俳優想 深浦加奈子 '080827
女優の深浦加奈子さんが亡くなった。TV好きの日本人には、彼女は“名脇役”として記憶されていただろう。しかし、ボクにとって彼女は、アングラ演劇界(もう死語?)に君臨した稀代のヒロインであった。
深浦さんは、かつて劇団「第三エロチカ」の看板女優だった。「第三エロチカ」は、明治大学の演劇部や演劇科の学生が中心に作った劇団で、'81年に「爆弾横丁の人々」で旗揚げした。オッサンは'84年の「ニッポンウォーズ(会場:下北沢・ザスズナリ)」から観始めた記憶がある。その後、'84年11月に「ジェノサイド(後述)」、'85年6月に「新宿八犬伝(同:新宿ABC)」、'89年4月に「近代能楽集(同:スペースゼロ)」の計4回観ている(※1.)。
特に印象に残っているのは、'84年11月の「ジェノサイド」だ。かつての赤坂国際芸術家センター、今は巨大なTBSのビル街化してしまった赤坂五丁目付近の路地の奥にあったもう失われた劇場で行われた公演だった。芝居の内容は詳しく覚えていないが、とにかく芝居全体を覆う猥雑さに満ちた圧倒感に目を見張った。というより恐れおののいた。この劇団の迫力はなんだ!オッサンは、床に直接体操座りしながら深浦加奈子を見上げ観た。彫りの深さをいっそう強調させたメイク、肩を怒らせ全身をゆすって叫ぶダミ声を今も忘れることが出来ない。彼女はまさに'80年代を代表するアングラ劇のヒロインの一人だった。
その後しばらく経ってから、彼女がTVドラマで活躍していることを知り、かなりびっくりした。ボクには深浦加奈子は同時代のアングラ劇のヒロインであり、彼女がTVドラマに出て、しかもコメディすらもこなすバイプレイヤーになるなんてにわかには信じられなかったのだ。彼女の存在はまさしく、'70年代で云う天井桟敷の新高恵子であり、68/71黒色テントの新井純であり、状況劇場の李礼仙だったのだ。
48年で亡くなるということが彼女にとって無念であったかどうかわからない(たぶん、もっと生きたかったろう)。しかし彼女が過ごした歳月は、ボクから観れば素敵な日々だったように思う。多くの日本人に綺麗で芝居上手な脇役女優として親しまれ、またボクのように、かつての演劇少年少女には、美しく猥雑なヒロインとして、ずっと記憶されることだろう。
また、深浦加奈子さんの若い死に接して、ひとつ思い出したことがある。それは、金久美子さんの死だ。彼女は68/71黒色テントと新宿梁山泊で活躍した女優で、'04年にやはり癌で亡くなっている。まだ45歳だったという。金さんの黒テント時代の芝居は観ていないが、新宿梁山泊は設立の頃から知っていたので、印象が深い。深浦さんほどTVに出ていなかったが、彼女は映画「月はどっちに出ている」などにも出ていて、その佇まいの美しさを覚えている方も多いのではないか。初めて金久美子さんを直で見たときに、オッサンは「こんな美しいヒトがこの世に居るだろうか?」と息を呑んだ覚えがある。
深浦さんと金さんは、ボクにとって芝居のことばかり考えて芝居を観まくっていたあの'80年代の、女優の美しさの両翼であったと思う。深浦さんの彫りの深い挑戦的な美、金さんの柔和で包むような美・・・深浦さんも金さんも共に舞台で生まれ、そして40歳代で亡くなった。もう彼女たちの芝居が観られないのかと思うと残念でならない。しかし、彼女たちの素晴らしい舞台を観ることができたのだという感慨はある。
※1. 蛇足だが、'80年代の中ごろ、当時オッサンはとある大学のアングラ劇団に所属し、ポスターやチラシ、集客などの「制作」を担当していた。第三エロチカの演劇そのままの猥雑でわかりにくいチラシにはオッサンは、好感が持てなかった。
・・・惜しいヒトが亡くなる時、ムショクでただ生きているだけのボクが大した病気もせずに過ごしていることに、なんだか申し訳ないような気がしてくるのだ・・・

