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2008年11月 8日 (土)

ジャーナリスト想 筑紫哲也 '081108

筑紫哲也氏が亡くなった。素朴に悲しいと思い、素直にお疲れ様でした、ありがとうございました、と告げたい。

筑紫哲也氏をはじめて知ったのは高校時代でかれこれ30年ほど前のことだ。高校の図書館で購読していた「朝日ジャーナル」に出逢ったのだった。たぶん筑紫氏は当時編集部員だったのではないだろうか?後に彼は同誌の編集長になるが、その頃ボクは大学生。相変わらず毎週毎週読み耽ったことを思い出す。当時の友人と同誌の記事について毎週討論していた記憶がある。

筑紫氏の訃報を伝えるTVニュースは、彼を「日本を代表するニュースキャスター」としており異存はないが、ボクにはやはり筑紫氏は朝日新聞の編集委員であり、朝日ジャーナルの記者だった。彼は'78年にはTVのニュース番組のキャスターになっていたようだが、中高校時代のボクはほとんどTVを観ず、また中日新聞を購読することが義務のような地域に育ったので、朝日新聞という新聞に出逢ったのも高校の図書館が初めてで、そこで初めて筑紫氏に会ったのだった。

その後、TBSの「NEWS23」のキャスターとして登場し、そして特に「多事争論」という動くコラムニスト“”として、親しむようになる。ボクの精神に影響を与えた報道番組としては、NHKの「特派員報告」、TBSの「報道特集」、TV朝日の「ニュースステーション」、そして「NEWS23」である。20代から30代の頃は、残業して帰宅するとだいたい22時台、興味のあるニュースは「ニュースステーション」で知り、「NEWS23」で確認し、筑紫氏のコメントで理解したように思い出す。

筑紫氏の尊敬するところは、TVで全国的な知名度が上がっても印刷メディアを忘れなかったことだ。氏は、「貧困なる精神」の本多勝一氏らが中心になって創刊した「週刊金曜日」の編集委員として、やはり彼はボクの前に雑誌関係者として登場した。「週刊金曜日」の編集委員として現役のまま亡くなったのは、たしか久野収氏以来ではないだろうか。

また、氏は文化についてのコメントも多かった。朝日ジャーナル時代の広範囲な文化人への取材記事の掲載、「NEWS23」での季節毎の映画評論、CM評論など、とても興味深かった。

ボクは記者やキャスターに影響されてなんかいないと思って来たけれど、多分ボクは筑紫氏の発言や表情に相当感化されていたかもしれない。でも、それをこれまで悔いたことはない。

筑紫氏がUSの民主・オバマ政権についてどんなコメントを寄せるのか聞きたかった。そして、相変わらず迷走を続ける世襲自民党政権が続く日本の政治に直球を投げて欲しかったし、次回の衆議院選挙では日本人に“国の在り方”を問いかけて欲しかった。

ヒトはいつか死ぬ。年齢の長短を問わず、どう生きたか、が自分の自分への評価だ。筑紫氏は自分の人生を納得していたと思う。素晴らしいジャーナリストとして生きたのではないか。ボクは筑紫氏が好きだった。さようなら、そしてありがとう。