる」と「雇ってもらう」という力関係関係が存在する。このヒトの周りには、使用者に対して「働いてやるよ」と大見えを切れる学力優秀でキャリアの豊富な、社会の極一部の人間しかいないのだろう。全体を見渡せないヒトは例え社会で成功したからと云って立派な生物ではない。ましてや狭い視野で政府に言い寄り政策に影響を与えるなどもってのほかだ。いろんなヒトがいて、いろんな仕事があり、それぞれの仕事の仕方がある・・・それを行政や社会が守らないでどうする?

この本を読んで、この奥谷、佐々木、川野の3人以外に、この格差社会を作り上げた元凶として、宮内義彦、太田弘子、飯島勲、牛尾治朗、椎名武雄、小林陽太郎、八代尚宏、八田達夫、福井秀夫らが挙げられる。もちろん、小泉・竹中のふたりが根源的な巨悪であることは決定的だ。働く者を踏みつけ、バカにする人々・・・最も悲しい人々たちだと思う。これらのメンバーが、企業社会は完全な競争であり、その競争についてこれる人間だけで構成されればいいのだ、そのために脱落者はイコール怠け者とレッテルを貼って良いのだ、と云う論理で議論をリードしたに違いない。さぞ楽しい会議だっただろう。

この本に接して、庶民の知らないうちで、法律や制度が一部の新自由主義者(=なんでも競争派)によって好き放題に捻じ曲げられていたことを知った。これはまさしく恐怖だ。

これまで労働関係の本はなかなかなじめなかったが、社会や家族、自分自身を守るためにも、労働関係の本に注意しなければならないと知ったところだ。

2008年10月29日 (水)

読書録 岩中祥史「名古屋学」 '081029

名古屋が都会なのか、田舎なのか、まぁそんなことはどうでもいいけれど、いったい名古屋って街はどんなところなのか?という奇特な探究心をお持ちの方は、この本を読了されることでほぼ達成されると思う。そんな岩中祥史氏の「名古屋学(新潮文庫)」は、なかなか興味深い本だった。まぁ、都市学ではないので、繁華街やお店の説明がある訳ではなく、名古屋の“体質”を語った本である。

結論から云えば85点な本である。満点でないのは、そもそも名古屋の街や人柄、企業体質を知ったところで感動もロマンも無いからである。100点など名古屋の説明に元々ないものなのだ。旅行でも仕事でも、名古屋へ来る場合、それは「義務」に近いものであり、JR東海が云うような「そうだ ○○ 行こう」的な対象として名古屋は存在しないからだ。名古屋とは住む者にとって魅力的であればいい、京都や札幌のように、求めて旅立つ街ではないのだ。85点は、名古屋を語る上ではほぼ満点の本と思われる。

ではこの本の何が素敵なのか。特筆すべきは、名古屋弁を解説する『名古屋の「言語学」』の章だ。ここまでわかりやすくかつくどく名古屋弁を説明した文章を観た記憶がない。各々の固有な言い回しについての解説もさることながら、名古屋弁の真髄を語感の「まろやかさ」であり、特に女性の言葉使いでそれがしめされると指摘しているところである。しかし、これらの名古屋弁を一度も聞いたことがない方が、この章を読んだところで、うんうんふむふむと納得するすべがないところが泣き所だ。娘の嫁ぎ先(または息子の嫁)が名古屋で、その両親親戚の話す名古屋弁の意味がよくわからない、など姻戚関係の意思疎通に困った方などには座右の書になるかもしれない(笑)。

著者の岩中氏は小学校入学から高校卒業までの小中高をどっぷり名古屋で過ごすという、人生で最も物事を吸収する時期に名古屋に住み、その後東京に出られた方のようだ。家族は生粋の地元民ではなく、また大学以降を別の街で暮らすことは、名古屋以外のどの町の人も、育っつた町を客観的に観る最大の条件と思われる。両親が地元民の場合、両親への愛憎が交ることで客観論が薄れてしまうのだ。また(ボクもそうだが)、18.19くらいの若い時期に故郷を離れることで、故郷をより懐かしむことと故郷へのいやらしさも感じることができると思うのだ。

この本の構成は7部構成になっており、1から6までの章で「社会学」、「歴史・地理学」、「経済学」、「経営学」、「言語学」、「栄養学」を論じ、最後におまけとして、名古屋出身のタレント・竹下景子と著者の対談が添えられている。各章が「学」などと名付けられているが全然学術的な硬い文章ではなく、簡単に云えば世間が名古屋の特徴として観る「ドラゴンズ好き」と「東京嫌い」、「冠婚葬祭好き」、企業の「健全」ぶりとヒトの「倹約」癖、「信長、秀吉、家康」関連、そして笑われる方言「名古屋弁」の解説と名古屋の名物について論じているのである。

著者が云うように、名古屋の風潮は一般的に東京や大阪とはかなり違いがあるようだ。それは意識する、しないを別にして、かなり顕著に現れる。東京や大阪がバブル期に不動産投機に流行った頃、名古屋は確かにそれほど高騰しなかった。またホテルでの結婚式が当たり前の他の地域と違い、名古屋地区での結婚式場ビジネスや嫁入り道具などのしきたりの違いは、かなりのものだろう。しかし、いろんな“名古屋の特徴”とは、結局のところ「合理性」に基づく帰結なのだとすれば説明がつくのだ。著者の岩中氏随所にその点を指摘されている。

なぜ名古屋がバブル期に土地投機に走らなかったのか?なぜ不況になると名古屋経済がもてはやされるのか?同書で岩中氏が解説されることに間違いはないように思われる。ただそもそも名古屋と東京・大阪との違いは、都市圏の構造が元々違うことにもよる。東京・大阪は共にいくつかの街が行政区域を通り越して連続している。東京なら横浜から大宮までほぼ市街地が途切れない。大阪にしても明石から高槻、堺まで行政の区切りは春が家々はつながっている。しかし名古屋の市街地は尾張平野の中に浮かんで独立しているのだ。これは東京・大阪以外の日本の市街地の形だ。そう云う意味で、名古屋は市街地の地価が野放図に高騰しない構造になったわけで、そもそも土地投機に走れなかったのだ。

また名古屋の企業はどこも強いかと云えば、そうとばかりも言えない。例えば東海銀行。かつては名古屋地区唯一の本社を有する都市銀行で、地元の保守的な家庭の息子娘の就職先として絶対の存在だったが、いつの間にか三和銀行と一緒になり、あっという間に東京三菱に取り込まれてしまった。名古屋人の誇りが一つ失われた例だろう。松坂屋が名古屋以外の地で撤退を繰り返し、いまでは大丸とグループを組んだことも、少々残念がってもいるだろう。これ以外にも、パロマの湯沸かし器の不正改造事件の後処理のゴタゴタなど、名古屋の企業は守りに入るともろい点が玉たまに見受けられる。

この本のなかで、ボクが?と思う箇所がいくつかある。それは名古屋オリンピック誘致について述べた個所である。名古屋がオリンピック開催地に立候補した際のことを「名古屋人の心は一丸となった」とある。これはかなり違うだろう。たしかに街には誘致のための看板やポスターが貼られたり、バス、タクシーにはステッカーが付けられた。新聞もTVも盛んに云い囃したが、市民の盛り上がりはそうでもなかったと、当時名古屋地区で高校時代を送ったボクは断言できる。ただ是が非でも反対するヒトは少なく、どちらかと云えば騒いでいるのは政治家や産業界で、市民は「どうせ来るんでしょ」と、受け身だったのだ。内心「名古屋もオリンピックがやれる街だぞ」くらいには思っていたと思うが。

またいわゆる三英傑についての下りに若干誤解もあるようだ。確かに名古屋祭りで信長、秀吉、家康が市民から選ばれて練り歩くが、名古屋市民は本当に一番好きなのは家康だろうか?厳密にいえば名古屋出身は秀吉である。信長も清州なので尾張仁には間違いない(遠く先祖の地は、越前・織田庄になるようだが)。しかし家康は幼少期に織田家に人質として連れてこられた時期を除けば、尾張に住んだこともない。名古屋人の徳川意識は、どちらかと云えば家康よりも御三家の城下町としてのものだろう。家康の気質はどう見ても名古屋人より地味で堅実な三河人的であるように思えるのだが・・・岩中氏は同書で「名古屋の範囲」として「旧尾張国の地域」と書かれている。そう云う意味でも、家康はトヨタ自動車と共に、愛知県や三河の象徴ではあっても尾張や名古屋の象徴ではない。

ちなみに文化的にも方言的にも、名古屋は岐阜と近く、三河、伊勢とはかなりの違いがあるように思われる。もちろんこの地域全体の経済活動の中心は名古屋であり、その影響力は日増しに高まってはいるが。

勝手に思うに、名古屋を論じた本としては最高部類に入る書物なのではないだろうか?名古屋に住みたい、住んで困っている、という方にはまず本書をお勧めしたい。

2008年9月13日 (土)

読書録 酒井順子「負け犬の遠吠え」 '080913

笑われるかもしれないが、今更ながら酒井順子著「負け犬の遠吠え(講談社文庫、以下「負遠」)」を読んだ。素直に名著だと思う。スゴイ作品である。

他人の嫌がることをズバリ言い当て、賞賛されつつもしっかり嫌われる、と云うのはよくある話だ。できれば他人から嫌われたくないから、そう思っていてもなかなか本当のことは云えないものだ。しかし・・・酒井氏のこの辛く苦い調味料いっぱいの直言ぶりは、嫌われる前に笑い飛ばして煙に巻き、逆に関心すら感じさせる知性が感じられる。そこがスゴイのだと思う。

酒井順子氏の著作を読んだのは今回が初めてではない。'01年に「会社人間失格!(角川文庫)」を読んでいる。以来7年ぶりの対面である。しかも代表作。

この「負遠」が当時('03年)の大ベストセラーであることが、この五年間扉を開けさせなかった最大の理由である。誰もが読んでいる本はその時読まない、を幼少の頃よりモットーにしているボクにとって、逆に発売後五年で読むなんてびっくりなこと。それはなぜか?「未婚、子ナシ、30代以上」を「負け犬」と定義した本の著者は、世間を、時代を、未婚女性たちを、そして自分をどう描いているのだろうか?と、既婚だが、子ナシ、40以上で無職のオッサンの強い読書欲を掻き立てたのだった。

確かに30歳以上で独身の女性は多くなった。しかし、ボク(オッサン)が働き始めた20年以上前にも、そんな独身女性は多かった。結婚ってものに疑問こそ感じるが一度も願望のないまま中年になったボクだが、その当時思ったことは「結婚していない女性はそこそこキレイだ」ということだった。

ボクが二十代の頃の30歳以上で独身の女性たちを観察してみると、仕事もバリバリやって、男性をくすぐる色気も結構ある女性が多かった。またそれ以上の女性たちもさぞや若いころはキレ(カワイ)イだったんじゃないか?と思えるような女性が多かった。ボクはこう考えた。①そこそこ見てくれがよくて男性に声を掛けられてきたので、選び続けて選び切れなかった、②「働く女性こそが輝いている」と思いこみ、結婚はそのうちするだろうと思っていた、の二点ではないだろうか?

統計的にも肌身にも、この二十年間、着実に「負遠」女性は増えていると実感する。でもそれは不幸なことだろうか?酒井氏はそうは云っていない。本著「負遠」では、世の中には勝ち犬と負け犬がおり、十分な収入があり、子育てしている母親になった女性が、これまでの歴史的観点から見て「勝ち犬」であり、それ以外の先に挙げた「未婚、子ナシ、30代以上」を「負け犬」と定義したもである。要するに勝負を決したような表現になってはいるが、実は単に厳然と区別・分類しただけなのである。勝ち負けというと、負けた方が分が悪いようだが、ここに「負け」を敢えて設定したところが、酒井氏の文買業者たる才能であろう。そして自らも「負け犬である」と高らかに宣言することで、自らへの「負け犬」たちからの反感を共感に返還させている。旗を掲げている訳でもないのに、いつの間にか周りは支持者でいっぱいである。ここが酒井氏のスゴイところである。

なぜスゴイのか?まず「勝ち犬」「負け犬」の分類をあらゆる角度から分析し、かつクダケた表現を用いながら、面白く流れるように文章を紡いでいる。また、こんなこと書いて大丈夫なのか?と思えるような友人知人の「勝ち犬」「負け犬」風情を描写して、澱みがない。特に「勝ち犬」視線からの決して他人を相容れぬ「負け犬」への憐みいっぱいの思想、言動、態度について看破するところのスルドさには目を見張るものがある。

本著「負遠」が広く読まれた背景には、「負け犬」層だけでなく「負け犬」になりそうでヤバイと思っている若年層に本を取らせ、またもう「負け犬」意識を半ば脱した「ひとりで生きてゆくと決めたの」層・・・これをオッサンは“初期クロワッサン層”と呼びたい・・・にも読ませたことが大きかったのではないだろうか。また流行語にもなった(させた)lことで、いつも話題を吸収したい老若男女に読ませることで「もう読んだ?」「まだ読んでないの?」的にベストセラー化させたのだろう。

酒井氏はこの本で一躍著名作家の仲間入りをしたが、だからと云ってそれまでが鳴かず飛ばずではなかった。と云うよりも、ティーンエイジャーの頃からずっと二十年以上売れ続けていたエッセイストであり、特に同性代・・・今でいうアラフォーか?・・・'60年代生まれの人間にとっては彼女のエッセイと共に成長してきた記憶があり、その上で「負遠」が上梓されるにあたって支持が顕在化した、ということなのだろう。

本著「負遠」の賢明なところは、「負け男犬」も分類されていることだ。「オタ男」「ダレ男」「ブス男」などの他、「ジョヒ男」など未だこの国に群生する男尊女卑をモットーに生きている男など、多くの「負け犬男」を冷徹で精度の高い分類評価をしており、まさに目から鱗&膝を打ったが、無職のボクはさしずめ「ダメ男」に規定していただけるのであろう。

最後に酒井氏が著作にたまに自己写真を載せられることがあり、かつ同世代のボクとしては彼女の大学生時代の活躍ぶりなどもマガジンハウス系の雑誌で拝見しており、あのツルッとした卵顔が好みであることを白状してこの章を終わらせていただきました。

次は「女子と鉄道」を読もうと思う。

2008年8月26日 (火)

読書録 ジャン・コルミエ「チェ・ゲバラ 革命を生きる」 '080826

最近は社会主義的な思考を持たなくても平気でゲバラのTシャツが着られる時代のようだが、かつてのサヨク少年は、そう簡単には着られなかったものです、などと昔はすごかったんだよと偉そうに云えたものではありませんが・・・そんな“心情サヨク”中年が創元社・刊「チェ・ゲバラ 革命を生きる」 を読んだ。

葉巻を銜えたゲバラを斜め下から撮った写真を赤い背景で浮かび上げるインパクトの強いレイアウト。フランスのガリマール社の「ガリマール発見双書」を原本にした「知の再発見」双書のひとつだ。

ゲバラに関する本はこれまでも数多く出版されてきているし、数年前の映画「モーターサイクル・ダイアリーズ」が公開されて、さらに関連図書が増えたようだ。出版物が増えるということは、ゲバラの本は売れるということだろう。そういう意味ではTシャツというファッションからゲバラを知るのもある意味現代的なのかもしれない。

この創元社の 「チェ・ゲバラ 革命を生きる」は、先述したように原本がフランスで書かれたもの。フランスは第二次世界大戦後永くフランコ独裁が続いたスペインの代わりに中南米の民主化に少なからずのシンパシィを与えた国だ。これは'68年の五月革命などの影響が大きいのだろう(※1.)。ゲバラに関しての多数の著作があるジャン・コルミエ氏が著し、監修をこれまたゲバラの関連図書を多く出されている現代企画室の太田昌国氏がされている。そして表紙の一番下に翻訳された松永りえ氏の名前が前記の二人と比べて2/3位の級数でかわいらしく載っている。

この本の優れたところは、①文章と写真のレイアウト、そして写真の色の扱いの斬新さ、②ゲバラの革命軍論など多くの著作について突っ込んだ書き方をしていないところ、などだろう。とにかく読みやすいし、オシャレだ。この本からゲバラを知ることは、いわば革命よりファッションから入る、という印象である。しかし、なぜキューバ革命が必然であったのか?を誤解なく理解でき、また彼がキューバで悩みながらも政治活動に勤しみ、そしてコンゴ、ボリビアに旅立って行った切実な理由が伝わってくる。そして彼の残念な死も。

改めてビックリするのは、ゲバラの革命の生涯の短さだ。生涯自体も39年間('28-'67)だが、革命家としての活動期間はたった13,4年である。実際カストロとの出会いが'55年、キューバ革命が'59年、コンゴに旅立ったのが'65年、ボリビア山中で殺害されたのが'67年だ。まさしく、世界革命のために駆け抜けた人生と云えるだろう(※2.)

彼の死後、キューバは世界の解放勢力に援助・協力し、医師や看護士を送りヒトの手で植民地から独立間もない国々を助けた。これはひとえにゲバラの貫いた非同盟諸国への愛を受け継いだものだろう。アルゼンチンに生まれ、中南米を縦断し、キューバを解放し、そして世界中にベトナム=解放区を!と叫び続けたヒト。彼はまさしく良心のヒトなのだろう。

ファッションからゲバラを知ったっていい。しかし、ゲバラとはどんなヒトだったのか、どう生きたのか、さらに知って欲しい、そうすることで彼の思想や行動に触れるヒトが増えれば、早世してしまった彼も本当に喜ぶだろう。世界に差別をなくし抑圧から解放される人々が増えてゆくことで、Tシャツの彼がほころぶことだろう。

※1.これはこの映画を観ると特にそう感じます:« 映画録 「ぜんぶ、フィデルのせい」’080707

※2.オッサンは、カストロよりゲバラの方が思想的に社会主義が濃いという立場であります(参照:現代史考 キューバ・カストロ '080603 )。

2008年8月 7日 (木)

読書録 内田洋子「破産しない国 イタリア」 ‘080807

数年前に訪れたナポリ駅前の歩道に延々と佇む現地人の群れとその空ろな視線を思い出だしながら、内田洋子著「破産しない国 イタリア」(平凡社新書)を読んだ。ここまでイタリアの現実に踏み込んだ本がかつてあっただろうか?と、大してイタリアの本を読んだことがないボクは勝手に叫んでしまった。

断っておくが、この本は世に氾濫しているイタリア礼讃本ではない。イタリアの数ある世界遺産やリゾート巡り、グルメ三昧しか目にない表面のイタリア好きの方には、ぜんぜん面白くない本だろう。そんな方々が読んだら、「まぁ、イタリアをこんなに悪く云うなんて」と非難されるに決まっている。ここには生身のイタリアが描かれている。そういう意味では、この本は真のイタリア好きに読まれるべき本だろう。

まずタイトルに愛がある。イタリアに行くと気付くのだが、この国はいったいどう廻っているのか?と不思議な気分になることがある。冒頭に書いた主要駅に佇む男たち、落書きだらけの壁、落とし放題の犬の糞、道の真ん中に駐車している車クルマ車、そして街中に突然現れる古代ローマの遺跡・・・本当にどうしてこのイタリアが破産しないのかが不思議になるくらいの情景である。しかし、それは日本人の常識から観たイタリアなのだ。

著者・内田氏は、イタリアの様々な事実を物語り調につづり、大変読みやすくかつわかりやすくまとめてくれる。そこにはイタリア人への愛に満ち溢れている。離婚、学校教育、違法建築、公共医療の実態から、サルジニアの誘拐ビジネス、車社会、コネ、移民、母親礼讃、脱税、性生活、年金そして食・・・よくぞここまで書けるものだと感心する。これぞ「痒いところに手が届く」本である。イタリアに行くのに、この本を読んでからか、そうでないかは、見えるものが全く違うのではないか?特にイタリアへの旅行ではなく、住もうとするヒトには必読の書であると思う。

著者は、外語大の伊語学科を卒業されたの後、イタリアに渡られ彼の地の新聞社に勤められた、まさにイタリアの現実を目の当たりにされた方。流石に新聞記者だけあって細部への目の配り、そして各エピソードの後にしっかり解説が並ぶ、簡潔かつ納得の構成。他の著作も読みたくなった。

しかし、ふと思う。伊語学科を選考されるまで、彼の国のこんな実態をまさかご存知ではなかっただろう。そしてそれを知らされたときの驚きと幻滅はいかがばかりだったろう。そしてそれでもイタリアに住んでとことん知ってやろうと思われた決意。そしてさらにあからさまになる現実に開き直るように展開する「まさにイタリアの真の姿!」。そこにはイタリアを愛して止まない著者の心が見えるようだ。

そして思う。この本に書かれた各エピソードにかなり似たことが、この日本にもたくさんあるように感じたこと。「破産しそうな国 日本」をぜひ、イタリア目線で書いて欲しいものである。

2008年7月28日 (月)

読書録 大泉光一「バスク民族の抵抗」 ‘080728

ETA・・・「バスク祖国と自由」という民族解放組織または民族主義過激派について書かれた本・大泉光一著「バスク民族の抵抗」を読んだ。読みやすくわかりやすい、まさに一気に読んでしまった。

世界中の各地域に「民族」という単位、集団が存在する。日本も「日本(大和)民族」と言う一カテゴリーで語られることが多いが、厳密に言えば、北海道の先住「アイヌ民族」と、琉球列島に住む「琉球民族」は、独立して考えた方が良いだろう(※1.

さて、バスクである。スペイン北東部とフランス西部からなる地域だが、世界の言語体系からみて隔絶した独立言語であることと、身体的にも周囲のラテン系民族と違いが見出せるというバスク民族。なぜ世界の民族解放運動の中で、北アイルランド闘争と並び称されるほどの過激な運動が継続されているのだろうか?この運動をぜひ知ってみたいと考え、この本を手に取った。

著者の大泉氏のことをボクはまったく知らなかったが、メキシコのIEU経営大学院を終了された方で各地の高等教育機関で教鞭をとられた方とのこと。この本を読んで、日本にもラテン世界にこんなに明るい方が居たのだなぁと、正直びっくりした次第。とにかく、ETAについて詳しい。そして簡潔な文章でかつ読みやすい(ETAに肩入れしていないところがまた突き放した客観性がある)。

なぜ、ETAの活動が過激に見えるのか?・・・この本でかなり理解できた。ETAはバスク地域の独立を目標に、政治・軍事活動を行うために’50年代末期に設立された組織であること。その過激な活動の源泉は、やはり歴史上悪名高いスペインのフランコ独裁政権下で、バスク語の使用を認めないというバスク民族自体が徹底的に否定・弾圧された歴史があったことからなのだということ(※2.。そしてその後民主化されたスペインの政権のことごとくが、マドリッド中心の「スペインは一つ」の政治方針を一貫して変えていないこと、またスペイン治安及び軍部に脈々と「民族主義つぶし」の闇の系譜(※3.があり、ETAはこれとも闘って来ていることなどから、彼らの闘争が過激に走らざるを得なかった環境が見えてきた。

確かに、ある日「日本語を使うな」と言われ、「子供も**語のみの教育とする」などと強制されれば、日本人だってきっと「日本・祖国と自由」を作るヒトたちが出てくるのではないだろうか?

また、ETAは対スペイン政府という図式の中で、主にフランスのバスク地域を本拠地にして潜み、スペイン側で出撃していたこと、そして近年になってスペインとフランス当局が連携を深め、フランス側地域での摘発が活発化し、ETAの従来の活動方式が使えなくなったことで国際化が進んだこともわかった。

しかし、悲しいかな、政治・軍事闘争には路線対立が伴う。これまでの経緯の中で、多くの分裂、批判、そして内ゲバなどを経験しており、またさらに無差別テロによる一般市民への被害も多く、その正当性自体も揺らいで来て、バスク民族の中でも批判されていることも理解できた。

ここで思うのだが、そもそも国家とは何だろう。スペインでは、バスク以外にもカタロニアやガリシアなどの地域で分離独立の運動が昔からあり、マドリッドの中央政府は自治政府を開設しても独立は一貫して認めていない。なぜだろう?分離独立運動を抑える治安組織の維持費や被害の方がデメリットではないのだろうか?中国やロシアでも多くの分離独立運動が攻撃されているが、中央で政治を動かす人間たちは未来永劫中央が地方を押さえつけて行けると本当に信じているのだろうか?これは単なるエゴではないのか?

「軍事テロはけっして許されることではない」と正論では云えるのだが、言語を封じられ搾取・抑圧されてきたと思っている人々には、そんなきれいごとは通じないだろう。しかし、いつまで傷つき闘い続けるのだろうか?それではいつまでも不毛のままだ。

'04年3月のマドリッド・アトーチャ駅での連続列車爆発テロ(※4.の際に、それまで過酷にETAを封じてきた時の右派政権が大した捜査もせずに「ETAの仕業だ」と決め付けたことがあった。その後イスラム過激派の犯行であることがわかり、民意は政権から離れたが、やはりマドリッドの中央政府には、確信犯的にバスクの独立を認めず犯罪者として見なす思想があるように感じられる。この思想を乗り越えてゆかない限り、ETAの活動はなくならないだろうと、ボクは思うのだ。

今回読んだ「バスク民族の抵抗」の裏表紙に作家の逢坂剛氏がことばを寄せている。その最後に「ETAに関するこれ以上の日本語文献は、当分現れないことを保障する。」とある。この本が出版されたのが’93年。それから15年が経つが、この「バスク民族の抵抗」を凌駕するバスク民族及びETAに関する本は出ているのだろうか?

なお、余談だが、世界の解放闘争組織の日本語名称の中で、この「ETA:バスク祖国と自由」は、かつて南アフリカ解放闘争を闘ったアフリカ民族会議の軍事組織「民族の槍」と並ぶセンスある名称であるとボクは思っている。

1.琉球語は現在方言として捉えられる向きが多いようだが、大和ことばと華北語、台湾語との関連性も含めて独自言語として考えた方がいいように思える。

2.フランコがクーデタを起こした時に、バスク地域は自治が行われていたこと、そして中央政府の人民戦線内閣に近かったことなどから、フランコ軍からが「敵」にされたという歴史的背景がある。

3. GAL:スペイン内務省が組織したETA活動家を暗殺するための右派軍事組織であり、構成は世界各地から集められた傭兵。

4.http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3%E5%88%97%E8%BB%8A%E7%88%86%E7%A0%B4%E4%BA%8B%E4%BB%B6

2008年7月13日 (日)

読書録 アンリ・ウェベール「娘たちと話す左翼ってなに?」 '080713

「娘たちと話す左翼ってなに?(現代企画室刊)」を読んだ。大変興味深い本だった。

この本のコンセプトは新鮮だ。フランスのアンリ・ウェベールという政治的に社会主義の立場にいる父親が、ノンポリの娘たち(15歳と13歳の二人)からの「左翼ってなに?」という質問に、問答形式で答える、それもドライブに行く車中での会話という形式をとっている。これがすこぶる素朴な会話になっている。決して娘たちを説得しているのではない姿勢がいい。ボクは政治の姿勢を他者に話すことってとっても難しいと普段から感じている。この本が“目からうろこ”的に感じた読者はオッサンだけではないと思う。

そもそも自分は右翼なのか左翼なのか?自民党に投票してるから右翼なのか?共産党はヒダリ?社民党は?じゃぁ、民主党は自民党と対峙するケースが多いから左翼なのか?USでは共和党が右だから民主党は左なの????この本を読んでみると、ことフランスの政党に限ったことだが、政党の立ち位置が左右の軸で重複していたり、歴史的に「左右」という軸自体の移動が大きいことがわかってくる。

自分の左右なんてわかってなくても生活できるし、選挙にも投票できる。だから関係ないと考えているヒトは多いと思うが、国会で議論するのは政党の代表者であり、彼らが政党=集団で意見を持って意見を闘わせるのだから、その政党に所属したり推薦された立候補者に投票したのなら、その政党がどんな主義主張を持っているかを知ることは重要なことだと思う。

ひとつの選挙の時だけわかったようなテーマを掲げて選挙戦を闘い、それを鵜呑みにして投票すると、往々にして国会での議論が困ったことになるし、勝ち過ぎた政党が出たりすると「俺たちの全ての主張が認められたんだ。少数政党の意見なんて聞いてられるか」と議論すらしない状態にも陥る。前回の衆議院選挙のように「郵政民営化」を前面に出して、あたかも郵便局が民営化しないと日本がつぶれるかのように喧伝して、なんだか判ったような気になって自民党に投票したヒトたちのなかにも、地元の郵便局がなくなることになってびっくりしたヒトも多いのではないか?政党は選挙に勝つことを主眼に置くことが多いので、その時だけ信じてもらえればいいわけだ。あとから「そんなはずはなかった」と文句を云ってみてもすでに遅いのだ。国鉄や電電公社の分割民営化の時や昨今の地方自治体の集約化でも、いろんな面で不便になったヒトは多いはずだが、その政策は選挙で勝った政党が推進したもので、しかも不便になったヒトの多くがその政党に投票したヒトだろうから、文句も言えないだろう。これがまさしく「後の祭り」だ。

選挙時だけのリップサービスを鵜呑みにせず、政党の日々の行動や議会での発言に敏感になり、個々の政党の何を支持し何が受け入れられないか?を判断することで、自分の政治姿勢が判り、支持政党がみつかることが多いのではないかと思われる。

また、この「娘たちと話す左翼ってなに?」は、父親と娘たちの話す内容から、フランスの'04年の政治情勢や政党や政治姿勢が歴史的にどう行動しどう国家運営に果たしてきた姿が詳しく判ってくる。ある意味フランス政治史の勉強にもなっているのだ。この娘たちも成長するにしたがって、歴史的にも各政党が行ってきた行動や発言や現実の姿から、将来自分がどんな国=どんな政治姿勢でありたいか、を考えて政党を選ぶことになるだろう。

なおこの本は、例えばマルクスやレーニンの本を読まなけりゃ左翼じゃない、などとは書いていない。要するに自分がどんな社会、どんな国であるべきかという思想=立ち位置によって、政治の左右が決まるのだということが判ってくる。

「私は無党派層だから」と政党支持なしを良いイメージのように思っているヒトは多いのではないか?でもそれが政治への無関心につながり、その場しのぎの宣伝文句(広告や広報(PR)の代理店が作ったキャンペーン標語)に付け入られ流される隙間を作ってしまうのではないか?もしかしたら「支持政党なし」って無責任かも知れないと感じられたりした。

自分の政治的な左右の位置はどこなのか?改めて考える機会を与えてくれる本に出会ったと云える。「支持政党を持つことって大切なことかもしれないなぁ。

2008年7月11日 (金)

読書録 「Media Monoliths /世界を制した20のメディア」 '080711

たまにはこんな本も読んどかなきゃと取り組んだ本が、「世界を制した20のメディア」。サブタイトルに「ブランディング・マーケティング戦略」とあり、原題は「Media Monoliths 」と云うそうだ。

現在、世界を代表する20のメディアをマーケティング手法を中心に書いた本。TVから始まり、新聞、雑誌、通信社と、普通のヒトでも名前だけは一度は聞いたことのある巨大メディアばかりが登場する(※1.)

この本、大学で新聞学科に入ったりメディア論を専攻した学生には、入門書としては合格点だと思った。また、一般人でも外国のメディアに興味を持っている方には楽しめるのではないかと思う。しかし・・・

専門書として深く知ろうと思った読者にはかなりの肩透かしを与えかねない。各メディアの成り立ちや道のりをさらっと書いて、マーケティング戦略にも触れて、なかなか興味深いが、それ以上では決してない。書籍注文サイトの投稿書評などのもあったが、個々の記述が少なすぎて物足りない印象があった。

日本のメディアを採り上げていないことは、朝日や日経、読売など日本メディアの海外版が日本国内と海外でも日本人以外ほとんど読まれていないことから、仕様がない。ただ最後の「日本語版によせて」で、朝日新聞に言及しているところなど微笑ましく、しかしそのサービス精神が逆に日本語版発行への媚のように感じるのはひねくれだろうか。

各メディアについてしっかり勉強していないボクには、特に英国以外の欧州メディアについての情報が新鮮だった。特にスペインのエル・パイスが'76年の創刊であること(※2.)や、ドイツのツァイトの創刊が第二次大戦後の連合国側の敗戦対策事業の一つだったこともなど、新聞好きを自認するおっさんには興味深かった。

注文をつけるとすれば、①20メディアを採り上げるのはいいが、各情報量をもっと欲しかった。②文中写真や図がわずかにあるのみで面白みが少なく、デザイン的な工夫が欲しかった、という点だろうか?ボクが編集していたら、もう少し工夫しただろうに、などと思ったりした。

最後の章に「メディアモノリスになる7つの法則」があるが、まとめるのはいいのだが精神論ぽくて真意が伝わらず、残念だった。読者はこの章に達するまで各メディアの文章に接してきたわけだから、もう少しイキのいい言葉や表現が欲しかった。狙いはよかったと思うけど。

他の統計に先進国の国民が信頼できるメディアのジャンルはとの問いに、日本人が突出して「新聞」への信頼度が高かったと記憶している。日本ではTVや雑誌に比べて比較的新聞が健全な報道機関として認知されて来たという経緯があるが・・・日本のメディアは果たして健全だろうか?と、中曽根から小泉にかけての格差社会増幅をメディアが担ったように感じられるボクは、ふと心配になる今日この頃である。

※1.採り上げられた20メディアの内訳:TV(CNN、BBC world、MTV)、新聞(The Times、Financial Times、The Wall Street Journal、International Herald Tribune、The New York Times、El Pais、Die Zeit、Corriere della Sera、Liberation)、雑誌(TIME、National Geographic、PLAYBOY、Paris Match、The Economist、VOGUE)、通信社(Reuters、Bloomberg)

※2.前年の'75年に「長生き独裁者=フランコ」が死亡している。

2008年6月22日 (日)

読書録 吉田一郎「世界飛び地大全」 '080622

こんなに読むのが楽しく、読み終わるのが残念な本がかつてボクにあっただろうか?

ボクは今日、約半年かけて「世界飛び地大全(吉田一郎著、社会評論社刊)」を読み終えた。いや、読み終えてしまったと云った方が良いかもしれない。

この本は、世界の地図上にある「飛び地」について探索した本である。現存、過去の飛び地、植民地など、地理的、政治的、歴史的な情報を、各「飛び地」ごとに数ページに亘って記述してある本である。歴史的地図マニアにとってバイブル的存在になった書物であろう。

ボクは地図マニアである。相当なお金と時間と体力がなければ、世界中を旅することなんて出来ないことを認識しているので、往々にして「旅」は空想の中で繰り広げられる。そしてその重要なパーツは「地図」ということになる。地図との出会いは、小学校の教材である帝国書院の地図帳だったと思う(併せて山川出版の世界史年表も、地図の部分がすきだった)。強く印象に残っているのは、中国沿岸の半島の先っちょにポツンと並ぶ香港・マカオ、それから地中海の出口の、ジブラルタルとメリリャ、セウタ・・・いったいここはどうなっているのだろう?と(※1.)。以来、詳細な世界地図や国別地図を見るにつけ、飛び地や怪しい地形を探して、一喜一憂したものだ。40を過ぎた今でもやめられないどころか、相変わらずの至福の時間である。

しかし、さすが上には上がいるもので、世界の飛び地の由来を研究して本にしてしまった方がいた。たしか新宿のジュンク堂でこの本を見つけた時のドキドキワクワク感はここ十数年なかった瞬間だった。430頁に及ぶ辞書並みの厚さで\2,400也。地図好きにはなんと手頃な値段だろうか。半分くらいの厚さにして、各項目をもう少し充実させて、三刊くらいに分けて出版してくれてもよかったのではと思うくらいの満足度である。

著者の吉田氏は、埼玉県の大宮で育った方だそうだが、旧の大宮市と浦和市と与野市が無理やり合併して政令指定都市「さいたま市」を作ったのに個人的に反旗を掲げ、大宮市再建を願い「大宮市亡命市役所」なるサイトを立ち上げられ(※2.)、さらにはその活動が評価されて(面白がられ)か、現在さいたま市会議員もされているとのことである。また、同じ著者が運営していると思われるサイトに「世界飛び地領土研究会」があり、こちらは日々更新もされている(※3.)

外国を旅すると、当たり前のように国境があり、それを越える際には検問を体験することがある。ボクは数年前、オーストリアとスロバキアの国境駅で審査されたことがあり、その時は自動小銃を下げた警備隊員が列車外での隊列を見てかなりドキドキした覚えがある。この他、列車内ではドイツ-ポーランド間シュチチェン付近とスロベニア-クロアチア間で、国境駅ではチェコ-ドイツ国境のジッタウやスイス-ドイツ国境のシャフハウゼンの各駅で検問を受けたことがある。特にシャフハウゼンはライン川北側に突き出たスイス領で、第二次大戦中はドイツ領と間違われて空襲にあった街であり、またここにはドイツの飛び地:ビューシンゲンもあるという複雑な国境地帯になっている(ここに挙げた検問地は、その後のシュンゲン条約の拡大でいまはパスポートチェックが消滅したり、EUの拡大で簡素化されていることだろう)。

飛び地とはなんだろう?陸続きなのに簡単には行き来できない場所など、日本では体験できない。いったいどんな理由で成立したのか?かつて植民地が世界中に広がっていた時代から比べれば、かなり少なくなったようだが、その地域に住む方には大変申し訳ないが、緩い形で「飛び地」が残ってくれたるのがうれしいなぁ、とすごく勝手であるが思ったりするオッサンであります(パレスチナのガザとヨルダン川西岸のようにイスラエルの意地悪で住民が行き来できないような飛び地はぜひ解消して欲しいと強く願う)。

この「世界飛び地大全」をこの半年、一話づつ読んで、とうとう終わってしまった。読み終えてうれしいがめくるページがなくなって寂しい・・・吉田氏には過去の飛び地の更なる研究と発表をお願いしたい。・・・個人的には統一が遅かったドイツ、イタリア等欧州の近世の領土変遷の研究をぜひお願いしたいところであります。

※1.日本国内の飛び地として有名なのは、和歌山県の北山村だろう。この村は全村すべてが和歌山県に接していない。奈良県と三重県に挟まれた完全な和歌山県の飛び地だ。全国に他にも多数の飛び地があるが、近年アホな自治行政=y行過ぎた地方自治体の市町村合併政策によって飛び地が全国各地に多数生じている。

※2.http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/3440/

※3.http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/2917/

2008年6月 7日 (土)

読書録 堀淳一「ドナウ・源流域紀行」 '080607

堀淳一氏の本が好きだ。

氏の「ドナウ・源流域紀行 ヨーロッパ分水界のドラマ」という本を昨日、読み終えた。この本はタイトルの通り、欧州の大河・ドナウ川の上流部であるドイツ南部の源流域を訪ねた紀行文だ。

これまでいくつかの堀淳一氏の著作を読んできたが、この本は再びの発見だった。

ドナウ川と云えば、ブダペスト、ベオグラードを流れ黒海に注ぐどちらかと云えば“東欧の大河”というイメージだったが、そうかその深源流部はドイツ南部なのだと改めて気付いた次第(※1.)。特に昨年('07)年の秋に、まさにこの源流域:ティティゼー・ドナウエッシンゲン・ウルムを鉄道で旅したものだから余計関心が高まった。

ライン川との分水界の歴史的な移動や河川の発達、また石灰岩による地下の分水という地理及び地質学的な興味をそそい、かつカソリックとプロテスタント両勢力の最前線であったことやケルト、ローマ、ゲルマンの民族史をも想起する、まさに地理好き、歴史好きのアドレナリンを沸騰させる内容であった。ドイツ南部を「ロマンチック街道」という和製概念で捉える向きがあるが、同書は全く違う視点で鮮やかに、バロック=ドイツを浮上させている。

「個人的な嗜好とイメージに過ぎないが、私はライン川の漂わせる何かゲルマン・ロマン的-ベートーヴェン・ワーグナー的に人を押しまくる情念よりも、ドナウ川ののびやかさ-苦悩も憂愁も歓喜も悦楽もモーツァルト的に渾然とうたい上げてしまう軽やかさが好きだ。そして、そのドナウが、ドイツを代表するような顔をいているラインに比べ影が薄いのを、つねづね歯がゆく思っていた。」

失礼を承知で、同書の氏のよる「あとがき」を抜粋させていただいた。まさに同感、まさにこの思いこの興味欲求に突き動かされて旅立たれ、同書は書き貫かれていると思う。氏の手書きのメモ地図も楽しい。

堀淳一氏は北大の物理学の先生だった方で、一般的には'72年に「地図のたのしみ(河出書房新社刊)」で日本エッセイストクラブ賞を受賞したことで有名な方だが、地図好き、鉄道好き・・・特にローカル線やトラム好きには大家という存在感だろう(宮脇俊三氏が鉄道紀行の大家であるのと比肩するとボクは考える)。

地図好きにとって堀淳一氏の存在ほど特別な方はいないのではないだろうか?氏の著作で地図やローカル線やトラムを好きになったり、好きであることに覚醒したヒトは多いと思う。

オッサンの手元には三冊の堀淳一著作がある。「ヨーロッパ軽鉄道散歩(河出書房新社・刊)」、「ヨーロッパ軽鉄道の詩(スキージャーナル・刊)」、「消えた鉄道を歩く(講談社文庫)」・・・近日中に再読したいものだ。また他の氏の多数の著作を読んでみたくなった。

なお、「ドナウ・源流域紀行」 の発行元は東京書籍である。いつも間にかこの出版社の本が書棚を埋めている昨今である。

※1.欧州を語る際に冷戦下の旧東西陣営の影響図を思い浮かべ欧州を二分してしまうが、ドイツ、スイス、オーストリア、チェコ、スロバキア、クロアチア、スロベニア、ハンガリー、ポーランドは「中欧」にして良いように思う。ボスニア・ヘルツェゴビナが微妙だが、ここまでは入るのではないか?ということになると、この地域は旧ドイツ+旧オーストリア・ハンガリーの範囲になるかも。

2008年6月 2日 (月)

読書録 大森実「ホー・チ・ミン」 '080602

子供の頃から本を読むのが好きだった。

小中高時代、ずっと図書委員を進んで引き受けるくらい図書館にいること自体が好きだったが、とにかく本を読んだ。中学時代は創元推理文庫のバロウズのSFもの。高校では立原正秋が好きだった。

高校を卒業する頃まで、図書館の本がズラリと並んでいる様にドキドキしていた。停学を食らっても図書館には居た。大学に入ってから、ふと「こんなに本があると何年生きても読み切れない」などと、当たり前の事実に気付き、読書で挫折を感じたりもした。

ここ10年くらいの年間平均読書量は毎年30冊くらい、ここ2,3年は増えて50冊位読むだろうか。毎週一冊くらいの頻度だになる。年間100冊以上読むヒトもざらに居るだろうから、ぜんぜん自慢にはならないが・・・

決まりごとは二つ。まず、同じジャンルを続けて読まないこと。例えば小説の後に新書やノンフェクション、紀行ものを読むなど。もうひとつは、時のベストセラーを読まないこと。森永卓郎氏の「年収300万円時代を生き抜く経済学」も先々週ようやく読んだ。身につまされる思いで読んでしまったが・・・

先週読み終わった本は、大森実 著「ホー・チ・ミン」。'70年代後半に講談社から出版された「大森実 人物現代史シリーズ」全13刊の一冊で、地元の図書館で見つけたものだ。

ボクは「尊敬するヒト」と聞かれたとき、何人か名を挙げるうちのひとりとして「ホー・チ・ミン」を挙げる。フランスの植民地から祖国を解放するために生涯をかけ、日本の占領にも中華民国の野望にも耐え、そしてUSとの統一戦争も指導した。彼の人生はまさに尊敬する以外のなにものでも無い。彼のゲリラ戦や耐久戦略など政治的なメッセージなどには触れたことはあったが、これまで彼の年代記を読んだことは無かったから、その人生の逞しさには触れて、改めて全面的に降参した次第。彼はまさしく忍耐と努力のヒトだったのだ。彼なくしてベトナムの統一は無かったのではないだろうか?

さらに、大森氏の著作は初めて読んだが、その内容の濃さと読みやすさに驚いた。氏は毎日新聞の元辣腕外信記者で、ベトナム戦争中に実際単独で北ベトナム取材を敢行したことが時の自民党政権から圧力がかかり、結局毎日新聞を去ることになった(※1.)ことも初めて知った。まだこの一冊しか読んでいないが、こんな記者、今の日本のジャーナリストにいるだろうか?

何年生きても知らないことばかりだということを改めて知らせてくれる読書。今は堀淳一氏の「「ドナウ・源流域紀行」を読んでいる。このことはそのうちに書こうと思う。

※1.毎日は読売よりは好きだ(特に記事に記者名が付してあるところ。読売は渡辺氏が引退するまで読む気になれない)。定期購読をしたこともあるし、旅先などではよく購読する。しかし毎日がかつての名声を失って行ったのはこの大森氏を守れなかった頃からではないだろうか?これは朝日が本多勝一氏についていろいろ云われても書き続けさせたことと決定的に違う点ではないだろうか?(もちろん本多氏が果敢に抵抗して朝日を辞めなかったと云うことかもしれないが)