ボクは今40歳代半ばで、人生の後半の二十年以上をサラリーマンとして働いてきた。この間、今年の4月までの10ヵ月間とそれ以前にした転職の合間の4ヵ月間(2ヵ月を二回)の計14ヵ月の無職期間を除けば、ずっとサラリーマンとして会社から給料をもらい続けて生活してきた。何度か転職をしたけれど、運よくつながって働き続けて来れたものだと思う。転職も一度を除いて全て自分の意志で会社を辞めて、次の会社を探した。全て会社を辞めると宣言してから次の会社を探したという、甚だスマートでない転職だった。
昨夏の退職は心身ともにかなり参ってしまい、会社から「辞めて欲しい」と云われることを待っていたくらいだった(最後はかなりもめたけど)。失業手当(給付)をもらってしばらく養生しようという気持ちになっていて、会社を辞める時はもうまさに気分は“エスケープ”。逃げるように職場を去った形だ。あの会社に残ることは、人生にとって何のメリットもないと思えた。年内に次の職場が見つかればいいかな、いや失業給付期間いっぱい休んでしまおうか、と思うくらいの甘い気持ちだった。しかし、季節が秋に染まるころ、サブプライム破綻の影響深化とリーマン・ブラザース倒産の心理的ダメージから、「100年に一度の未曽有の不況(そんなこと誰がわかるのかね?)」などダミ声お坊ちゃま首相が喜んで解散しない理由で求人市場は笑えないほど急速に衰退し、ボクの再就職計画は一気に吹き飛んでしまった。
そんなバカなボクにも同年代の友人は少しはいる。
友人の中には学校を出て以来ずっと同じ会社に勤め続けている者もいる。ひとつの会社にそんなに長く居られるなんてと、ボクは羨ましくさえ思う。また転職経験のあるものも多い。特に手に職を持ったヒト、また比較的小さな会社に勤めている者に転職経験者が多いように感じられる。まぁ、小さな会社にも勤続十何年ってヒトもいるので、転職は所属会社の大小というよりは、性格の影響も大きいのかもしれない。社内や得意先の環境や運もあるだろう。
大学は違うがクラブ活動を通じて学生時代から知っている、あるデザイナーの友人がいる。彼が最近失業した。
デザイナーとして広告制作事務所を何軒か転職していた彼は、ここ数年はあるメーカー系のハウス・エージェンシーに所属し、TVや雑誌にも頻繁に登場する誰もが一度は目にしたことのあるメジャーな製品の広告の担当者として活躍していた。そんな彼が昨年、東京の事務所所属のまま、「長期出張」という形で親会社の本社がある街に赴任した。その親会社にとっては東京は出先。広告を出すメディアの大半が東京にあることから、宣伝セクションが東京に置かれていたという訳で、この世界ではよくある話。彼はその街でウィークリーマンションを借りてもらい、働きだした。
最初は3ヵ月の約束だったんだ、と彼は云っていた。
仕事内容に変わりはなく、本社の担当者と直接話し合う環境の中で仕事は推移したが、次第に彼と同じように関連会社の担当者たちがその街に集まってきた。その間、彼への約束は6ヵ月に延長されて行った。関連会社の他のスタッフの中には、各地の事務所を整理してほとんどの社員をその本社のある街に移したところもあった。事務所を畳んだ各地では現地採用の社員を解雇しているところも多いようだった。そしてこの春、彼には東京に戻る話がそもそもなくなり、「長期出張」は「現地で住んで欲しい」にすり替わった。長期出張という形では宿泊費と一部の食費、そして月に一度の帰省手当(彼の場合は東京に戻る費用)が支給されていたが、現地雇用化でそれも無くなり、しかも給与の削減も言い渡されたようだ。
親会社のメーカーとしては、この「転勤辞令」は業績悪化による当然の措置だったと思っただろう。多くの社員が転勤で日本全国はもちろん、海外の工場にも赴任していた。しかし、永年デザイナーの一線で働いてきた彼には、この新たな待遇を受け入れられなかった。給与は下がり、家も知り合いもいない街で暮せというのは、彼の選択肢にはなかったのだ。しかも、彼は東京生まれの東京で働くのが大好き男だったのだ。またそもそも期間を限定されての転勤だったのを延長の末に反故にされたという“約束違反”に耐えられなかったのだろう。このまま居ても待遇は良くならないかもしれない。いやそもそもこの街はボクの選択した街ではない・・・
彼は知り合いの広告制作会社をせっせと当り、ようやくひとつの事務所に行きついた。そこは今いるハウス・エージェンシーの前の事務所時代からの付き合いがあるところで、彼は転職後も仕事を紹介した経緯があった。「これで東京に帰ることが出来る」とホッとし会社に辞表を提出した(これはそもそも罠だったのかもしれない)。
しかし、会社を辞める直前に事態は急転した。
転職先の制作事務所から「業績が急速に悪化して、会社に迎えられる余裕がなくなった。今いる職員の何人かも辞めてもらうことになった」と。「採用」を告げられてから一ヵ月も経っていないうちの転回だった。
「甘かったかな」・・・彼は今必死に職場を探しているようだ。
実はボクも去年の秋に「内定取消」にあった中年だ。「じゃぁひとまず顔合わせも兼ねて3日くらいバイトで来てくれるかな?」と面接で意気投合した故郷のある会社の社長に云われ、初日には「採用予定の○□さんだ」と紹介された。忙しいので結局延長してその事務所で五日働いたのだった。4日目まで順調な雰囲気で、その日の夕方社長と専務と会談して「じゃぁ明日、入社日と給料を決めようか」という話になった。そして翌日・・・
社長と専務の顔が冴えない。何やらおかしな雰囲気を感じた。与えられた仕事は昼過ぎには完了して、後はボクの就職のことだけが残されていた。「ちょっと話そうか」と社長に呼ばれてビルの1階にある喫茶店に連れて行かれた。
「昨日、ひとつ大きなクライアントに契約延長はないと告げられた。小さな会社としては結構なウェートを占める業務だった。社員を切るわけにはいかない。申し訳ないがキミの採用は保留させてくれ」・・・
その後半年が経過したが、その「保留」について、何の連絡もない。
正直、東京を離れて故郷に戻ることに抵抗はそれほどなかった。両親も老いた今、近い将来、介護も予想される訳で、40歳代で故郷に職を移すことは正しい判断ではないかと思えたし、正直東京での暮らしにはほとほと疲れていた。大学進学以来、すでに四半世紀を東京で過ごして来たのに、そして住居まで購入しているのに、今だこの東京になじめない。どこに行ってもヒト混み、満員電車、騒音、行列を好み、東京は全ての中心と思ってはばからない多くのヒトびと、理不尽な犯罪の増加、指定日以外に捨てられる分別されていないゴミ・・・学生の頃は自分のために便利に作られている機械のように感じていた東京に、今は無理して暮らしているように感じられ、“負担を強いる街”に代わってしまっていた。そんな東京の街も、いやいや暮らすボクを必要としていないだろう、と。
唯一の懸念は、妻とは離れて暮らすだったが、車で4,5時間、新幹線を利用すればドアtoドアで4時間を切る距離だ。横浜に行ったって千葉や大宮にだって片道二時間近くかかる訳なのだからと思い、故郷でも再スタートを期していたのだが・・・
先日急に「明日の夜、呑まない?」とデザイナーの彼から誘いが来た。通い始めたばかりの会社を出る時間が毎夜21時を廻っていたし、その翌日は打合せ先に直行する日で、できれば呑み会はパスしたい夜だったが、彼の誘いだったからすぐに承諾した。ボクも失業中は多くの友人と時間を共有することで癒されたと自覚していたから、彼が望むことは受け入れようと思った。ボクの番だと。
しかし、翌日「休養したい。呑みは延期にして欲しい」とのメールが届く。「自分で誘っておいてそれはないだろう」と一瞬思ったがすぐに打ち消した。就職に有利なヒトとの吞み会でも入ったに違いない。ボクは話を聞くことしかできないし、励ますような適切な言葉も口にする自信がない。
同じ「内定取消」を受けた中年同士、今はわだかまりなど不要だ。死なないように生きなければ。いや、死んで亡くなるまでは、それが消極的であっても、ささやかに生きて行かなければと、確かめるように思うのだった。
彼の再就職が首尾よく進むことと、自らの職場での安泰を祈った夜だった。