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2009年5月の28件の記事

2009年5月31日 (日)

漫画録 朔ユキ蔵「ハクバノ王子サマ」 '090531

ボクに思春期の「がきデカ」と「俺の空」に出逢って以来のHな衝撃(※2.)を与えてくれた「つゆダク」の作家・朔ユキ蔵の「ハクバノ王子サマ」10巻を読んだ。う~ん、なるほど~。

まず「つゆダク」の何がボクにHな衝撃を与えたのか?それは多くのTV好きには堪えられない芸能界の闇(笑)のHな世界に、これまた闇の牙城であるTV局の職員たる主人公が、H(挿入)はしてもいいが発射(忌野清志郎風に!)してはいけないといく過酷な使命を帯びて、Hなタレントたちと明るくヤリまくるその奇想天外な展開に驚き、そして登場する女の子の豊かでかわいらしい姿態表現に興奮したのだった。ボクはBOOKOFFに「つゆダク」の古本が並ぶのを日々眺めながらなかなか集まらない焦燥感に悶えたものだった(※3.)

その朔ユキ蔵の次回作となればもう、Hエッチの連続かと思いきや、なんと恋愛心理劇・・・やられた!前作「つゆダク」なら当然100回はHしてるはずのボリュームになんとHは2回しかしない。これは作者としてはかなりの賭けだったと思うが、作品としてはかなりの成功を収めていると思った。

Hとは行為そのものだけでなく、“したい”と願う瞬間のそのものなのだ。

Hの絡みの塊のような漫画「つゆダク」にはなかった男女の「愛」が、この「ハクバノ王子サマ」には在る。Hは愛と切っても切り離せないものなのだ、だからみんな悩むのだと、なんと全10巻も伸ばしに伸ばして切って成就する。うん、これは朔ユキ蔵の底力だろうと思う。または朔に「つゆダク」と「ハクバノ王子サマ」を書かせた小学館の担当者がすごいのか。

この話の内容は、先に恋愛心理劇と書いた。そう、新任教師と、赴任した学校で年上の独身教師がお互いを意識しながら、激しく惹かれある。しかし新任教師には海外留学中の婚約者がおり、挙式も決まり諦めるしかない。また年上の独身教師にはかつて不倫した相手が同じ学校に居て相変わらずアプローチを駆けてくるし、新任教師の妹も在籍していて、兄と年上の独身教師との中を正義漢のようにひたすら疑う。新任教師の友人たちも、年上の独身教師の同僚や友人たちも結婚についてひたすら刺激する(ボクにはこの漫画に登場する名古屋弁のHな子だくさん野郎とそっくりな友人だがいる)。

たかが一組の男女がいろいろ悩み悶えて打ち解けるまで何と漫画で10巻延べ2000ページにもわたって書き繋げる逞しさ。これは村上春樹の「ノルウェイの森」的な、そしてグレアム・グリーンの「情事の終り」的な、エロチシズム溢れる作品に感じられた。

余談だが、ボクの知人(かつては友人だったが最近疎遠なので)にこんな奴がいる。大学の2年下の同郷の彼女と付き合い(そのため留年までした)、就職のため1年先に故郷の会社に就職し、彼女の帰郷を待った。翌年彼女も無事故郷の会社に就職しめでたく再開となるところで彼は海外転勤、結婚を約束して渡航・・・学生時代の濃密な3年間、そして遠距離恋愛の3年間を過ごし、いよいよ挙式まで半年と云うところで破談・・・男は帰国後日本の職場で同僚となった女性と急速に親しくなり、学生時代以来の彼女との恋は終止符を打った。

ふたりが結婚を決めたのは、濃厚な3年間の学生時代の思いを実らせたかったのだろう。しかし、余りに離れた時間が長すぎたし、就職してから別々の職場の人間関係の中で育まれる思い・・・簡単に云えば新しい異性との出会いの方が遥かに魅力的だったのだろう。結婚を破談された女性の気持ちはいかがばかりかと思ったが、これもヒトの不可解な思いの成せるドラマだろう。男と女なんてそんなもんだろう。

さて、先に「つゆダク」と「ハクバノ王子サマ」を書かせた小学館の担当者がすごいのか、と書いた。ボクは「つゆダク」に出逢って衝撃を受けたのち、作者のそれまでの作品を一通り読んでみた。「夢のような」、「モウソウマニア おんなのこ」、「無軌道メルヘン」、「チマタのオマタ」、「少女、ギターを弾く」。 「無軌道メルヘン」以外は今も所蔵している。初期の「夢の・・」はカット割りなどに無駄が多い、が女性の肢体の描写は独特な美しさがあり、現在にも引き継がれている。また無感情で過激なSEX描写は「つゆダク」登場まで一貫している。エロではあるがそれほどそそる漫画ではない。後の二作品完成度とは比べるべくもないが、それはそもそも作品の目的ではなかったのだからいたしかたない。しかしこれらの作品を読みながら、「つゆダク」に昇華させる可能性を見出した担当者の先見に拍手を送りたい。誰だか知らないが、その担当者なくして「つゆダク」も「ハクバノ王子サマ」もなかっただろう。

最後に、作者・朔ユキ蔵が女性らしいと最近知るに及んで、またまた興味が増した今日この頃である。どんな女性なのか?今後の作品にも妄想が膨らむ。ひたすら・・・

※1.「がきデカ」・作:山上たつひこ・'74年より週刊少年チャンピオン(秋田書店)にて連載

※2.「俺の空」・作:本宮ひろ志・'75年より週刊プレイボーイ(集英社)にて連載

※3.「がきデカ」と「俺の空」の二作品から受けたHな衝撃は別の機会に書きたい

2009年5月30日 (土)

タレント考 草薙事件で見えたもの 090530

久しぶりに電車で東スポを拾ったので読んでみたら、草薙剛氏復帰の記事が・・・泥酔して公園で裸になって叫んでいたら警察に御用となったあの事件・・・復帰会見はフジTVで行われ、NHKと東スポが締め出しを食ったそうだ。ふ~ん、そんなんだ。

そもそもおかしな騒動だった。泥酔して裸になる奴なんて、毎日どこでも起きていることだろう。日本中の繁華街の交番のお巡りさんも「そんなこと事件でも何でもない」と呆れるような、笑っちゃうような話だ。罪状「公然猥褻罪」・・・くだらない法律だ。道路で道行くヒトに見せびらかした訳でもなく、電車の中でコートの下のチ*ボを見せた訳でもない。ただ広い公園で裸になってただけだろう。(列車のロングシートで化粧して平気な女の方や、ジーンズをお尻までだらしなくヨタヨタにずらしてる奴らの方がよっぽど「わいせつ」と思うが・・・)

でもそれは毎日TVに出てる有名人だったから、こんな騒ぎになっただけ。あぁくだらない。所轄の赤坂署で取調べされてるだけなら送検する時に出るだけだったのに、赤坂署が工事中だったから捕まったその日に原宿署へ移送され、まだ泥酔中の心神喪失顔をTVに撮られたりして、草薙氏も運がなかった。まぁ、それで「反省してね」「はい」で終われば笑い話だったのに。

と云う事で今回の騒動で個人的に見えてしまったことを書こうと思います。

①まず、警察が草薙氏の自宅を捜索したことがおかしい。泥酔をもしや薬物中毒かと疑ったのなら警察くん、それはちょっとやり過ぎ。警察官の披露宴や署長の祝賀パーティで繰り広げられる乱痴気騒ぎ(※1.)はどうするんですか?お固い仕事の皆さんの宴会時のノリのすごさは日本中が許してるお話。酒の泥酔で家宅捜索はないんじゃないの?警察官が酒酔い運転して捕まっても家宅捜索してよね。

②それからTV局。突然「逮捕」というニュースにTV局も慌てたのかもしれないが、自分からテロップ垂れ流ししといて「草薙容疑者」ってのも云い過ぎ。薬物中毒って疑いが出てくれば妥当かもしれないけど、明らかにただの酒のみの裸踊りなんだから・・・容疑者ってのは「疑い」でしょ?草薙氏が裸だったのは事実なんだから、「容疑者」だなんて大袈裟すぎ。どこの家にも家族の一人くらい酒で醜態さらすヒトはいるもの。もう少し寛大にしましょうよ。

大恥なのは自民党の鳩山邦夫アルカイダ大臣。このヒト、「簡保の宿売却阻止」で有名になったもんだからいい気になって、草薙氏が裸になっただけで「最低の人間だ」と偉そうにけなしてた。お爺さんが作った自民党出て新自由クラブ、無所属、新進党、旧民主党など転々として、都知事選挙に出たりで、結局恥も外聞もなく自民党にちゃっかり戻ってダミ声お坊ちゃま総理がお友達が少ないこと(※2.)をイイことに取り入って大臣になってる。とにかく目立ちたがり屋でわがままを絵で描いたような男。税金使ってローマで醜態晒してた中川アル中大臣やJR無料パスの愛人同伴旅行で動機不純使用の鴻池官能副長官など「公然猥褻」以上の変な奴ばっかりいる自民党に居るくせに、子供タレント上がりをバカにする資格はあんたにはない。たまには口を慎んで、法務大臣にでも戻ってせっせと死刑囚減らしでもしてたら。

④釈放された後の謝罪会見を生放送したNHKに抗議したジャニーズ事務所の奢り。「生放送お断り」って要請すること自体がそもそもオコガマシイ。受信料払ってないけどこの件ではNHKは偉い!と褒めたい。さすが「皆さまのNHK」である。これこそ報道の自由だ。ジャニーズ事務所、ナニ様だ。そんなとこに神経使う気があるなら、草薙氏を離し飼いにするなよ。今回の事態は事務所の管理不行き届きが問題の根。これまで彼でずいぶん儲けてるんだから、プライベートな日でも、後ろからちゃんと誰かがパンツ持った見張りくらい付けとけよな。

⑤これはもう語りつくされてるかもしれないが、草薙氏が泥酔した事件の夜に呑んだ相手が呑み屋の店員ってのが、シーンって感じ。たいして売れてないように見えるお笑い芸人だって、先輩に奢られ合コンやりまくって、Hしてフライデーされて離婚するってパターンなのに、草薙氏は呑み友達や彼女、居ないのかよって少々さびしかったな。たまの休みだったんだから、もっと周囲は気にしろよな。ボクで良かったら一緒に呑むのに。奢ってね。

⑥そして今日の東スポの紙面。改めて書けば、復帰会見はフジTVで行われ、NHKと東スポが締め出しを食ったということ。一番情けないのはフジTV。自社の番組擁護のさびしさ、ジャニーズ贔屓の浅ましさ、きっとジャニーズ事務所と裏でしっかり握ってたんだろうなぁ。NHKと東スポは今回の締め出しを“報道の勲章”として誇るべき。特にNHKは「自民党御用放送局」って陰口叩かれてる訳だから汚名挽回になったはず。昔、暴力団歌手・美空ひばりと対立したように、もうジャニーズと手を切ってもいい頃だろう。

⑦最後に短く・・・今日の東スポの紙面の草薙氏の記事の下5段の広告には・・・なんと某宗教団体の書籍広告が。「えっ?東スポに?」とびっくり。かつて東スポはこの宗教団体の政治活動を非難していたはずだったのに・・・宗教団体が悪いと云ってるわけじゃない。非難してたはずの相手の広告をいつの間にか平気な顔してしらっと載せてしまう「東スポ、お前もか」と少々嘆いてしまった夜であった。

ひとつのエピソードでこんなにもおかしなことが見えてしまった。

今後は草薙氏には今後パンツを3枚くらい履いてもらって脱いでも脱いでもパンツってことにするか、フルチンバー(公園可)で呑む前貼りか何かつけてもらって、どんどん酒呑んでいただきたいと願うばかりである。がんばれ呑み助!

※1.警察官の宴会はその激しすぎる内容に、一般人の2-300%UPは常識という噂も・・・いったい何してるの?

※2. ダミ声お坊っちゃま首相が人気ないのは当たり前、ユーモアのかけらもないのに偉そうにしてるだけだから。

2009年5月27日 (水)

ふと思う疑問 ミニスカートは覗いて欲しい '090527

最近の昼間は、五月からこんなに暖かかったっけ?と思ってしまう程の東京の陽気である。上着なんて着てるとシャツが汗ばむくらいだ。でも湿気はまだ低いし、夜はちゃんと涼しくなるから、ホッとする。

去年あたりからいたけど、今年は春からショートパンツの女の子を特に多く見かける。まぁ自分の美?脚を見せたいだろう気持ち全開なのは逆に微笑ましい。が、はっきり云って全然セクシーじゃぁない。まぁそんな女の子たちにはそもそもボクのようなオジサンは眼中にないだろうから、ま、好きにやってくださいってところかな。セクシーじゃないかわりに、ショートパンツの女の子たちは一様にスタイルが良い。そう見えるために努力してるのか?とんでもない奴はそんな恰好はできないのかな?

ショートパンツが多いのはきっと大学や専門学校の女学生なのだろうと察する(あんな恰好で会社で働けないでしょ?)が、女子の中高生たちは相変わらず超ミニスカートが多い。セーラー服のスカートをビザ上に限りなく付け根まで持ち上げている女子高生の中には、たまにとんでもなく似合わない奴がいる。確かにいまどき足元までスカートかける「スケバン(おー死語)」はいないだろうけど、それにしても顔・スタイルの良し悪しにかかわらず皆ミニスカである。

そこで、ひとつ疑問。というか、はっきり云いたいことがある。全国の老若男女の皆さん、女子高生のスカートの中は出来るだけ覗いてあげよう。ただし、手鏡突っ込んだり、靴先やカバンにビデオを忍ばせたりするのはご法度。どうしても耐えられないヒトはそう云うサービスしてくれるお店に行くか、さっさと捕まって牢屋にぶち込まれてください。

ボクが云いたいのは、わざわざスカート丈を短くしてるってことは、要するに“観て欲しい”証拠だと云うこと。「スカート姿は褒めて欲しいけど、スカートの中は見世物じゃないわ」などと嘯くだろうが、男はスカートの中も見たいのだ。ミニスカ見せて中を見せないのは道理にあわない。

例えば駅の階段やスーパーやデパートのエスカレータなんかで見上げると、当然のようにスカートの中が見える。たまにパンツも見えたりする。これはしょうがないことだ。傘を差してれば傘の下にいる本人は傘の中が見える、でしょ?ミニスカート履いて高い所にいれば、偶然下にいるヒトの目に入ってしまうのも。あ、いけないものを見てしまった、とこっちが恐縮してしまう必要はない。傘は中を見ないで、なんて言わない。わざわざそんなスカートを履いているのだから、見てあげましょうよ。でも中にはスカートの後ろに鞄なんかでお尻あたりを覆って「下から見ないでよ」って感じにしてる女の子がいる。でもそれって、おかしくないかい?ミニスカ履けば見えますよ。見えるものは見える。いやならミニスカ履くなって云いたくなるのはボクだけだろうか?

例えば、男がミニスカ履いてたら、観たい?ボクは見たくない。だから男は履かないのだ。見せるような代物ではない、と気付いているからだ(スコットランドのエジンバラやグラスゴーのエスカレータにはスカート姿のおじさまたちが乗っているのだろうか?・・・)。

男の多くは女の子のスカートの中に興味があるのは普通だと思うが、女は他人のスカートの中が見たいのだろうか?女は逆なだけで、これが性差だと思う。そんな短いスカート履いておいて、中はダメ、だなんて詐欺だと思う。しかもスカートの中はパンティじゃなくて分厚く黒いホットパンツ(ミセパンって云うんかい?)のようなものを履いていることが多く、たまにそれがスカートのすそから見えちゃうカッコワルお姉さんもちらほら。スカートの中はパンティだろう(少々酒が入っておりまして・・・)。と云う事で、スカートのなかは積極的に覗きましょう!と全国のみなさんに訴えたい。

ミニスカ履いてる女の子たちは、ミニスカの中を見てもらいたくてミニスカなのだ!

とボクは思う。だから積極的に見てあげないといけない。階段やエスカレーターでは積極的に上を見上げて、じっと眼を凝らそう。振りかえられて目が合ったとしても、目を逸らすことなく、じっと目線を跳ね返し、スカートの中に視線を凝らそう。ただし、手鏡で覗いたりビデオで録画したりするのは、自分の彼女だけにしよう。彼女のいない奴はそう云うお店に行ってきましょう。男がスカートの中に興味があるのは、犬が電柱や角の塀に小便をかけずにいられないのと同じ。本能を抑えてはいけない。観るのはタダだ!無実だ!

2009年5月26日 (火)

漫画録 藤原カムイ・大塚英志「アンラッキーヤングメン」 '090526

今日漫画「アンラッキーヤングメン」を読んだ。

高校生の頃、上前津の古本屋で黒い装丁の「子連れ狼」全28刊を見つけた時のような、ドキドキするような漫画にはもう二度と出逢えないだろうと、諦めていた気がしてた。でも、そうでもなかった。そう、今日「アンラッキーヤングメン」を読んだのだ。もう何ヵ月も前に中野のまんだらけで購入していたものだったが、今日まで読まなかったのだ。

あの日、ボクは高田馬場の早稲田松竹でケン・ローチもの二本立て(※1.)を観た帰りに、ほぼ半年振りに中野・まんだらけに寄ったのだった。偶然は重なるもので、この日ボクはこの「アンラッキーヤングメン」の他に、山本直樹ものを2冊購入していた(※2.)。映画の後にせっかく近くを自転車で通るんだからちょっとだけ寄ってみようかな、と余り期待しないで行ったのが良かったのかもしれない。

「アンラッキーヤングメン」の作者、藤原カムイ氏と大塚英志氏の本を、ボクは今回初めて読むことになった。このふたりは、山本直樹氏と同じくボクとほぼ同世代。'60年代初頭に幼少期を過ごした世代は、ちょうど小学生で'70年安保を体験した。そして自分が大学に入った頃の、無残なほどの革命勢力の衰退ぶりに愕然とした、

山本氏の「レッド」は'06年からの連載(イブニング)、「アンラッキーヤングメン」は'04年から「野生時代」で連載されたと云う。共に'70年安保時の学生運動をベースにした物語だ。昨年、若松孝二監督が「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」が、'06年には塙幸成監督の「初恋」が公開された。これは偶然だろうか?

これまでも'70年安保の学生運動を物語った作品は、藤原伊織氏の「テロリストのパラソル」や桐山襲の「風のクロニクル」、立松和平の「光の雨」など、小説を中心に数々著されていたが、漫画での表現としてボクが接したのは、尾瀬アキラ氏の「ぼくの村の話」以来だ。

オレたち ついてない

この本はかなり計算されている。携帯電話もコンビニもTVゲームもなかった時代の乾いた空気が読み上がってくるのは、計算されたフィクションの展開と石川啄木の詩だ。働いても働いても我が暮らし楽にならず、と自嘲した彼は、今思うと'60年から'70年の高度成長期のまじめな革命ごっこの空に、本当に似合っている。このアイデアは作者の大塚栄志氏の策略だろうか?角川書店と作者は、この本がどれくらい売れると考えたのか?少なくともあの同時代に起きた不思議な女子大生ブームに面食らった“乗り遅れた学生運動志願者たち”は買わせられるだろうと踏んだに違いない。そう、古本屋での購入だが、確かもボクはハマった。この本を古本屋に売ることはないだろう。

そしてボクは何にそんなにそそられたのか?

それはあのまだ大学生が特権階級だった時代の空気と、革命がまだ漢字で書かれる資格があった時代の残像だ。三億円事件に永山則夫、三島由紀夫に中上健二が絡み、そして連合赤軍事件に雪崩込んで行く展開は、正直“よくぞ!”と唸らせてくれた。だがその展開以上に気持ちよかったのは、三人の「ヨーコ」のプロフィール。やはり革命にはかわいい娘が居て欲しい。ラスト、展開上どうしようもなかっただろうが、あのヨーコは房子になって欲しかった、と。

最後に、このタイトルである。あの時代のこの登場人物皆が、アンラッキーなのか?時代に名を残したが、皆どこかで躓いている。このタイトルこそが、遅れて生まれたものたちの彼らへの、あの時代への嫉妬だろう。

かつて革命を信じたヒトビトよ、この国のしらけた空気を笑おうよ。そして自らの人生を泣こうよ。もう漫画だけがぼくらの手に残っていると。

少々センチメンタルになった夜の記憶。まさに革命も解放のない国で・・・

※1.「Sweet Sixteen」と「この自由な世界で」

※2.「レッド」と「明日また電話するよ」

お題:「アンラッキーヤングメン」、角川書店刊、

作画:大塚英志、脚本:藤原カムイ

2009年5月25日 (月)

ふと思う疑問 朝のおそうじは公害のもと? '090525

朝、自宅や自分のお店の前(道路)を箒で掃除しているヒトをよく見かける。これは日本中で繰り広げられている街角のありふれた風景だろう。出勤途中で観たりして、「日本の街角はこういうヒトたちがきれいにしているんだなぁ」と長い間感心していたものだった。

いや、今でも感心している、がその全てではなく、今ではかなり懐疑的になってしまったのだ。どうしてか?

それは掃除をしているヒトの何割かが、塵取りを持っていないか、持っていてもゴミを入れていないことだ。ではゴミをどうしているのか?集められたゴミがそのまま・・・あ~っ

集めたゴミが下水口に落とされている!

早起きして自宅やお店の前をせっせと掃除している人々の中には、何食わぬ顔してゴミを下水口に流しているヒトがいたのだった。しかしそれに気付いてからはどうも気になりついつい見てしまうと、けっこうな割合でゴミを落としているヒトがいるいるいるいる・・・あぁ~見なけりゃよかった。

自宅やお店の前はきれいにしていたい。それはよくわかる。でも・・・これには二通りの気持ちがあるのではないか?

ひとつは、自分のいる建物の前の道くらい自分できれいにしようじゃないか、という純粋な気持ち。自分だけじゃなく通り過ぎる人々に道がキレイであることで、気持ちよくなってもらおう、と。エライ!

そしてもう一方は、知らないヒトに自慢の家の中を覗かせるわけには行かないけど、家の中もさぞきれいにしているのだろうと思わせたいから、前の道をきれいにすることで、それに続く建物の中も「きれいなんだよ」とわからせたい気持ち(ちょっと考え過ぎ?)。

ほとんどが前者の気持ちと思うけど、でもせっかくきれいにしても、集めたゴミはゴミの収集日に出そうよ。ゴミを下水に落としてたら、そりゃ犯罪じゃないか?

下水道局が「ゴミは流していいですよ」と云っている訳じゃないだろう(よね?)。でも流れたゴミはどうなっているのか?詳しいことはわからないが、町中のゴミが流れて行ったらきっと困っているんじゃないだろうか?増してや流れ着いて溜まったゴミの駆除に多額の税金や人手がかかっていたら・・・しかも急な豪雨などで下水管から水が逆流して道路に水が溢れることが都会ではよくあるけど、その原因がおじさん、おばさん達が流すゴミだったら・・・

もしかしたら下水口にゴミを落とすことで「公害」を引き起こしていたら・・・困ったもんだ。

これ、真面目な話しです。

2009年5月24日 (日)

映画録 The Boxer/ボクサー '090524

14年も刑務所の中にいることってどんなものだろう?

繰り広げられる圧政を前にして、将来嘱望されたボクサーだった18歳の青年は、爆弾を使うことを厭わなかった。しかし、失われた歳月は・・・

ジム・シェリダン監督が秀作「父に祈りを('93)」に次いでダニエル・デイ・ルイス(※1.)と組んだアイルランド闘争のドラマ、「ボクサー」。重く、そして辛い。ボクはこの映画を観て、自分の18の頃を思い出していた。

ボクが学生だった'80年代、キャンパスには学生運動の薫りが幽かに残っていた。幸いなことにボクの通っていた(というより住んでいた)大学の自治活動では、ひとつの党派(セクト)が権力を収握することなく、様々な活動が細々と並列して混在してした。

原子力発電の危険を訴えビラを作り(謄写版で!)、学内の学生や通産省の前で配るグループがいたり、部落差別問題に取り組むものたちや、援農バスに乗って三里塚闘争に月に何度か泊まり込んで農家を手伝いに行く学生たちもいた(※2.)。もちろん民青も相当数いたけど、内容たるや男女交際目的の域を出ない者も多い感じでサークル活動に毛が生えた程度、上層部が作ったプリントをお経のように唱えていることと、自分たち以外の左翼系の学生をただ“極左暴力主義”と誹謗し、自分たちの党派以外のビラを回収することに専念していた(今思えば笑っちゃいますが・・・※3.)

まぁほとんどの学生たちは、恋にバイトにサークル活動に忙しかった頃(※4.)、でもそうしたキャンパスの片隅には、社会の暗部に真摯に向き合あい、まじめに取り組むが故に悩む学生たちが僅かだがいた(それを自己欺瞞と呼ぶのは勝手だ)。疲れボロボロになり、また真剣であるが故に二度と大学に戻らないものもいたし、ボクのようにビラを刷るくらいの手伝いしかせず、そのまましらっと卒業して中年の老体を晒しているものもいる。あの頃は、親から仕送りをもらって生きている自分に、社会に向かって偉そうに何か云える資格があるのか、と自分に自信が持てなかった。でも卒業して20年以上経っても、相変わらずなんの力も自信も持てない自分を発見している・・・

さて、「ボクサー」である。

ボクはこの映画の主人公が自分の将来や恋よりも、目の前の英国系住民と警察軍に対して、テロ闘争に走ってしまった過ちを、なんとなく理解できる(間違えないでほしい、賛同している訳ではない)。

今ボクサーとして認められつつある自分は、いったい何なのか?目の前でカソリック系住民が抑圧され、アイルランドに復帰できないことに、憤りを感じている自分が、今できることは武器を手に闘うことではないか・・・哀しいがそう思えてしまった主人公を誰が非難できるだろうか?

アイルランドがUKから独立した際、なぜ北アイルランドだけUKに残されたのか?そこにUKの一部であるスコットランド系の住民が多数いたから・・・それはある意味事実だが、その真実は誤魔化されている。それは・・・

例えば、この日本にある特定の地域だけ日本以外の国籍や出自を持った人々が集団で住んでいたとする。たとえば東京で云えば大久保辺りのコリアン街、横浜の中華街、群馬の太田や静岡の浜松、愛知の豊田地域のラテン系コミュニティ、そこの地域だけ線引きして多数派を選らんだら国はどうなるだろうか?UK政府が北アイルランドを手放さなかったのは、そう云ったまやかしと云えるのではないか。特に北アイルランド地域では、貧困に苦しむアイルランド住民が、餓死するか、新大陸に移住する者(ケネディ家もしかり)が多いなか、それをイイことにUKは、英国国教会ではないプロテスタント系の住民の移住を奨励した。要するにUKは異教徒を隣の島に押し付けた訳だ。

UKはかつて、世界中の植民地で大規模な住民移住を行っている。スリランカ北部へのインド・タミル系の移住(※5.)やトンガなど南太平洋諸国、マレーシアなどへのプランテーション農園労働者としてのインド系の移住、アフリカ各地への商業活動者としてのインド系の移住、そしてパレスチナ地域へのユダヤ系の移住奨励などなどなどなど。その身勝手な民族移住政策が、現在でも世界各地の紛争の火種となっている。

なぜ、主人公はボクサーだったのか?なぜボクサーでなければならなかったのか?

物語りは、14年の刑期を終え故郷に帰ってくる主人公が、ボクシングの師匠と再びボクシングジムを再興し、ボクシングで宗教の壁を越えようとする試みを描く。宗派は別でも同じ住民だとする理想に向かって。しかし、宗派問題に無頓着なボクシングの師匠が警察(そのほとんどがプロテスタント系)からのプレゼントを喜んでもらってしまうことから、IRAの過激派を刺激してしまう。確かに警察の意図でもあったのだろうが、融和を喜ばないカソリック側を過激化させるには充分な導火線だった。特に主人公は刑には服したものの刑務所の中では闘争に加担せず、ひたすらボクシングの練習にのみに励んでいたから、余計にIRA過激派の反感を買っていた。しかもIRAのリーダーの娘(=夫はIRAメンバーとして服役中)と恋が復活すると云う許し難い事態。和平が崩れるのは目に見えていた。

主人公がボクサーに設定された理由をボクなりに考えてみた。そもそもボクシングは肉体を直接闘わせるスポーツであり、UKは近代ボクシングの発祥の地である。また上流階級の観せものとして興行されることが多く、しかもボクサーは労働者階級の出身者が主だった。要するに映画の設定は、庶民のスポーツであるボクシングが紛争を終わらせるメッセージになっていた訳だ。UKではサッカーと並ぶ労働者階級のスポーツであり、選手となれば名誉も付き、お金持ちに成りあがる手段でもあったのだ。だからこそ主人公はボクサーに設定されたのだろう。

たとえ離れていようとも 俺の魂は君のもの…
逢えずにいた歳月が、愛の在りかを教えてくれる-
』 ・・・チラシの宣伝コピー・・・

映画「ボクサー」は、人間のふたつの究極の形を示しているように感じた。それは愛情と嫉妬。北アイルランドへの愛と、支配を続けるUKとプロテスタント系住民への憎悪のためなら、同じカソリックであっても容赦しない過激な思想と行動。そして14年を隔てても変わらぬ愛を確かめるふたりとそれを観てふたりの仲を裂こうとする嫉妬。自分が不幸であると犠牲者だと絶対化することで、自らの主張や行動を正当化する愚行は、歴史的にも人間界に満ち満ちて来た。

それはかつて連合赤軍が行ったリンチ殺人と同じ構図であり、ナチス・ドイツやイタリア・ファシスト党政権、大日本帝国が始めた第二次世界大戦による周辺国への侵略、中国の文化大革命や旧ソ連や同衛星国が行った自国民への監視や国内流刑、そしてUSのベトナム戦争やイラク侵攻、CIAによる数々の国家転覆策動の覇権主義・・・皆同じだ。自らを極端に正当化するあまり、相手の尊厳や権利を蔑ろにし、蹂躙する行為。

映画はラスト、多少救われる形を取るが、その残像は暗く冷たい。北アイルランドの問題が解決されていないことは現実である以上、生き残った彼らの苦悩が晴れることのないのは明らかだ。

なんだか暗いことばかり書いたが、この映画の完成度は高い。登場人物の全てが本当にそこにいるかのようなドキュメンタリータッチの存在感。醜い歴史も語らなければいけないなぁとつくづく思った次第。重い傑作だ。

北アイルランド問題は、その絡まった糸が絡まり過ぎてどうしようもなくなっている。これを解決する努力が続けられ、いつかかの地に平和が訪れることを祈るしかない。

ちなみに前作「父に祈りを」と比べたら、こっちの方がよかったな。ケーブルTVで鑑賞。

※1. 一見布施明似?

※2.三里塚闘争には、ヘルメットを被る活動家も居れば、農家の農業を助けるボランティアも存在した。三里塚では、空港建設により農村自体の結びつきが分断され、以前からの助け合いが出来なくなっていた。公共工事を巡る哀しい分裂である。

※3.その頃1のキャンパスには、既成宗教団体のほか、統一教会系(原理研究会とかキリスト教研究会とかの名前で活動していた)やオウムなどの新興宗教系(ヨガ研究会とか東洋思想研究会とかの名称だった)など、様々な宗教活動が静かに密かに浸透していた。

※4. 「オールナイトフジ」が全盛の頃で、世は「女子大生ブーム」だった。

※5.セイロン島北部へのタミル人の移住は、UKの政策以前にも行われている。

2009年5月22日 (金)

読書録 Jon Krakauer 「荒野へ/Into the Wild」 '090522

「荒野へ/Into the Wild」を読んだ。

これはボクが2008年の9月に観た映画「イントゥザワイルド/Into the Wild」の原本となった本だ。映画同様、実に重厚なノンフェクションだった。

USの青年、アレックスことクリストファー・ジョンソン・マッカンドレスは、1992年8月にアラスカの大地で死んだ。死因は餓死。彼が死んだその時、ボクは日本と云う国で20歳代の終わりを平凡なサラリーマンとして過ごしていた。ボクは冒険もせずのうのうと太り、彼はアラスカの原野の、元フェアバンクス市交通システムの廃バスの中で、ひとり身動きできずにやせ衰え、最後の光を見つめていたのか。

アレックスはアラスカの大地の中で生活することを選び、何らかの失敗によって、誰にも助けられもせず餓死した。それは悲しむべきことなのか?いや、ボクはそうは思わない。彼は死ぬためにアラスカに向かった訳ではないし、決して死を望んだ訳ではないが、夢に観たアラスカの原野で生活し、アラスカの自然の中で失敗を冒し、結果死んだのだ。それは結局、一番彼らしい死に方だったもではないか、とボクは勝手に思えてしまった。

この本はUSの著名な登山家で随筆家でもあるジョン・クラカワーというヒトによって著されたノンフィクション。自らが冒険家である視点は、この本の中で自らの冒険を語るシーンでアレックスの冒険と重なり、ジョン・クラカワーをしてアレックスの人生を書かずにはいられなったことがわかる。

この本でアレックスは、その出生から成長、大学時代と卒業と同時に家族の目の前から消えUSを横断し、国境を越え、数々の出逢いをし、アラスカで死ぬまでを、作者・ジョン・クラカワーによって「暴かれる」。自らの複雑な出生の秘密を許せず、文明社会の不誠実に憤り、やり場のない怒りを、荒野への放浪と自活を夢に昇華させた青年。読み進むうちに、避けられ嫌われながらも息子を思い続けた両親。そして唯一の理解者ともいえた妹。彼らがアレックスを許す道程も、このノンフィクションにとって重要な要素だ。

アレックスは卓越した冒険家であり、そして旅先で多くの友人を虜にした見事な好人物だった。彼に出逢った多くの人々が、彼を意志が強く(頑固)でユニークな(変わってる)奴だったと語っている。とにかくナマの彼と接したヒトは、彼を個性的で前向きな男として認識してたわけだ(詳しいことは本で読んでください。うんざりするくらい嬉しいアレックス評が語られています)。

不思議なのは、死んだアレックスを非難するヒトが多かったと云うことだ。これは映画が公開された後の批評にも多くあったもので、とにかくアレックスの行動は無謀だ、常識知らずだ、と非難される対象となったようだ。う~ん、そうなのか・・・

まぁ、非難するヒトはすればいい。しかしボクは彼を評価したいし、非難からは弁護したい。では彼の何を評価し何を根拠に弁護するのか?

彼は自らの信念に基づいて、旅に出たこと。結果若くして亡くなってしまったが、それは過酷な旅の答えではあったが、彼は目的のアラスカの大自然の中で生活した。ひとりで生きたのだ。

大学を卒業するまで、彼は両親の勧めに従い、優秀な成績を収めたこと

旅に出た後、一度も助けを求めていないこと。両親や妹に連絡もせず放浪し心配させ、結局先に死ぬことなったが、彼は最後まで死ぬ気ではなく、自分らしさを生きたのだ。

全てひとりの責任において行動したこと。そして多くの人々の思い出の中に残ったこと。

アレックスはアラスカで餓死した。死んだこと=無茶をした、と云えるかもしれないが、自分のしたいことをやりぬいたことで彼は後悔していないのではないだろうか?「チェッ、しくじった」くらいは、衰弱して行く自分を無詰めながら思ったかもしれない。でも死ぬこと自体を非難されるのなら、若いうちに死んだヒトは全て非難されるべきなのか?

両親の愛を受けて育ったのにそれに報いなかったと非難されるとしたなら、その非難は意味がない。非難は両親がするべきで他人がすることではない。

ヒトはいつか死ぬ。いや、この世に生れた生物は必ず死ぬのだ。ヒトもまた然り。例えヒトより早く死のうが、その生を自分らしく生き死ねるのなら、こんな幸せはないではないか。

またもしこの本が世に出なかったら、誰もアレックスの冒険と死を知らないはずだ。荒野で死んだ名もなき若者の死に、どんなドラマがあるのだろうと、ジョン・クラカワーは自然と興味を持ったのだろう。それは彼の登山家の霊感だろうか?とにかく、ジョン・クラカワーがアレックスの死を不思議がって調べてくれたからこそ、他の誰も挑戦しない冒険と死を、平凡なボク(あなた)が知ることが出来たのだ。

多くの冒険家の失敗を絡めながら、アレックスの短くたくましい人生を辿ってくれたジョン・クラカワーの勇気と筆力に感謝したい。

最後に云う。「荒野へ/Into the Wild」を読んだ。都会の物質社会の中でだらだらと過ごすただれた中年のボクが、荒野で餓死した青年の逞しいレクイエムを読んだ。その信念、その行動力に嫉妬した。

「荒野へ」、力作だと思う。

書名:「荒野へ/Into the Wild」、作家:ジョン・クラカワー、訳:佐宗鈴夫、集英社刊

2009年5月21日 (木)

ふと思う疑問 赤十字の募金が来た '090521

赤十字、と聞いてすぐ思い浮かべるのは、そのマークだ。たしか救急車や病院に貼ってあったと思う。そしてスイスの国旗。白地に赤の十字、国旗としては日本の日の丸と同じくらいシンプルではないだろうか?(そう云う意味で日の丸は好きだ。君が代はどうも・・・・)

さて、昨日我が家に町内の回覧板が到着し、「赤十字会費(社費)募集におけるQ&A」と「赤十字協賛委員のみなさまへ」というパンフ、そして楕円の会員証シールが中に同封されていた。パンフは回覧だが、シールは各戸分ある。

赤十字は日本各地に「日赤」が冠に付く病院を持ち、献血事業なども行っていることは知っている。比較的大きな街の駅前などで「*型の血液が足りませ~ん」と看板を掲げたスタッフがよく叫んでるのを見かける。彼らは社員なのか?ボランティアだろうか?駅前の献血センターで献血したことはないが、ボクも学生の頃数回献血した記憶がある。献血と云えば、以前未使用の血液を捨てた、もったいない、などと非難されたことがあって、日赤ってそうなの?と疑問に思ったこともある。ついでに赤十字と云えば、国際貢献である。世界の紛争地や災害地に駆け付ける医療スタッフの中で、赤十字はその主要な構成メンバーだという。日赤からも外国の災害地にスタッフが派遣された、などのニュースに接することがあり、「がんばってね」とエールが送るを送ったりする。とにかく職員の多くは立派な志と知識と技術を持っているのだろう。

しかし、ふと疑問に思うことがある。

会費が町内会で集められるのはどうなのだろうか?日本中の町内会で集められているとすれば、それは膨大な金額だろう。穿った思いだが、「途中でかすめたりしてるヒト、いないの?」「誰かの飲食費や収入になってないの?」「ホントにこの集め方でいいの?」という疑問だ。

そして疑問は続く。幹部は誰なのか?今の社長は「近衛忠輝」さんと云うヒトらしい。肥後熊本藩細川家に生まれ母方の近衛家の養子になったと云う。皇族が名誉総裁や副総裁に名を連ねるのは知っていたが、社長も公家出身とは・・・いやはや、この国は、生まれが良いとどこまでも優遇されるんだねぇ。

よくわからないのが、日赤の幹部の給料と退職金の出どころだ。厚労省関連の官僚の天下り先になっているようだが、まさか募金(会費)から出ていないだろうなぁ?と疑ってしまう。

集められた会費が偉いヒトの報酬や飲み食い代になっていないことを切に願うばかりだ。

2009年5月19日 (火)

映画録 GOOD BYE, LENIN! /グッバイ、レーニン! '090519

ドイツ映画の名作のひとつに数えられている「グッバイ、レーニン!」をようやく観た。アイデアの勝利、と云える快作だった。

もうほとんどの欧州映画ファンは既に観ているだろう。この映画のどこが面白いのか?そう、これはドイツのそれもベルリンでしか舞台に出来ない映画なのだ。欧州のほとんどを戦乱に巻き込んだ張本人であるナチスドイツが負けて、その首都は東西陣営に真っ二つにされた。しかも国も同じく真っ二つにされたけれど、ほぼ地形に沿って区切られたものだからまだ理解できたが、首都ベルリンはとにかく刀で袈裟切りしたように街中で区切られ、しかも周囲は東側。陸の孤島になってしかも真っ二つ。これほど特異な存在の街が世界のどこにあっただろうか!(※)

そのベルリンで、熱心な共産主義信奉者の母親が倒れ、意識不明となる。そしてそのまま眠り込んだままベルリンの壁が崩れ、東が西に呑みこまれて行く。眠れる母親だけ残して、周囲は一気に資本主義の嵐が吹きまくる。否応なき変革の波・・・そんな中、社会主義体制の模範国民だった母の意識がぶり返す。どうする、子供たち!母親に素直に国の変化を語れば今度はほんとに死ぬかもしれない!

最初は嫌々渋々付き合っていた周りのヒトたちも、そのうちなんだか楽しげになり、逆に昔を懐かしんだりするようになる。息子は友人と旧体制の映像作りにのめり込み、せっかく出来た可愛い彼女もほったらかし。彼は旧体制のままの母親を思うふりをして、自分でこの状況を楽しんでいる小さな独裁者になって行く。

もう耐えきれない!西出身の彼が出来た姉は、もう絶えきれなくなり、姉弟仲は崩壊寸前。窓の外には巨大なコーラの横断幕、空には飛行船・・・そんな時、西に逃げた父親が登場する。ドライブスルーの窓とマイクを通して十数年ぶりに交わす親子の会話。姉はすぐ父だと気付き、動揺する。「私たちを捨てた父は元気でいた」

そう壁の崩壊は、ベルリンの歴史そのものの彼ら家族をさらに波打たせる。なぜ、父はひとりで逃げてしまったのか?母を、ボクら子供を、なぜ捨てたのか?

空を飛ぶレーニン像、押し寄せる資本主義、あのベルリンでしか体験出来なかったであろう歴史の激流をひとつの家族を通して二時間で見事に描ききった作品。しかも、ブラックユーモア満載で、しかし単なる社会主義体制批判だけを声高に叫ぶ訳でもなく、西も東にもうまくやる奴はちゃっかりうやってて、不器用な奴はいつも置いてけぼり。

食器棚?の東ドイツマルクが見つかるのが遅くて紙屑になり、信じていた母は逆に子供たちを騙してた、そして救いは逃げた父親との再会と、父親の変わらぬ愛・・・激動を生き抜いて、姉弟はたくましく生きて行く。

とにかく出来た映画だ。面白い面白くないと云う次元ではない。この街のこの時代でしか作れない見事な、ベルリンのための、ベルリン市民の人生を高らかに歌い上げた映画、グッバイ!レーニン。この映画を思いついた奴こそ、まさに天才だろう。

しかし、題名を「レーニン」とするところが巧い。ここを「ホーネッカー」にすると、一気に政治色が増してしまう。「スターリン」にすると暗くなる。ついでに急に「マルクス」にすると歴史映画になっちゃう。レーニンが東西ドイツを分けた訳でもなく、ベルリンに壁を築いた訳でもないが(もういっつか昔に死んでます・・・レーニン、早く死に過ぎ!)、やっぱり社会主義=レーニンなんだよね。

時代は変わっても、心は変わらない。 』 ・・・チラシの宣伝コピー・・・

失われた国・東ドイツ=ドイツ民主共和国とはいったいどんな国だったんだろうか?ボクは'07年の暮れに、東ドイツを約2週間旅をした。初冬だったからか、どんよりとした天候が続いたが、とても素敵な旅だった。イエナ、エルフルト、ゴーダ、ベルリン、ロストック、ケムニッツ・・・東西統一して早20年、ドイツはたくましく、そこに存在した。映画を観ながら、ベルリンを独り旅した日々を思い出していた。

「グッバイ、レーニン!」 この映画で歴史は立派な人類の喜劇になった。

※ 第二次大戦前までは「陸の孤島」存在した。旧ドイツのダンチィシ(現ポーランドのグダニスク)、旧オーストリーのトリエステなどあるが、町を外部勢力によって分断されていたのはベルリンが特筆されるところだろう。

2009年5月18日 (月)

読書録 藤沢周平「闇の梯子」 '090518

あいかわらず藤沢周平を読んでいる。今年に入ってこれまで20冊の本を読んだが、そのうち9冊が周平ものだ。あれほど周平を読んだぞと思えた去年一年間でも、58冊中20冊だったから、今年のペースはすごい。ただ去年ほど周平ばかり読んでいるようには感じていない。なぜだろう?

さて、なるべく初期の作品を読んでおこうと思い、ようやく「闇の梯子」を読んだ。けっこう時間がかかったのは、いくつもの本を並行して読んでいたからだが、もう一つの訳は“辛い”内容だからだ。よく云われるように、初期作品には色調が暗いものが目立つ。どうしてこんなつらい物語を書かねばならないのかと、つい思ってしまうような、救われない物語が続く。今回もどんどん奈落に落ちて行くような物語りに、ついページをめくれなくなったことがしばしばだった。

この作品集「闇の梯子」は、藤沢作品5編が収められているが、その全てが傑作だ。一作一作を心して挑むように読んだ。「父と呼べ」の愛情と切なさ、「闇の梯子」の忍び寄る不安と儚さ、「入墨」の取り返しのつかない過ちと自分なりの落とし前・・・何だろう、まるで江戸の下町を目の前で覗き込むかのような臨場感。一瞬一瞬を健気に生きる市井の人々の喜怒哀楽が漲る緊張と共にボクに押し寄せてきた。

そんな中、二つの驚くべき作品に出逢うことが出来た。 相模守は無害紅の記憶・・・

まず、「相模守」の何に驚いたのか・・・それは、江戸幕府が諸国を管理するために確立した探索機構:御庭番の実態を、探るもの、探られるものの緊張感などという簡単な言葉では表せない程の武士たちの命を削るようなの軋轢、葛藤が凄い。そして主人公の過酷な人生にひとときの安らぎとなる薫る女性たち。ヒトはなぜそうまでして生きるのか、働くのか、戦うのか。

そして「紅の記憶」。これも「相模守」と並んで、奥州海坂藩と江戸を行き来する藤沢ワールドの真骨頂。武士の次男が出逢う良いなづけとの一瞬の交わりの儚さ。一途な娘の哀しく短い生涯。ボクはなぜか学生運動に敗れた女性兵士のように感じてしまい、辛かった。その思いが純粋であればあるほど、その裏切りや報われない思いの行き場のない哀しさは何だろう。

この作品集に収められた5編が全て傑作と思うが、特にこの後半の二編もストーリー展開の素晴らしさ、簡潔さ、そして主人公の辛さ、厳しさが、なんとも云えず心にしみた。

いやぁ、藤沢作品は奥が深い。ほんとは江戸時代から来たんじゃないの?と思えるくらいのリアリティ。作家とはここまで凄いのか?と思える程の覚悟の要る楽しみであった。

追伸:作品「闇の梯子」に出てくる清次とおたみの哀しい物語りは、藤沢氏の人生の投影なのでしょうか。病に倒れ職を追われ、ささやかな生活の中で妻に先立たれた経験のある藤沢氏の描写は、そこに溢れる愛情以上に過酷な人生を冷徹に物語る。

ヒトは救われることはないのか?と、叫んでいるかのように。

「闇の梯子」・・・素晴らしい作品集である。

2009年5月17日 (日)

風景の中で 近所のビデオ屋が閉店した '090517

近所のビデオ屋さんが閉店してしちまった。

この2年くらいは、年に3,4回くらいしか利用することもなかったけど、それまではよく利用させてもらったので、この閉店はとても残念だ。

そのお店は、最寄駅を降りて自宅に向かう途中にある、長い間24時間営業だった。旧版一週間利用で、7泊8日、一本\290。月に一度、火曜日は\200になり、半年に一度、一本\100にする店だった。新作を観ないボクのようなお客には、安上がりで利用しがいのあるお店だった。

その半年に一度の\100の日は、よく面白い光景が見られたものだ。ビデオを何本も抱えて血走った眼でレジに並ぶ未成年のガキが何人も並んでいたものだ。男の大人としてそんな光景はなんだか微笑ましかった。そうなのだ、奴らの抱えていたビデオはほとんどがAVなのだ。中・高生の頃の頭の中は“H”のことばかりなのだろう。ボクの子供の頃はDVDどころかビデオもなくて、ひたすらグラビア雑誌や裏本や官能小説でその欲求を満たしたものだったが。でもあの時代、AVがあったらボクもああして並らんだろうなぁ、と思ってしまう。レジに並ぶの少年たちはこれからの一週間は太陽を観ないかもしれない・・・

ボクがレンタルビデオを一番利用したのは、医療ドラマ「ER」を第Ⅰシーズンから観通した頃だ。ボクはERファンとしてはかなりの後発組。ボクがオンタイムでERを観始めたのは第Ⅶシーズンくらいから、併せて第ⅠシーズンからⅥシーズンまでをレンタルで借りて、約2年間で全てを観た。毎シーズン、32,3本放送されているから、実に200本近くのERをビデオで観たことになる。その全てをそのビデオ屋で借りた訳だ。

ERのバックナンバーを観終えた後は、映画も欧州映画を中心によく借りた。毎回だいたい2本くらい隔週で借りていた時期もあった。妻が不在にする週末が事前に分かっている場合などは、Hなのも含ませたり。あのお店が閉まったということは、ボクにHビデオを観るなと宣告しているようなものだ。あぁ・・・

ボクはまだ体験してないが、今巷では郵送で映像ソフトが借りられる時代だ。TVCFでは「ネットで借りて自宅に届きポストへ返却♪」と歌っている。あれはどういうことだろう?

でもそんなサービスが蔓延したら、街のビデオ屋さんは立ち行かないだろう。う~ん。時代の流れは速すぎる・・・

とにかくよく利用した近所のビデオ屋が閉店した。時代の変化はボクの足元まで及んでいる。あのサービス日にHビデオを抱えていた少年たちはどうしているだろうか?もういい大人になったかな?

あぁ~、オジサンのたまの楽しみがなくなっちゃったじゃんかっ!

2009年5月16日 (土)

政治考 さて、民主党代表選 '090516

日本の民主党代表選が今日行われる。

本当は党員全員が参加するのがベストだが、小沢のオヤジさんがこけ(辞任)た直後だけに、すぐに実施した方がいいのだろう。「今こそじっくり選ぶべきだ」という声もあるしそれが出来ればホントはいいのだろうが、じっくりやれば、党内自民党シンパ?の前原クン辺りがまた勝手に騒ぎ出して「民主党って自民党よりも保守的なのか?」と思われかねない(※)。土曜日では早すぎる、日曜日か月曜日に出来ないか、などという意見もあったが、一日ふつか延ばしたって、党員が投票できないのだったら、同じだろう。まぁ、自民党や公明党は、民主党の代表選が短くなったこと自体は、メディアの占有時間が短くなるので歓迎だろうが。いや、代表選が長引いて足を引っ張れるので、逆に長い方がいいのかな?

さて、代表選には二人の元代表が立った。鳩山氏と岡田氏・・・このふたり、いろんな点で似ているような気がする。それは、「育ち」と「性格」である。

ふたりは共にお金持ちのお坊ちゃんで共に元自民党の代議士。いや、お金持ちの子どもが全て悪いと思ってははないが、ちょっとうらやましいではないか。鳩山氏は幕臣から衆議院議長にまでなった曾祖父鳩山和夫(専修大学設立者、早稲田大学校長)以来の政治一家・鳩山家の長男で、母系からのブリヂストン社株の大保有者という大富豪。方や岡田氏は江戸時代からの商人で、父の代で日本を代表流通グループになったイオングループの次男。う~ん、日本を代表する“成功したヒトたち”なんだなぁ。

そして性格。これ、実際に会って話した訳じゃないからホントのところはわからない。だから勝手に想像するのだけれど、ふたりとも「まじめ」そう。鳩山氏は子供の頃から有名人でメディアにも登場してたので、きっとTVカメラ向けられても上がったりはしないだろう。でもそれなのにあの話方(一見棒読み)・・・まじめなことしか言えないヒトなんだろうなぁと思える。そして、岡田氏。彼の笑顔ってあまり観たことがない。彼の子供時代はすでにイオングループもそこそこ大きくなっていただろうけど、やはり実家の成長を見ながら育ったはず。親が一生懸命働いているのを観ながら育った子は、真面目になるかふてくされるかなので、彼は前者になったわけだ。

ふたりともまじめ・・・これ、今の日本に一番必要で重大な要素じゃないか?

メディアでは鳩山氏有利との報道もあるが、ボクは次の衆議院選挙に勝つ意味でも、岡田氏が代表になった方が民主党にとって有利だと思う。鳩山氏も嫌われてるわけじゃんないけど、やっぱり「清潔度」という意味で小沢オヤジの近くに居過ぎた感のある鳩山くんは今回負けて方が良いかも?そっちの方が、管氏と共に民主党の二枚看板が生きるじゃないかな、なんて思っている。だって、この国、次の選挙で自公なれあい政権をつぶさなきゃ、もう立ち上がれないと思うな。

急遽、思わず書いちゃいました。

※ 前原くんには例の「メール問題」で党への期待を失墜させた責任を一生背負う責任があることを忘れがちだ。党に居られること自体を感謝すべきなのだ。彼が独自の発言を繰り返す度に「民主党って?」と思われる度合いが高まるように感じられる。彼の主張は防衛意識などの面で自民党よりも時に右向き。本当に自分らしい政治をしたいのなら、離党して自分たちのグループを立ち上げるか、自民党のどこかの派閥と合流でもした方が良いのではないか?まぁ、自民党は利益誘導が最優先の非政治な徒党なので、彼のような“まじめな保守”は逆に浮いてしまうだろうが・・・。彼がもし自民党に入った場合、最初は保守派から「前党を分裂させた」ということでは歓迎されるだろうが、自己主張したとたんに「お前馬鹿か?ここは金もうけの集団なんだよ。まじめに政治やったらおれたちが儲からないじゃんないか。まず私腹。忘れるな!」と怒られるだろう。

お題:民主党・臨時党首選

ひとやすみな思い '090516

いつも思いつくことをランダムに書いて来て、気付いたらこの半月、毎日欠かさず書いてきた。作家でも芸能人でもコピーライターでもないんだから、すこし休も。無理して書いてたわけじゃないけど、疲れたかも。

この一年、あまり旬な話を書いてこなかった。けど、試写会などに行ってすぐ感想書くとやっぱり見に来ていただけるんだなぁと気付き、TVで観たことをすぐ書くと、ドヒャッとアクセス数が増える体験も初めてして正直びっくり。

芸能人とドラマ、そして少し宗教のこと書くと増えるのはなぜだろう?悪く書いてるつもりはないけどなぁ・・・でも具体的な団体名を書くと怒られるのかな?と思い、翌日訂正しちゃいましたが・・・でもみんな知ってることだよねぇ?えっ?タブーなの?そんな国じゃないよね?

ボクは基本的に無宗教、でも困った時などは思わず「カミさま~」って呟いてる、適当な奴です、ハイ。・・・まぁ、その時は具体的な神さんを思い浮かんでいる訳でもなく、えらいヒトってことかな。ガンジーとかホーチミンとかゲバラとか・・・かな?

ということで、今日はここまで。次はいつかな?・・・いや、またすぐくだらないハナシは書くと思うな。

2009年5月15日 (金)

ふと思う疑問 あなたの彼は手洗いしてない '090515

ボクは男だから女性トイレに入ったことはない。いや、間違えて入口まで入ってしまったことはないではないが、中まで行ったことはない。

ボクはこの40数年の間、男性トイレのユーザーだから、男性トイレのことで、永年の疑問があるのだ。あくまでも個人的な見解だが・・・

トイレで用を足した後、手を洗う男は半数以下だ、と云う実態を女性たちは知っているだろうか?

男は小便の際は片手でペニスを支える。小便の出る先端を支えるヒトは少ないだろうから、指を添えるのはたいてい真中から根本にかけての部分で、小便の放物線からは離れている。しかし・・・水(尿)滴が全くかかっていないとは言い切れない。しかし、そうした後、洗面所で手を洗わないヒトは驚くほど多い。

感触では、会社のトイレで手を洗うのは約6~7割。ホテルなどフォーマルな感じのトイレでも約8割くらい。駅のトイレなどでは急いでいるからか、手を洗っているのは半数以下だろう。

でもあの後、洗わなかった手で書類を触りPCのボタンを打つわけだ。デート中なら恋人と手をつなぐかもしれない。Hな場面ではその指で女性の体を触るのだろう・・・この実態は綺麗好きの女性には考えられないことだろう。

ボクはトイレの後手を洗う習慣が付いている。手洗いが出来る場所なのに洗わなかったことなど、記憶の中にはない。逆に手洗いの蛇口が壊れてて手が洗えなかった時の気持ち悪い思い出があるくらいだ。紙タオルがあるところでは決まって顔も洗っちゃう。手洗いは気持ち良いのだ。

でもぼくはここではこう書くが、口頭で女性には云わない。

男はトイレで手を洗わないやつが多いんだよ」なんて、云わない。云えないよ。女性にも男たちに云えないトイレの実態があるのだろうか?知りたいような、知りたくないような。

2009年5月14日 (木)

下品考 コウノイケ官能副長官は立派な性事家である '090514

またまたダミ声お坊っちゃまのお友達が粗相したらしい(失笑)。

この前、5000万も使って日銀くんと飛行機飛ばして、イタリアまで大酒飲みに云って酔っ払いの教科書みたいな醜体を世界中に晒らしてくれた立派な日本人代表・ナカガワくんって云う北海道のお友達が大臣辞めちゃって、今度は誰かな?と思ったら、熟女好きのスケコマシ(褒めてるんです)コウノイケくんではないですか!よっ、官能副長官!兵庫県の誇りだ!

しかも辞任理由が体調不良!やり過ぎ?いや元気すぎ?ダミ声お坊っちゃまも相変わらず守ってるよね。彼は女<酒だけど、負けず嫌いだから心中「俺だってそのうち熟女!」と思ってるかなぁ?あ、外遊でやってるかな?

なになに、新型インフルエンザ対応で検疫官が死にそうに忙しく働いているときに、奥さんじゃない女人と熱海でゴルフ&同宿お泊り・・・いやぁ立派だ!それでこそMr.男根!それでこそミジン党のオヤジだ!ミジン党は政治団体じゃないもんね、単に性治屋だもんね、「俺さまは日本性年会議所の元会頭だぞ!」

やっぱりミジン党の代議士って政治やる以前にモラルってのを最初から見事に持ち合わせてない。立派だ。最初から必要ない政党だもん。青年会議所って結局ミジン党の応援団程度のところ。日本中の青年会議所の幹部の下半身調査してたら、驚くべき宿泊数なんじゃないの?浮気賛成!愛人、いいじゃないですか!青年会議所の皆さんも誇りに思っていると思うなぁ、きっと。

このコウノイケくん、1940年生まれって云うから今年の暮れには69歳になるんだね。兵庫に嫁さんいるんだろうけど、1月は熟女を議員会館に連れ込んでラブホテル代わりにしてたくせに白を切って、今度はゴルフ&セックス・・・いやぁ、「欲情の作法」もう完読したんでしょうよ。さぞや渡辺淳一先生からもお褒めをいただけるはずだ。

「なんだ、新型インフルだ?どうでもいいもんね、俺はおねぇちゃんともう予定組んじゃったもんね。熱海でたっぷんだもんね。新型インフル、横入りするなよな。」

さすが、これこそ日本男児!代議士辞めてスケコマ士って資格でも作ったらどうでしょう。

さて、ボクがこのコウノイケくんのどこを非難するのか・・・それはJRの無料パスの不正使用です。普通のヒトはみんなお金出して定期や切符買ってるんです。代議士の無料パスはJRが「代議士さま~、へへぇ~」と提供しているわけじゃない。ちゃんと税金使って国会が購入して代議士に配布しているもの。要するに公金なわけ。しかも、使用目的は「政治活動」に限定されている。それを「性事」に使うなんて!凄い!

しかも1月に議員会館の入り口でカギを出し入れしてたおんなじ女人(ヒト呼んで議員官舎妻)とご一緒だったらしい。すごいね。コウノイケくんの精巣は4ヶ月でパンパンになっちゃったんだね。わっかいなぁ~。ということで:

コウノイケくんは国民の税金で購入したJR無料パスを目的外使用した罪で国家予算横領詐欺罪!官舎妻と死ぬまで官舎で外出禁止の処置

なお以前にも見苦しいウソついて誤魔化していたので、執行猶予なし!官舎を出る場合は、高齢化社会に求められる老人ものAV男優に強制転職して撮影の教育的措置。

ただし熟女と不倫したり、議員官舎妻に鍵渡したり、GWに遊びに行ってたことは不問。だってこんなヒト、政治は無理だもん。選んだ国民が悪い。逆に議員官舎妻と隠れ交際を続けていた器用さに、“国民ご立派賞”を渡辺淳一先生からもらいましょう。喜んでくれると思うよ。

だってコウノイケくんが会議に出てたって何にも役に立たないもん。役に立つのはあそこだけ!会議してたってきっと官舎妻のことで頭も精巣は満杯なはず。いやいや男はそれでいいんですよ。ミジン党の代議士に今更何を期待するのですか?ねっ?そう云うこと!

「官能副長官を辞任」だなんて、みみっちい。そもそも官舎妻に走って放棄した仕事でやってなかったんだからどうしたら“辞任”出来るの?辞任するなら国会議員を辞めてください!税金返してください、官能副長官!

あ、AVのテーマが出来ました。

ミジン党官能副長官、官舎妻との秘め事 鍵の出し入れ編

続編は、

ミジン党元官能副長官、官舎妻との秘め事 夜のナイスパット編

続編はやっぱり熱海ロケだね。メイキングは「70を切る立たせ方」と題してED薬の購入から使用方法までのノウハウを解説して欲しいな。

ご期待ください!監督は井筒さんか周防さんがやってくれないかな?

・・・・・・・・・

□お題:鴻池官房副長官、辞任

2009年5月13日 (水)

政治考 累進課税強化が日本を救う '090513

景気が悪いのは国民の持つイメージの問題、とダミ声お坊ちゃま首相は、今年('09年)の第117回国会における施政方針演説で「安心と活力のある社会」を目指すと云った。

「現在の豊かで安全な日本は、私たちが創ったものです。未来の日本もまた、私たちが創りあげていくものです。過去二回がそうであったように、変革には痛みが伴います。しかし、それを恐れてはなりません。暗いトンネルの先に、明るい未来を示すこと。それが政治の役割です。良き伝統を守り発展させる。そのために改革する。それが、私の目指す真の保守であります。」・・・こう云ったのだ。ダミ声お坊ちゃまは何が分かっていらっしゃるのだろうか?

民主・苦武士小沢くんが献金疑惑で失速したのをイイことに、ダミ声お坊ちゃま首相は相変わらず上機嫌で海外詣でに忙しいご様子だ(ついでに世間にエビちゃんが人気なんだよと知らせてくれたりする・・・)。自分の親父の会社が敗戦前に大陸から強制連行した植民地人の強制労働で大儲けしたことも忘れ、「創氏改名は朝鮮人が望んだことだ」などと云っちゃうヒトだから、まぁいつも負けず嫌いで空元気ということなのだろう。

さて、ダミ声お坊ちゃま首相と自公連立政権は、「不況を克服するためにたくさんの金を使おう!」と、どんどん国家予算を増やしている。要するに“返すあてのない借金”でこの不況を乗り切れる、と踏んだ訳だ。

現在国会で審議されている補正予算だけで、総額15兆円を超えると云う。不況時に財政支出を積極的に行うのは、ケインズ経済学的には正しいのかもしれないが、それは社会に失業者が蔓延し、経済構造自体が変わらなければならない時の大手術だ。ダミ声お坊ちゃま率いる自公お友達政権はそんなことを考えているだろうか?経済構造を変える気などないはずだ。現在の社会が彼らを太らせ弛緩させているのだから。

しかしそんなに借金を増やして返す当てがあるのか?いったい誰がどう返すのか?

日本は不況じゃない時代にも借金をひたすら増やしてきた。高速道路や新幹線、橋にトンネル、区画整理や埋め立て、様々な公共工事を始めとして、とにかく「そのうちに返せるからいいよ」と云った具合にどんどん増やして、今では国と地方で800兆円(国民一人当たり600万円以上)の借金があり増え続けている国で、こんなことを続けていいものなのか?

時代はもう高度成長期ではないのだ。この国はもうあんなビックリするような拡大はしない。この積み上がった借金にまたまた当てのない借金を重ねているのは誰だろう?衆議院で35%を越える世襲率を誇る自民党(※)が、ほぼ一貫して維持してきた政権でこの借金は積み上がったのではないか。借金を是認した同じ顔ぶれが今後借金を返す政策を打ち出すことが可能だろうか?ボクは到底無理だろうと思う。

ではどうするのか?自公は消費税の増税で賄おうと考えている。消費税をいったい何%にしようと考えているのだろうか?現在の倍の10%が当面の目標だろうが、本当は20%を目指しているだろうと、ボクは予想している。そうでもしなければ、消費税だけではこの国の抱えている借金は到底返せないのだ。

直接税・・・買い物する毎に税金をかけることは、一見人間皆平等のように見えるがそうだろうか?否。お金持ちはいつも高い食材で料理するだろうか?お金持ちの家庭の光熱費は貧乏人の電気より高いだろうか?確かにお金持ちは平均すれば高価な食材を買う割合が高いだろうし、外食だって安いだけの店にばかり行かないかも知れない。電気代やガス代だって貧しい家庭よりは金額的には多いだろう。しかし、例えば年収入3千万円以上の家庭と年収入3百万円以下の家庭での食費や光熱費の支出は、同じ家族構成であるなら、10倍も違いはしないのが普通だろう。では消費税は・・・お金持ちの家庭が贅沢しなければ、消費税を払う割合は貧乏な家庭の方が高くなるのだ。結局、消費税だけで増税を図れば図るほど、格差はどんどん拡大する構図なのだ。そこでボクは提案する。

この国を救うには累進課税が最適だ。

累進課税の強化、と云うけれど、実は'80年代の中曽根政権以来日本の累進課税はどんどん下げられていて、今の最高税率は所得税だけなら40%なのだ。'74年までは75%だったのに・・・。“一億総中流”と云われた高度成長期より、格差が極端に広がったこの時代に、逆に最高税率が半分近くに下げられているとは・・・今こそ高額所得者への課税率を高めることで、社会の均質性を保つべきだろう。

また、中曽根政権時代以来最高税率が極端に下げられ続けて来たことに加えて、税率変化の基準も単純化されている。これも出来るだけ細かくして、不公平感を解消すべきだろう。税率が年収が百万円以上違うヒトが一緒でいいはずがない。

無謀な借金政策を推し進めた世襲貴族たちと既得権益の塊になっている官僚による『消費税の税率の議論』に誘導されることなく、まず税金はどう調整すべきかという基本に立ち返って議論すべきだろう。

例えば今から10年かけて最高税率を40年前の水準に戻せば、消費税の税率増加は避けられるだろうし、その間に税金の効率的な活用方法を変えれば、消費税自体もなくせるかもしれない。

最初の議論を戻す。「変革には痛みが伴います。しかし、それを恐れてはなりません。暗いトンネルの先に、明るい未来を示すこと。それが政治の役割です。」とダミ声お坊ちゃま首相は云っています。違います。

「変革に痛みが伴」うのは、自公政権がぐだぐだ続けてきた借金体質の政策です。

「暗いトンネルの先に、明るい未来を示すこと。それが政治の役割です。」当たり前です。でもダミ声お坊ちゃま首相はボクらに暗いことしか云いません。消費税による増税をちらつかせた、高速道路の千円化や特別給付金のばらまきでは、明るい未来など描けません。

今必要なのは「消費税を上げない」と宣言して、税金の無駄遣いを止め、政策を変革し、政党の利益を超えた国民のための政治に取り組むことが、「明るい未来」であり、「政治の役割」なのです。

「安心と活力のある社会」とは、借金を返す計画があり、将来に展望が開け、貧富を問わず公平な社会の実現が見通せることです。

借金が山積みの状態で、誰が安心して暮らせますか?手を付けるところは、消費税率を上げることではなく、借金を返す計画と、その為の累進課税の強化です。これが公平な政策なのです。

※ 現衆議院の世襲議員は131名、うち自民党は108名!

2009年5月12日 (火)

映画考 エグザイル/絆 '090512

悪気はなく書きます。ファンの方が読んだら「わかんねぇ奴だなぁ」と笑われそうですが・・・

最初にこの映画のチラシを手にした時に、最近流行りの同名チンピラ風ファッション合唱団のプロモーション映画と思っちゃったので、全く観る予定がなかったのです。でも先日、新文芸坐で「戦場のレクイエム」と偶然併映だったので観て、ようやく誤解が解けた。この映画、なかなか雰囲気はある。これまで観たことはないのですが、香港映画界で有名な監督ジョニー・トーの作品だったのですな。しかし・・・

ボクはあまり感心出来なかった。

発端のボス殺しの動機が分からなかったし、集まった連中も、その彼を殺しに来たのか遊びに来たのかもよくわかんなかった。そもそもあんな硝子張りの中、関係者の皆さん集合完了みたいな状況ってありですか?それに澳門にはホテル、他にないんですか?特に死んだ男の嫁さん?は何なんですか?(ネタばれですが)そもそも自分の男が殺そうとしたギャングの親玉たちに仲間を売ることになるのはなぜ???ラストシーンも読めちゃったし、あぁ監督は最後のシーンを撮るためにこの映画を作ったんですねって感じでした(ボクも昔芝居で演出してた頃があり、そういう気持ちよくわかります)。

ボクはとにかく彼らに逃げ切って欲しかった。崖から転げ落ちようが、海を泳いで大陸に逃げようが、難民に化けてくれても良かった。とにかく戻っては貰いたくなかった。でもきっとあのストーリーは、同監督作品に造詣の深いファンの方々にとってお約束の大演壇な展開だったのでしょう。ボクはその点勉強不足だったので、映画観ながらついてゆけず、ずっと「う~ん、そうなの?それでいいの?」と思い続けてました。きっと香港映画好きのための映画だったのですね。“門外漢”って言葉を久しぶりに感じてしまった。
面白くない映画とかって云うんじゃなくて、ボクには苦手な映画だったと云う訳だ。

彼らこそ、最高だった。 』 ・・・チラシの宣伝コピー・・・

ただ、返還前の香港に行ったことがあり、まだ九龍城も聳えてた時代で、ちょっと裏通りに入ると雰囲気ムンムンしてたから、対岸の澳門もいろいろあったんだろうなって気持ちが蘇って来て懐かしく思い出した。

あ、そうそう、主人公たちがいつも鞄を持ち続けてたのがかわいかった。あんまり重そうじゃかなったけど、何入ってたのかな?

2009年5月11日 (月)

音楽録 岡田奈々「若い季節」 '090511

バーミヤンで夕食を摂って帰ったら、妻が「ねぇこれ観る?」と云ってTVを付けた。画面には島田紳助の顔、そう「行列のできる法律相談所」がやっている日曜日だ。でももう22時近い。妻はどうして録画までしてるのか?「今日、岡田奈々が出たらしいよ」と云う。

しばらくして、最近は宗教活動の熱心さで有名な久本雅美の「憧れのヒト」として岡田奈々が登場した。50歳だと云う。ボクが40歳代半ばなのだからそうなのだろう。しかし彼女はあの頃のままの雰囲気でホントにきれいだった。でも彼女はずっとメディアに出ていなかった訳ではない。しょっちゅうじゃないけど数々のドラマに出演していたし、映画にも出ていた。ボクは映画「ラブ&ポップ」で彼女を観ている(たしか)。

番組内では出演タレントたちや観客?からの「きれい」「キレイ」の大合唱・・・確かにそうだが、なんだか観ている方が恥ずかしくなるような騒ぎよう。あれでは「最近観なくなって久しいけど」「50歳にしては」という但し書き付きの「きれい」と云われているようで、なんだか岡田奈々がかわいそうだったし、観てるこちらは少々白けてしまった。「行列」という番組の鼻につくところがこういうところだろうか(※)。結構いい番組なのに、クドイところが残念。

しかししかし、'50年代後半から'60年代生まれの男子にとって岡田奈々は“永遠の妹”なのである。

彼女は「俺たちの旅」で主人公カースケ(中村雅俊)の仲間オメダ(田中健)の妹としてボクの前に現れた。でも星型?の日本人離れした顔をボクは好みではなかった。どちらかと云えばボクは、カースケの恋人ヨーコ(金沢碧)のちょっと澄ましたところに惹かれていた。何事も天の邪鬼のボクには、当時人気絶頂とも云えた岡田奈々の可愛さを素直に認める余地はなかった。

でも岡田奈々にはひとつの魅力があった。そう、上手くもないがかなり印象的な小声で唄う歌手だったのだ。

ボクはもう30年以上経つのに、「青春の坂道」と共に「若い季節」を諳んじて歌える。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

[作詩松本隆][作曲佐藤健][編曲瀬尾一三]

白いズックが駆けて来るたび あいつのことが蘇るのよ

隣下宿に住んでたあいつ 窓を開ければ笑顔が見えた

ああ 愛しき人よ プレイボーイを気取ってるくせ

私にキスもせまれないのよ 純情なんです

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この歌は'76年発表の歌だ。当時ボクは中学生になっていた。しかし、その頃は人前で歌ったりしなかったし、レコードを買ったりした訳でもなかった。ラジオから聞こえる歌を聞いてれば、唄わなくても記憶していたのだ。松本隆が一番脂が乗っていたころではないだろうか?佐藤健の曲は前作「青春の坂道」の森田公一ほどのノリはないが、なかなか上手く行っている。編曲がかの中島みゆきにこの人ありの瀬尾一三。こういうところでもいい仕事をしてましたね。でもこの歌詞・・・よくもここまで恥ずかしいくらい青春の一瞬を言葉に出来るものだ。松本隆は偉大だ。

それから十数年、社会人になってカラオケが当たり前になった頃、ふと岡田奈々を歌ってみた。そして、自動車や自転車を走らせる時、なぜか口にする歌が、「青春の坂道」と「若い季節」なのだ。学生の頃、ボクは一人暮らしで、玄関トイレ共同風呂なし四畳半月18,500円に住んだ。窓の外は道路で向かいにかわいい女の子なんていなかったけど、この歌と自分の下宿生活が心の中でリンクしたのだろうか?

以前高速道路を走っていた時、この歌を思わず口ずさんで、妻から「何、その歌?」と聞かれた。頭では何にも考えずに口にしていて、ちょっと恥ずかしかったのを覚えている。

※ 「行列のできる法律相談所」は何年か前はよく観たものだ。「NHKスペシャル」が詰まらないときはほぼ観ていたものだ。たしか橋下徹が出る前はよく観ていたと思う。橋下徹が出始めてもたまには観ていたが、彼がでなくなってほぼ見なくなった。

2009年5月10日 (日)

映画録 HEARTS IN ATLANTIS/アトランティスのこころ '090510

自宅で映画を観るのは、週末の深夜が多い。映画はたいてい120分前後で作られたいるから、観始めるとその間連れ合いと話しが出来ないので相手が起きている時間は自ずと避けている。映画の趣味が違う夫婦はどこもそんなところではないだろか?

この映画はそんな深夜に録画した映画を観た後に、ふと地上波のTVを観て偶然始まってしまった映画。「アトランティスのこころ」・・・どんな映画だったか忘れていたけど、以前観たいと思ったことのある映画だったぞ、と気付き「とりあえず観てみよう。詰まんなかったら寝ていまうだろう」と決めて観始めたら引き込まれた。眠るどころか逆に目が覚めていた。 

二階に越してきた老人と過ごした一夏の思い出。
老人は不思議な役目を少年に託す。新聞を読むこと、不穏な空気を察し報告すること。
そうあれは、かけがえのない失われた遠い日。

語られるエピソードは、スティーヴン・キング流の少しビクっとするようなおっかないファンタジーワールド。ある日、旧い友からの形見が届き、男はかつて過ごしたニューイングランドの小さな町に赴く。そして思いは'60年代の少年時代に飛んで行く。学校と自宅を結ぶ坂道の周りだけがボクの世界の全てだった。
初めての恋、友との約束、森の探検、小川のせせらぎ、母との確執、いじめと克服・・・貧しかったあの頃、その全てが懐かしくて物悲しい思い出となって甦る。

誰かから逃げ隠れるように旅を続けてきた老人。少年はその落ち着いた風情や豊富な知識、そして不思議な予知能力に憧れる。父のいない少年が初めて尊敬できる大人に出逢えたのだろう。かけがえのないものを得たことを悟る少年は、彼との別れを恐れた。けれどその交わりは長くは続かなかった・・・

この映画ではあらゆる情景、すべての役者が素晴らしかったが、特に注目したのはアンソニー・ホプキンスとホープ・ディヴィスだ。

ホプキンスの演技は素晴らしいの一語に尽きる。隙のない演技とはこのことだろう。まさに円熟の極み。子供の頃に誰もが抱く老人への畏敬の念を少年に抱かせる演技。ホプキンスのどこがスゴいのか?それはその役を他の誰が演じられるものか?と思わせてしまうところだろう。

そしてディヴィス。この美しさとその堂々とした演技はどうだろう。ホプキンスと互して一歩も引かない。若き日のヒラリー・クリントンもさぞやと思わせる美貌。彼女は「ワンダーランド駅で」の恋に憧れる看護師役以来だが、相変わらずの完璧な役作りで、この孤独で我がままな未亡人役を心底楽しんでいるかのように演じていた。他の出演作品もぜひ観たいと思った。
そして、主人公ボビーの少年時代を演じたアントン・イェルチンの素直な演技、大人を演じたお馴染みデヴィッド・モースも素晴らしかった。

世界でほんのわずかな人しか持っていない[こころの力」をその人は持っていた。
 不思議な力がむすびつけた ひとりの男と少年の こころの奇跡の物語。
」 ・・・チラシの宣伝コピー・・・

キング作品の映画には「スタンド・バイ・ミー」や「グリーンマイル」など、観る者を懐かしい少年少女にタイムスリップさせる魅力がある。子供時代との惜別。大人になってしまった悔恨。誰にでもあるだろう、思い出せば胸を酸っぱくさせる遠い記憶・・・素敵な作品だった。

深夜に偶然出逢ったみっけもんの映画だった。あぁ、映画っていいなぁ。

2009年5月 9日 (土)

好物録 うれしいプリン480g '090509

ファミマTカードの会員は、毎週火曜と土曜は、おにぎりやパン、惣菜、そしてデザート類が10%Offになる。しょっちゅう利用する訳ではないが、これはなかなかお得だと思う。おにぎりふたつとサンドイッチを買って500円くらいとする。これを一年を57週として隔週1回づつ利用するとして、@500×28.5回×10%=\1,425が一年で割引きになる訳だ。牛丼だったら並で4回くらい食べられる計算だ(ボクは食事関係の計算を一牛丼単位@380として計算する)。

先日住民税払いにファミマに寄ったらたまたま火曜日で、よし明日の昼食はパンにしようと考えた。翌日は朝から池袋の新文芸坐で二本立て(※)を観る予定で、観終わるのは14時。パンなら映画観ながら音を立てないで食べられるぞ、という訳だ。

用事はパンを買うだけだったが、10%Offに連れられて、ついついデザートにも目が移る。そしてそこに林立していたのが「うれしいプリン480g」。通常のプリンの優に倍以上の高さ、カフェラッテ級の細長い円錐形の容器一杯に黄土色のプリンが満たされているではないか。そしてその容器の側面にはこんな文句が・・・

うれしいプリン480g

自家農場で採れたたまごを使用。480gの満足サイズでおいしい!

¥298(税込)

製造元はアグリテクノという会社。表示欄に書かれたHPは「しのぶフーズ」と違う会社名で一瞬?と思ったが、サイトを開けてみたら、しのぶフーズはアグリテクノの食品事業部門の名称だった。そして同社の商品紹介欄の上からふたつは「茶碗蒸し」と「玉子豆腐」。要するに鶏総菜が得意な会社で、自社の鶏卵場を持っているということなのだ、ということがわかった。自社の鶏卵場があれば、市場で変動する卵の仕入れ値を気にすることなく加工できる・・・うん、だからプリンが大型に出来たのだな、と納得したのだ。

このプリン、はっきり云って男向きだと思う。メーカーもそのつもりで開発したのだろう。TVの情報番組で必ず接頭語に「女の子が大好き」「女の子が大喜び」などと付け足されて説明されるデザート(最近は「スイーツ」などとも呼ばれ偉そう)だが、あれはウソ。プリンなどは特に男の方が好きなんじゃないかとプリン好きのボクは思っていたが、いかんせん一個当たりの容量が少なすぎで物足りなかった。そして大きめのプリンに限って薄味なのが多かったように思える。しかし・・・

この「うれしいプリン480g」はなかなか濃厚。さすが鶏卵場を持っているだけのことはある。卵の量にケチケチしなかったのだと思う。その点で○。味は「極うま」とまで行かないが、まぁ許せる男向き(勝手に云ってますが)。そして、ファミマの10%Offを利かせれば、@298×0.9=\268となる。ボクは480gを二回に分けて食べたので、240gづつ、一回当たり\134となったわけだ。

こういう製品は大歓迎だ。「うれしいプリン480g」、味と品質、そして何より量を落とさず、末永く頑張っていただきたい!

※ 「戦場のレクイエム」と「エクザイル」の二本立て

2009年5月 8日 (金)

映画録 鰐~ワニ~ '090508

不思議な映画を観た。キム・ギドク監督の処女作「鰐~ワニ~」である。

韓国・ソウルを貫流する漢江を渡る橋の下を舞台に、そこに棲みついた流れ者たちが過ごす暴力とセックスと騙し合いと邂逅の物語り。

時代はいつだろうか?朴正煕軍事政権下、“漢江の奇跡”と云われる開発独裁による経済復興を成し遂げた後だろう。1980年代後半だろうか?

暴力で浮浪者たちを支配する主人公・ヨンペの日常は、欲望の赴くままだ。食べる、騙す、殴る、犯す・・・しかし老人と子供に若い女が加わった奇妙な暴力下の共同生活は、小競り合いの中なぜか維持される。女は性のはけ口にされるが逃げる開けでもない(逃げる場所もないのかもしれないが)。公園でガム売りや詐欺行為をさせられる子供も屈託がない。老人もヨンペに意見するが、逆にヨンペの行き過ぎを抑える抑止力になっている。きっと彼らはここに来るまでのいろんな嫌なことから逃げて来たのだろう。そして皆、この暴力的支配の下、“疑似家族に浸る幸せ”を選んでいることがジワリと伝わってきて、少しだけ嬉しく怖かった。

彼らの生活は、少年のガム売りや主人公・ヨンペの恐喝、漢江への身投げ者からの略奪などで成り立っているが、映画を観るうちにその風景が自然に写るようになり、いつしかほのぼのとしたものに感じられるようになる。逆にヨンペがハマるカード賭博の詐欺や暴力、男色者の仕返し、女を食い物にするプレイボーイらの方がよっぽど異常に見えてくる。粗野で共感のひとつも感じられなかった浮浪者の男が、少しづつ好きになってくる不思議さが面白い。

老人は漢江はかつて綺麗な流れだったのに今は汚れてしまったと嘆く。しかしヨンペは漢江に好んで飛び込み、慈しむように自由に泳ぐ。唯一漢江が海へ通じていることだけを頑なに拒絶するだけだ。まるで漢江が汚れて誰も振り向きもしなくなったからこそ、独占できたのだと思うように。

しかし、そんな“幸せ”は長くは続かない・・・。

老人はヨンペを無実の罪から救い出す過程でまさかの死を迎え、少年は自らの過ちを嘆く。女は昔の男を諦めきれず、ヨンペを心から受け入れられない。そして罪なき子羊=彼らは知らず知らずに罪を重ね、解り合うことで壊れて行く。そして女の呪縛を解き放った時、女は自分の過ちとヨンペの愛と優しさを理解する。そしてふたりは・・・

70年代の高度成長期を故郷で過ごしたボクには、かつての自然が損なわれて行く過程で何もできなかった後悔が胸に沁みている。あの頃当たり前だった川の水や緑の風景が、今思えばかけがえのない美しい財産だったと思いだせるのだ。もう取り戻せないあの風景は時代と共にボクらが破壊してしまったのだ。

そう云う意味で老人の漢江への思いは理解できるし、そんなこと今更嘆いても仕方がない、今ある河と寄り添おうとするヨンペの思いも理解できる。

観始め、最後まで観るだろうか?と思えるくらい不快だったこの映画が、いつしか応援したくなる程好きになってしまう奇妙な感覚。ヨンペはどんな境遇で生まれ育ち、なぜあの橋の下に行きついたのだろうか?どうして漢江がいつか海に辿りつく事実を拒絶したのだろうか?

最後に、ボクは女を演じたウ・ユンギョンの物憂い風情に惹かれた。そして、監督のキム・ギドク。彼の作品は「絶対の愛」以来だが、どうも気になる。キム・ギドクはボクにかなり危険だ。

2009年5月 7日 (木)

ドラマ考 山田太一「小さな駅で降りる」 090507

'09年のGWは雨が締めくくった。05/06/水は午後から雨が上がると聞いて洗濯物をベランダに干したが、午後になって逆に雨脚が強まってしまった。

例年GWはどこもヒトで込むだろうからと余り外出はしない。外出する時は、GWよりも前から旅行に出るか、GWの終わり頃から出かける。要するに他の人たちと行動を逆にすることで、混雑を避けるのだ。東京に住んでもう二十数年になるが、いつになってもヒト混みが苦手だ。

そんな日に偶然TVで山田太一脚本のドラマを観ることが出来た。それは「小さな駅で降りる」。TV東京が95年からランダムに放送してきた「山田太一スペシャル」の一本、'00年に放送されたドラマの再放送だった。同局中心に製作された映画「60歳のラブレター」の劇場公開が間近なことと関連番組が放送されることに関係して、中村雅俊が出演していたドラマの再放送をしたのだろう。ボクは昨年の同局放送の「本当と嘘とテキーラ」を観て、ぜひ過去のシリーズも観たいと思っていたのだ。

このドラマはとても9年も前に放送されたドラマとは思えないリアルな内容で、びっくりした。

ドラマは事業の再構築を図るある食品企業で、若社長(※1.)が指揮して作った戦略チームのスタッフの物語り。しかし社長はまだ社内の信頼は薄く、事業再編には既存部門の既得権益を守ろうとする各部門の抵抗やリストラ処分されかねないと脅える社員たちの抵抗にあい、仕事は進めづらい。そんな中、並行して行われてしまったリストラや外部コンサルに頼る社長の行動力に疑問を呈する投書が会社に届く。いったい誰が出したのか?部内で疑心暗鬼な雰囲気が漂い・・・

部長役が中村雅俊、その妻に樋口可南子、部員に堤真一、その妻に牧瀬里穂、厭味な専務?に佐藤慶、他に離婚問題を抱える部員として根岸李衣、取引先の食品スーパー社長に山崎勉、担当社員に奥貫薫ら、けっこう芸達者な役者を揃えていた

実際、会社でバリバリ働きつつつも過労気味で帰宅しても会社のことばかり気にして愚痴ばかりの夫に対して、妻たちがその解放を宣言するストーリーなのだが、ここには山田太一氏のメッセージが漲っているように感じられた。会社、仕事、経歴、プライド・・・多くのサラリーマンが大事にしているものほど、社会や会社はありがたがってはいない=されていない現実が露出してハッとさせられる。

定年してから充分のんびり出来る日が来る、多くのサラリーマンはそう信じて働いているだろうが、本当にそれは来るのか?その時自分は健康だろうか?会社はいつまでもあるだろうか?自分は会社にいつまでも必要とされるだろうか?家族は?

山田太一氏は、今を大切に生きるべきだ、大切なのは夫婦であり、家族であり、今日のこの一瞬一瞬なのだ、と厳しく叫んでくれているように感じたのだ。さすがだと、山田太一にはかなわないとボクはつくづく感じてしまったのだった。

ドラマのラスト、元部長と社員の家族は、中央線の中津川行きの各駅停車に乗っている。木曽川沿いの風景を眺めたり、居眠りしたり。あぁ会社を辞めたんだなぁと。列車はとある駅で後続の急行列車(※2.)を待避する。暖かい日差しがホームに満ちていて、「このあたりで宿でも探してみるか」と声をかけ合う二家族。

そうなのだ。「小さな駅で降りる」とは途中下車のこと。すべてのヒトが急行列車に乗って終点まで乗って行ける訳ではない。急にポイントで行き先を変えられたり、突然列車を下されたりすることもあるかもしれない。もしかしたら、他人を下す役に自分がなるかもしれない。それでいいのか?そんなにしてまでしがみつくのはなぜか?・・・それを疑問に思ったり、迷ったりしたら、例えば途中で寄り道したり休んだりしたっていいじゃないか。急行が通過する小さな駅にもきっとささやかな人生があるに違いないと。

※1. 先代の息子という意味だが、岩松了が演じていて「若」とは見えなかった(笑)

※2.番組では「急行の退避」とアナウンスされるが、今どきJRには「急行」など走っていない。劇中も「特急しなの」が追い越して行く。まぁ特急も「特別急行」の略だから、急行には違いないが。

ボクは昨年の夏に会社を辞めてかれこれ10ヵ月が経った。そしてこの春からそろりと働き始めている。ボクも一休みした口だ。

2009年5月 6日 (水)

ふと思う疑問 そのままで結構です。モスバーガー '090506

大学に入学するために東京に来て最初に食べたハンバーガーはモスだった。大学の周辺にあるハンバーガー屋さんはモスだけだったのだ。駅前商店街と幹線道路沿い。コンビニエンスショップなんてポツンポツンとあるくらいで一番近いお店は隣駅の商店街の端のローソン(いや、名前はサンチェーンだったかも・)だったような気がする。しかも営業時間は夜11時までだった頃だ。20年以上前の話だ。

そんなモスバーガーを食べ続けて20数年。平均して二ヵ月に一度くらいは食べているだろうか?引っ越す先の近所にはたいていあるし、住宅街にあることが多いから、休みの日なんかにゆっくり行くことが多い。

でも、ひとつ気になることがある。トレイなどの片づけだ。

ハンバーガーショップはたいていセルフサービスだ。マックもロッテリアもファーストキッチンも。しかし注文してから出来上がるのに時間のかかるモスの場合、たいてい食事を持って来てくれる。でも下げ台が設けてあるから、片づけは自分でやってね、というスタイルは他のチェーンと同じだろう。でもそこで問題が生じる。

トレイを片付けようと下げ台に向かっている時に限って「ありがとうございます。そのままで結構です」とよく云われるのだ。こっちは片付けなど大したことではないので、最後まで片付けたいのだが、とてもすまなそうに中断させられる。

はたしてモスバーガーでは食べ終わったら片付けるべきなのか?テーブルに置いたまま去って良いのか?

トレイを片付けることなど難しいことではない。紙などの燃えるものとプラスチック系の燃えないものを区別すればいいのだから下げ台の前で1分もかからないだろう。他のハンバーガーチェーンで普通にしていることだから、手間でもない。しかも下げ台がしっかり用意されている。もし片づけをしなくて良いのなら、下げ台などない方が良い。事実ミスドでは下げ台がないお店が多く、実際店員から「そのままでいいです」と云われる。なんだか食べ終わったものを置いておくのは心苦しいのだが、下げ台がないのだから片付けようがない。そう云う意味でモスバーガーの態度は曖昧でややこしい。

下手に片付けられて、不燃ごみに可燃ごみを入れたれたり、コップやスプーンを捨てられたりするのがいやなら、1.下げ台を取っ払う、2.下げ台に「片づけはスタッフがいたします」と大きく書いておく、という対応をお願いしたいものだ。

せっかく他のハンバーガーチェーンと一線を画した評価があるモスなのだから、片づけ時にわだかまりを残すのはいかがなものかと思う。お客の目線に立ってもらいたいものだとつくづく思うのだ。他のヒトはどう思っているのだろうか?

これ、まじめな話です。

2009年5月 5日 (火)

映画録 COPYING BEETHOVEN/敬愛なるベートーヴェン '090505

誰でも知ってる乱れ髪ベートーヴェンの晩年のお話し。

ほんとにあんなにおケツまる出し下品&わいせつオヤジだったかどうかは別にして、あぁあんな時代に生きたヒトなんだなと納得してしまった作品。しかも一人暮らしで部屋散らかして、傍若無人、しかもニートな甥っ子を溺愛するなんて、見ちゃいられない。
そして第九の頃は耳はまだ少し聴こえてて、。耳にラッパみたいな器具を付けてたり、でっかいカラーみたいなのを襟に付けて音を聞いてたなんて、作曲の苦労もよくわかった。でもあんなにすぐキレちゃうオヤジに女性がひとりで譜面を写してたなんてびっくり。でも、有名な作曲家に陰に譜面師ありってことがよくわかった(でもホントは女性じゃなくて男性だったそうなので、映画はかなり嘘ですな(しかも劇中のオーケストラの中で指揮助手のシーンは、感銘すら覚えた。そう云う意味でこの映画は偉い)。

でも描かれてたのがあまりにベートーヴェンのオヤジ的晩年だったので、なんだか老醜さからしてかなり気分は引き気味。でもそんなオヤジが「体拭いて」なんて平気に云うもんだからオイオイコノエロオヤジ!と反発しつつ密かに期待したHシーンは全くなしで、逆に「オヤジ意外とイイカラダしてるじゃん」とびっくり。あの体で痛風はないよ~、と思ったら、あれエド・ハリスが演じてたのねとまたびっくり。エドさん、ほんとどんな役でも出来るんですね。偉い!(あのお尻も乳首もエドオジサンのだったんですね!)

この映画の収穫は写譜師アンナを演じたダイアン・クルーガー嬢の美しさ。ボクは「マンデラの名もなき看守」以来ですが、相変わらず硬質な美貌ですね(ボクはナタリー・ポートマン系の美人に分類しました)。先生は我がままで汚れてるし、彼氏は金持ちだけど才能ないし、おばさんは尼になれってうるさいしアンナ、カワイそうだったなぁ。冒頭シーンで馬車に乗ってるお顔が哀しそうできれいでした。

「 孤高の音楽家ベートーヴェン、歴史に隠されたもう一つの物語。
 “第九”誕生の裏に、耳の聴こえないベートーヴェンを支えた女性がいた。
 」 ・・・チラシの宣伝コピー・・・

この映画、ボクは写譜師アンナ以外に感情移入できなくて、評価は少々低い。ベートーヴェンオヤジを始めとして、ニートな甥のだらしなさ、ウィーン宮廷の偉そうな貴族たちの態度、寒そうな修道院と怖そうなおばさん(サリエリの弟子だった!)、楽しい場面は居酒屋だけって感じ。甥は更生したとは思えないし、宮廷貴族はベートーヴェンを尊敬してたとは思えなかった。彼氏もわがままだったし(模型が・・・あれには同情したナ)。

でも、これだけは云っときますが、第九の初演シーンはよかった。四日前に出来れなかったのにホントにあんなに巧く演奏や合唱が出来たかどうか?だけど、あのシーンだけでも劇場でききたかったなと思わせる、贅沢な場面でした。ダイアン・クルーガーの美しさと演奏の見事さでう~ん70点。

ケーブルTVで鑑賞。

2009年5月 4日 (月)

政治考 高速道路が国民の墓場になる '090504

GWの実質的なスタートとなった土曜日の夜、各地の高速道路では思いもよらない場所で渋滞や事故が多発したという。さもありなん・・・

ダミ声お坊ちゃま首相はこれをどう感じているんだろうか?側近を従えて銀座や虎ノ門辺りのホテルのバーで、渋滞も国民が喜んでいる結果、と思っているんじゃないだろうか。

高速道路料金を東京・大阪市民を差別して値下げし、国民に小銭をバラまいて喜ばせることで、景気の悪さを払拭しているつもりだろうか?GW初日の高速道路は、渋滞地域の増加でのろのろ運転が蔓延し、沿線ではきっと排気ガスが大量に漂ったことだろう。これではいくらエコカーが増えても意味がないではないか。

高速道路は確か料金を20兆円以上国の借金になっている建設資金の返済に充てるはずだったのではなかったか?一時的に安くすれば交通量は週末に偏在し渋滞を招き、国の借金は一向に減らず、いつまでも有料のままだ。挙句に景気浮揚策として凍結していた高速道路の建設を開始するらしい。図々しいにも程がある。払いきれない借金を自民党はどう考えているのだろうか?自分たちは議員年金貰って、企業からのウラ献金を溜め込んで、タダ酒呑んで、息子に継がせればハイお終いってことなのか?

高速道路は今や鉄骨とコンクリートの塊だ。

民営化前に行われた道路関係公団四公団民営化推進委員会の会長が鉄鋼メーカーの新日鉄の元社長(現名誉会長)の今井敬が就任していた。これも、いかに高速道路建設に企業が介在していたかがわかるというものだ。建設側の元締めが民営化推進委員会長をやっていたこと自体、小泉なんでも民営化政策の愚弄ぶりが見えてくる。そしてコンクリートはセメントを原料とする訳で、高速道路はセメント会社の利益の象徴だ。麻生セメント元社長で実質社主の麻生太郎の政権での工事再開は、金儲け以外の何ものでもない。「効率化」「官僚憎し」「民営化」と錦の御旗でさも国民のためと云いながら、実は利権の亡者が仕切っていたのが民営化推進委員会だったのだ。

ただ今回の高速道路料金週末1000円化で利用者である国民は気付くだろう。高速道路は、山を削り谷を埋め、そしてそのほとんどが橋梁とトンネルで出来ていることを。国土を痛め、税金を注ぎ込み、ゼネコンや材料企業を潤おわせ、官僚の天下り先を確保する。

最後に確認したい。

麻生内閣は一度も国民の審判を受けていない。衆議院選挙は小泉郵政選挙で大勝した2005年9月以来行われておらず、その間、安倍、福田、麻生と無選挙のまま政権がタライ回しにされている。そしてこの格差社会と不況、そして根拠のないイラク侵略を作りだした郵政選挙は、国民が熱狂して小泉・自民党に投票した結果なのだ。責任は国民にある。

高速道路料金が安くなって喜んでいるのは、ETCカードを管轄して手数料の入る国土交通省管轄の財団法人道路システム高度化推進機構(理事長:張富士夫トヨタ自動車会長)と、サービスエリア(SA)を管轄する東西中日本の各高速道路会社だけだ。渋滞が増せば増すほど、SAは繁盛する。平日は雇用せず土日祝祭日だけ増やせば済むパートを増員すれば、繁盛してコストを削減できる。

現在の不況の元凶の一因は国民の愚行だ。肝に銘じなければならない。

高速道路料金が安くなって最後に付けを払うのは国民である。忘れてはならない。

2009年5月 3日 (日)

映画録 集結號/戦場のレクイエム '090503

先日池袋・新文芸坐の客席で、涙をポロポロ流していたのはボクです(暗かったので誰も気付きはしなかったと思いますが)。人民解放軍グー・ズーティ中連隊長のその壮絶な人生に、ただ泣くしかなかった。ボクを泣かせた映画は「砂の器」以来。迂闊にも流してしまった涙ではなく、映画の中の主人公に感動して素直に泣いたのだ。ボクは溢れる涙を止めることはしなかった。

この映画、ロードショー公開時に見逃して、どうしても劇場で観たいと思い、今回ようやくその思いが叶いやっと観れた!いやぁ凄い!映画は前半の怒涛の戦闘シーンと後半の贖罪と苦闘の日々とに大きく分かれる。それぞれひとつの映画ろして成立すると思われる程の中身の濃さだ。

一人生き残り、すべてを背負う──。 」 ・・・チラシの宣伝コピー・・・

凄まじい銃撃と砲弾の雨。粉々に吹き飛ぶ腕、脚、顔、飛び散る血しぶき・・・市街戦と防御戦の性格の異なる戦闘シーンが激しく描かれる前半。敵の罠に嵌る市街戦の接近戦の戦闘、そして戦車や戦闘機を交えた郊外の防御戦、共に戦闘の凄まじさと殺し合う人間の哀しさがずんずんと迫ってきた。
その戦闘シーンのリアルさは「プライベートライアン」以上ではないだろうか?特にボクには風貌の似た同じモンゴリアンである中国人の戦闘シーンが余計に身近に感じた。そして同じ国の民同士が殺し合う凄まじさと哀しさはいったいどう書けばいいのだろう。まさに壮絶な殺し合い。ヒトの命がこうも軽々しく失われるとは・・・戦争ってただただこんな無意味の連続的凝縮何だろうなぁ、と。

そして後半、ひとり生き残ったなか中連隊長の孤独、自分以外の全ての兵士が死に所属軍団が改編されたことで、連隊全体が忘れ去られ評価されなかった絶望と悲しみ。いったい何のために闘ったのか?自分を信じて付いてきた部下たちの壮絶な死は無意味だったのか・・・そして元連隊長は一兵卒として再び軍に戻り、失った部下たちの名誉を取り戻す長い道を歩き始める。

この映画は中共建国時の悲劇である国共内戦の激戦「淮海戦役」とその後の名誉回復の苦闘を描いたもの。しかし、共産党政権の成立を称賛し国民党の腐敗を暴露する画一的なプロパガンダには陥いらない。それどころかく、一兵士の真摯で愚直なひとりの闘いの人生を通して、中国民衆の近代史そのものを描かいている。殺されて行く兵士だけでなく、野戦病院、民衆、朝鮮戦争で出逢う米軍兵士に至るすべての登場人物一人ひとりが生き生きと描かれていて、まさに'40年代後半から'50年代の中国にいるかのように感じられた。ボクはその激動の時代の中国を覗き込むような臨場感に浸ることができた。

パンフでの知識から、この映画は事実を基にした「訴訟」というたった3ページの小説が原作とのこと。それをこれ程までに壮大な物語りにしたフォン・シャオガン監督と脚本のリウ・ホンを讃えたい。そして何よりグー・ズーティを演じたチャン・ハンユーに拍手。中国映画を観直した映画になった。

またこの映画の原題は「集結號」、「號」は「大声を出す・大声で泣く」の意味だそうなので、この映画では始まりと終わりを彩る戦場での集合ラッパを意味にするのでしょう。邦題は「戦場のレクイエム(葬送曲)」。レクイエムはトランペットの独奏をも意味するとなれば、この邦題は至極的を得たものと思われる:◎

時代に翻弄される主人公の歩む壮絶な人生、これはまさに“孤高の英雄”!ドラマとはここまで描くのである。

2009年5月 2日 (土)

ふと思う疑問 明治神宮は“集まりたがり屋”の聖地だ '090502

毎年正月になると日本人は急かされるように初詣でに赴き、いくばくかの金銭を投げその年の願いを懸ける。正月の“当たり前”風景でこれ自体には疑問を挟む余地は全くない。かく云うボクも子供の頃、義務のように紅白歌合戦を観終わり除夜の鐘の響きを聴きながら意味もわからず近所の八幡社に詣でたものだ。

でもいつも疑問に思うのは、初詣での参拝人数である。ボクがまず地元の八幡社に詣でるのは、地元の氏神だからである。ボクの姓は地元の集落では多数派を占め、隣近所のほぼ半分は同じ姓という地域で、多分数百年以上前から住んでいるのではないかと思う。きっとボクの何代も前の祖先もきっとその八幡社に詣でだていたのではないか、と思えるのだ。まぁ、それが愛着というものなのだろう。

では全国ではどうなのか?例年正月三が日の参拝数の上位も寺社をマスコミが報じているが、毎年ほぼ常連の寺社名が並ぶ。大都市に人口が集中している以上、その近辺の寺社への参拝客数が増えるのは致し方ないにしろ、ここで疑問が浮かび上がるのだ(発表される数字も「ほんとに数えてるの?」と疑問ではあるが・・・)。人々はなぜそんな寺社に足を運ぶのか?

参拝数は、1980年以来東京の明治神宮がトップななのだが、それがボクには不思議なのだ。明治神宮が出来たのはたかが1920年のこと。そうなのだ、出来てまだ百年も経っていない新しい神社なのだ。地方出身者のボクは、「東京のヒトは新しいところが好きなんだなぁ」という思いになる。

1983年以来2位と3位を占めている成田山新勝寺と川崎大師(※1.)が、共に寺院で真言宗智山派であることも面白い(※2.)が、成田山新勝寺は開基が940年、川崎大師は1128年で、共に相当な歴史がある。上位の常連で他の寺社をみても、京都の伏見稲荷神社[708年]、大阪の住吉大社[211年]、鎌倉の鶴岡八幡宮[1063年]、福岡の太宰府天満宮[919年]、大宮の氷川神社[BC473年!]、東京の浅草寺[628年]、名古屋の熱田神宮[不詳]・・・

氷川神社の紀元前473年っていうのは確信犯的な匂いを感じるが、熱田神宮の「不詳」ってのは逆に「そんなに古いのかい?」って神話時代的な歴史を匂わせる。とにかく明治神宮以外は軒並み1000年級の歴史がある「由緒正しき」寺社さんなのである。

ではなぜ明治神宮が一番人気なのか?

たぶん幕藩体制が終わり最初の立憲君主国家として最初の君主となった明治天皇を祀った明治神宮を、大日本帝国体制は天皇制国家の象徴として権威を高めたかったのだろう。初詣で数日本一という結果は、かなり成功した結果だろう。

そしてそして太田道灌が江戸城を作ったのが1456年というから、江戸は出来てから500年くらいの、他の日本の城下町に比べればまだまだひよっこな都会であり、しかも徳川幕府が出来てから発展して住民が増えた訳で、しかも日本の首都・東京になったのは1868年から。

思うに、新しい町に住むヒトも新しいヒトたち=東京の住民は、とにかく神社も新しいところが好きになったと云うことだろう。東京のヒトはとにかく新しもの好きだし、行列ができればすぐ並びたくなる“集まりたがり屋”。明治神宮への初詣でも、きっと「みんなが行くからわたしも」ってのが、東京庶民の行動原理にぴったりだったんだろうなぁ。

ところで、初詣の参拝数の上位寺社が1980年以降ほぼ固定化しているのはなぜだろう?ちょうど高度成長も成熟し、中曽根政権が成立したのが1982年・・・国民の中流意識が蔓延して国中が“まったり”し出し、累進課税の改悪され出して右傾化した表れが、初詣での現状にも表れているのだろうとつい考えてしまったのだ。

※1.川崎大師は呼称で本名は「平間寺(へいけんじ)」と云うそう。なんだか可愛いね。

※2. 関東にはそんなに真言宗門徒が多いのか?いやいや、この二つがともに「商売繁盛、交通安全」を掲げたから、それに釣られてるって要因が大きいのだろう。商売が巧いってことですね。

2009年5月 1日 (金)

映画録 STATE OF PLAY/消されたヘッドライン '090501

「消されたヘッドライン」・・・この野暮ったいタイトルの映画を試写会で観た。程よい緊張の連続でかなり面白かった◎
でも展開がほんと早い!一瞬目を逸らすとえっナニなに?と、哀しき日本語字幕追いは、とにかくまばたきにも気を遣いました(英語使いのヒトは大丈夫でしょう、フンっ)。

ラッセル・クロウは「シンデレラマン」以来のお久しぶり。無頓着な独身記者って役作りなんでしょうがないけど、かなり太っちょ&髪長~・・・正直見た目はいただけません(笑)。が、クロウの演技はさすがに巧い!
これに正義感あふれる若き国会議員(世間では中年でも政治家になると青年になるのはなぜ?)に相変わらずの育ち良さそなお兄ちゃんのベン・アフレックス、クロウの上司に元エリザベス女王(!)、このおふたりが巧く絡む。そして新聞社の同僚にレイチェル・マクアダムス(Mcってことはスコットランド系?)「きみに読む物語」を観ていないのにどこかで観たような・・・あ、「あぁ結婚生活」に出てた娘だね、いやぁ現代っ子役の方がいいよ。色気はちびっとだけどなかなかキュート。

さて物語りは、とある二つの殺人事件に政治ドラマが絡んで、その双方を追い駆けることになる新聞記者もの(公聴会で証言するUSの病巣のような■▲産業のトップは面の皮がぶ厚そうなラムズフェルド似)。こう書くと簡単な映画と思っちゃうかもしれないけど、展開はかなり複雑でリアル!

暴くのか、逃げるのか-。それは、一人の新聞記者が見た“現代アメリカ最大の闇”。 」 ・・・チラシの宣伝コピー・・・

展開は早いし内容も濃い→面白い、と絶賛したいんだけれど、後味はちょっと良くない(のはボクだけ?ここで-10点)。でも結末がなぁ~・・・いやいや映画だからこうしなくちゃいけないのかなぁ~、政治が絡むと何事も映画もスッキリしないからかなぁ・・・(この政治劇的な展開を観てなぜか“オザワくんもこんな風にはめられたのかな”なんて思っちゃったり)。

この話、元はBBCのミニシリーズ(※1.)で、ハリウッドがリメイクしたとのこと。2時間でギュギュッとしたから余計に忙しくなったのかなぁ?などと思ったり。
いやいやとにかく皆さん、観てください。記者もの、政治もの、■▲ものが好きな方は必ず映画館に行きましょう。USの新聞社の構造もよくわかりますよ。「大統領の陰謀」を懐かしく思い出したなぁ。
ラッセル・クロウ好きはもちろん必見。やっぱ中年は太ってなきゃ(笑)。
でも、タイトルは好かん。原題は「STATE OF PLAY」・・・ボクがつけたら「スクープを追え」かな? ・・・ダメ?すみません。

※■▲は公開後に記す予定です。

※1.BBCのTVシリーズの日本語訳はallcinemaで「ステート・オブ・プレイ ~陰謀の構図~」とされています。

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