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2009年4月の18件の記事

2009年4月30日 (木)

映画録 ENIGMA/エニグマ '090430

第二次世界大戦の暗号解読戦を描いた映画「エニグマ」を観た。ボクの両親たちが小国民と云われて校庭でいも作って竹やりで軍事訓練してた頃、世界中で闘った全体主義勢力=同盟国とそれ以外=連合国の闘いの下に、暗号の解読を巡る技術戦争があったのだ。

劇中の主人公たちの恋愛などはフィクションだろうが、下敷きとした解読のエピソードはきっとあったのだろう。第二次大戦は実際諜報戦でもあったわけで、日本など暗号を解読されたことで、司令官は撃墜され、海戦で壊滅的に敗北している。

UK・ロンドンの郊外にとある軍施設に、数学の天才たちが集められて、日夜暗号解読に勤しんでいた。歴史的に「Ultra」と呼ばれた組織がこれだろう。

ナチス・ドイツが前線との連絡に使う暗号装置「エニグマ」を解読した天才数学者のジェリコは、同じく解読移設に勤める女クレアに捨てられ、ノイローゼになり大学に戻されていた。しかし、ある日ドイツはエニグマの暗号を突如変更してきた。なぜだ?こちらに解読がばれたのか?時は連合国側の史上最大級の補給船団が大西洋上にあり、ドイツのUボート艦隊の標的にされつつあった。

映画は大西洋での覇権争いを巡る解読戦を縦糸に、ジェリコを虜にして捨てた女クレアの失踪を横糸に、ジェリコがクレアの同居人であるウォレスと一緒にクレアの疾走を暴いてゆく。そしてその背景に、ドイツ軍の暗号変更の裏に、解読施設内のスパイ工作の存在とクレア失踪が絡んでいると睨む英軍諜報部の動きが絡んでくる。

ジェリコは暗号解読よりもクレアの失踪の方に積極的で、ウォレスも優秀なのに上流階級出身でないため暗号収集の立場に置かれ愚鈍な男性上司に使われている身の上を嘆き、クレア失踪に入れ込む。機密事項を探り諜報部や警察に追われるシーンは、危なっかしく、かつ冗談のようだ。あの時代、日本では全体主義が跋扈し、「一億火の玉」なんて虚勢を張上げて国民を締め付けていた訳で、そんなところを見ると、イギリスの大らかさを感じた。まぁこれは映画なので事実とは違ったのだろうが・・・

暗号解読チームの構成は連合国側の事情が色濃く反映されていいた。当時連合国側にはUS・UKの資本主義経済とソ連・社会主義陣営が、共通の敵として全体主義国に対峙していた。だから、社会主義者や無政府主義者、ドイツに占領された国からの亡命科学者らが混在していた。そう敵の敵は味方なのだ。一緒に全体主義と闘った彼らも、戦後は憎み合って行くんだなぁ~

ジェリコとウォレスが消えた傍受記録を探しに郊外の信号傍受施設に行った時、そこで働くある女性がジェリコに尋ねるシーンが印象的だ。「私たちの仕事は役立っていますか?毎日訳のわからない記号を書き移して行くだけです。私たちは戦争に役立っていますか?」・・・そうなのだ、戦争で闘っているのは何も前線の兵士たちだけではないのだ。暗号をひたすら傍受して書き移す人々。言葉なのかデータなのか?日々イヤホンから聞こえてくる信号を書き移す仕事を支えるモチベーションは、世界を戦禍に巻き込んだナチス・ドイツに勝利することに自分の仕事が役立っているのだ、という思いだろう。

「 解読せよ 無限の文字にうごめく、謎の女と国家機密。 」 ・・・チラシの宣伝コピー・・・

暗号解読を巡る映画として記憶に残るのは「ビューティフル・マインド」だ。あの映画でもそうだったけど、暗号解読って結局軍事秘密=協力に直結するし、そう云う諜報活動を操る軍人ってかなりヤな奴。なんだよなぁ~

この映画で残念なことは、主人公ジェリコに感情移入できなかったこと。嫌いってわけじゃないけど、馬鹿な女に入れ込んじゃうところがいかにも愚かだ。だって「あなたの家に行きたいあ」って云ってH後に眠ってたら、机やカバンを探してる、なんて明らかに情報狙いって分かるだろうし。

ボクは純粋に「エニグマ」というドイツが作った暗号機を巡る物語りに興味を抱き映画を観、戦争の真っただ中の解読に携わる人々のドラマを観た。戦争は本当に様々なドラマを生む。それは戦争が一番人間らしく愚かなことだからだろうか。

2009年4月27日 (月)

ふと思う疑問 競艇の利権 '090427

競艇というお上のお墨付きの賭け事があるが、公共賭博のはずなのに日本船舶振興会という民間の団体が仕切っている。

具体的に云えば、競艇の収益金(売上ではない、利益である)の2.6%が日本船舶振興会に支払われることになっているらしい。つい最近までは、3%以上だったというから、もうこれは上納金って感じである。

日本船舶振興会といえば、レベルの低い暴言で有名な自民党の笹川尭氏のオヤジ・故笹川良一氏が作った団体だ。競馬、競輪、オートレースなど公共賭博はいろいろある(※1.)が、個人が作った団体が公共賭博の胴元になっている例は競艇だけだ。どうしてこんな形になっているのだろうのだろうか?

ボクの小さい頃、良一氏はTVのCMで「一日一善」などと叫んでたジジさまだ。CMの中では自分が母親を背負って階段を登っている銅像なども映し出され(たと思う)、「何だ、この自己顕示欲丸出しのジジイは?」と笑ったものだ(※2.)。母親を世話するのは子供にとっては当たり前の姿として良一ジジイ(氏)の時代は誰でもしたこと。それを競艇の収益金で自分の銅像を建てる・・・どこかおかしい奴としか思えなかった(※2.)。賭博の胴元が「一日一善」だなんて呆れる以上の何ものでもない。こういうのが抱腹絶倒というのではないか。

良一氏は、戦前から右翼として活動し、敗戦後A級戦犯として巣鴨プリズンで服役し、その後US占領行政の右旋回によって反共右翼として釈放され、競艇の資金を利用して自民党や旧民社党、CMのスポンサーとして民放各社に圧力をかけたと云われている(らしい)。

話しを戻そう。公共賭博の胴元が、どうして民間団体なのだろう。誰が、どんな権力が、この事態を許容しているのだろう?所管の国土交通省がこの状態を維持しているのは、誰かが利益に浸かっているのだろうと勘ぐってしまう。

そしていったいこれまでどれだけの金が日本船舶興会に流れ込んでいるのだろう?収益金は様々な慈善活動に使われているとのことだが、全てではない。また、慈善活動に使われているって云ったって賭博の金だ。競艇で金を使い込み破産した会社や離散した家族がどれだけいるだろうか(でもそれは競艇に金をつぎ込んだヒトの責任です)?これはある意味、マネーロンダリングの一種と思ってしまうのは・・・・。

そして現在の会長は、三男の陽平氏である。財団の会長が世襲する例が多いのかどうか知らないが、船舶振興会の世襲は、財団の私物化以外の何物でもないだろう。

競艇はボクの好きな佐藤正午が通い詰めるほどファンだが・・・まぁ、ボクは一度も船券を購入したことがない。今度一度行ってみようかな?ビギナーズラックってあるのかな?

世の中にはよくわからんことがいっぱいあるなぁ。

※1. 競馬、競輪、オートレース・・・宝くじ、サッカーくじなども入るのかな?

※2.しかし当時の子供には「一日一善」は普及した。しかし、どちらかと云うと状況を煙に巻く言葉として使われることが多かったと云える。

2009年4月25日 (土)

映画録 Good Night, and Good Luck./グッドナイト&グッドラック '090425

この映画は最近観たのではなく、三年前に観たものだが、忘れられない映画なので思い出として書こうと思う。

ボクはUS嫌いだけど、好きな映画や小説、そして音楽や文化には大好きなものが多い。記憶に残る最初に読んだ大好きな小説は、リチャード・ブローディガンの「愛のゆくえ」だし、最初の好きな映画は「卒業」だった。そして全て見通したドラマは「コンバット」と「ER(※)」だ。そう、あらゆるところでUSに相当な影響を受けたと云える。まぁ高度成長期以降に育った日本人全てが良しにつけ悪しにつけUSに影響されているだろうが・・・

これまで数百のUS製映画を観てきたと思うが、その中で感銘を受けた映画もいくつもある。その中で、この「Good Night, and Good Luck」は特に影響されたうちのひとつだろうと思う。大袈裟かもしれないが、「映画は偉大だ」と思えるほどの大きな存在だ。

冷戦下の'40年代後半から'50年代前半にかけてUSで吹き荒れた「マッカーシズム=赤狩り」。自国の既存の権威を完全否定する事象は歴史の中で様々あるけれど、USにおける赤狩りは、中共の文化大革命に匹敵するものだったと感じる。あの頃、欧州におけるソ連の躍進やアジアにおける中共の成立、そして朝鮮戦争の勃発は、世界の警察官=USにとって、そのプライドをかけてぶっつぶすべきものだったのだろう。

この映画は、CBSの「See it Now」のアンカー:エドワード・R・マローとプロジューサー:フレッド・フレンドリーが、局からの圧力や自分たちの地位に苦悩しながらも、苛烈を極めるなマッカーシズムが違法な手法を使って一兵士を除隊させられることを批判するために立ち上がる物語り。全編モノクロ画面ですこし時代を感じさせるもの。これには賛否あると思うが、監督のJ.クルーニーは、USの恥部ともいえる赤狩りを「そんな悲惨な時代と、こんな男たちを忘れてはいけない」との思いで必死に作った映画なのだと思えた。

1954年、アメリカ
  百万人の視聴者が、ひとりの男(ニュースキャスター)に未来を託した――
  自由を再び手にするために
」 ・・・チラシの宣伝コピー・・・

「マッカーシズム=赤狩り」は、このマローの報道をきっかけに批判が高まり、その年末に終焉を迎えることになる。

ジャーナリズムの健全さは何を基準にするか難しいところだけれど、USは'50年代の半ばに、ひとつの危機を抜け出し、この後の繁栄を迎えたと云える。ただこの赤狩りによってUSのジャーナリズムや映画産業には、チャップリンらの国外逃避やエリア・カザンの密告など数々の不幸や不信も生んだ。後のエリア・カザンのアカデミー名誉賞受賞への映画人たちのブーイングはUS映画会の良心の表れだろう。

この映画をどう評価するかは個人のジャーナリズムへの関心と赤狩りへの見解によって違ってくるだろう。しかし、ボクにとって、映画の中の実在の人間に共感できた映画は珍しい。特に、共感できてもそれが残念な結果にあることが多いだけに、マローらは悪意に満ちたキャンペーン=赤狩りに勝てたという意味でも稀な映画だと思う。

この映画はボクにまだ「US映画の良心」を伝えてくれるものだ。

※ 日本では13シーズンまで放送済み、14,15シーズンが未放送

Good Night, and Good Luck

2009年4月24日 (金)

ふと思う疑問 ある社会保険事務所への問合せ '090424

くだらない些細な思いをひとつ・・・

ボクは今失業者。失業者も年金を払う義務がある。就職していないから当然国民年金だ。社会人になって20年以上払ってきたから、収入が無いからって今更止める訳には行かない。そして四月。「国民年金保険料納付案内書」というのが届いた。

定額保険料は月額@14,660、これを毎月払うことになるが、1年分や半年分をまとめて先に払うと毎月払うより安くなる。「前納」というらしい。

1年分を一括で先払いすると、総額@14,660×12ヵ月=\175,920が、\172,800になる。割引額は\3,120。割引率は1.77353%になる。僅かな率だが、金額的には結構ある。一回安酒飲んだくらいの金額だろうか。半年分の先払いもあるが半年で\710、もう半年後にまた先払いするとして年間\710×2回=\1,420、割引率は0.80718%になる。\1,420・・・牛丼4回分くらいだ。

ボクは今失業者だが近いうちに就職したいと考えている(出来ないかもしれないが・・・)。もし就職した先が厚生年金に入っていたら、先に払った年金はどうなるのだろう?と疑問になり、「国民年金保険料納付案内書」に書かれていた番号に電話してみた。地元の社会保険事務所だ。

そして電話に出た方に「納付案内書が届いて、前納について教えてもらいたいので」とここまで来たときに電話の向こうから「担当に代わります」との声が・・・

「担当の方ではないのですか?」と聞くと「これは代表電話ですから」とさも当たり前と云った返答。ここでふと感じたことがある。

会社や団体、公共機関には代表電話があるのはわかる。しかし、特定の目的のための案内をしているのだったら、その書類には代表電話の番号ではなく担当部署の電話番号を記すべきではないだろうか?ボクはその時、少々うんざりしてしまったのだ。何でこんな簡単なことができないのかな?と。なんで代表に一旦かけないといけない構造になっているんだと・・・。一瞬、使えないHP=なかなか目的項目たどりつけないHP=を想像してしまった。

そしてどうしても代表電話にしたいのなら、電話に出る際に「はい、***事務所代表電話です」とはっきり云うべきではないかと。そうしてもらえたら「***についての担当の方をお願いします」と云えるではないか。

結論的には、電話はタライ回しされずに、次に出た方が「厚生年金に加入された時点で前納され重複している金額は返納の手続きがされます」との返事だった。

「それでは前納で割引された分の損得はどうなのですか?」と聞くと、「損得はありません」との返事・・・そうなのかな?と疑問に思いつつ電話を切ったのだった。

些細なことである。でも・・・なんとなく思うのだが、目的がはっきりしている書類には、目的にすぐつながる電話番号や担当者を配するのが“気持ちの良いサービス”ってことになるんじゃないかなぁと思った次第。

こんな思い、おかしいかな?

2009年4月23日 (木)

いらないもの オープン戦TV報道 '090423

毎年3月になると嫌なことがある。それはTVのプロ野球オープン戦報道。あれ、報道する意味があるのかい?

オープン戦って要するに練習でしょ?オープン戦でどんなに調子良かったって、所詮は練習試合。ペナントレースが本番で、しかも近年は上位チーム間のプレーオフで日本シリーズの出場が決まる訳で、オープン戦の価値なんて全く無いと云える。

さらに最近のプロ野球では、選手のいろんな記録がもてはやされることが増えてきている。たとえばゴールデンイーグルスの岩隈投手の23年ぶり“21勝投手”とか、ドラゴンズの山本政の高齢200勝などだろうが、オープン戦の記録はあくまでも練習扱い。

オープン戦のTV報道を一切するな、とは云わない。でもオープン戦のTV報道はホントに面白い話題が出た時くらいにしてもらって、スポーツ新聞で報道してもらえばいいじゃないか?TVはCXの系列の「プロ野球ニュース」あたりだけで充分。NHKの「ニュースウォッチ9」やANB系列の「報道ステーション」で竹内絵美が大声で張りきるほどの話題ではないと思う。

ほんと、オープン戦なんて勝った負けたの成績を流す程度でいいよ。

でも今年はいつもと違ってオープン戦報道は少なかったように感じた。それはWBCがあったからだ。まぁWBCのお祭り程度のものだったが、やっぱりオープン戦に比べれば価値は天地の差。オープン戦報道が少なかったことで、ボクはちょっとホッとした春でありました。

2009年4月22日 (水)

映画録 容疑者Xの献身 '090422

ベストセラー嫌いのボクは当然ながらこの本の原作を読んでない。でも昨年TVでドラマ化された際に、「あんたの好きな科学ものよ」と妻に促され、とにかくTVドラマは観てみた。

でもドラマの中身は大味で上出来とは思えず、なんでこんな番組が高視聴率なのか?と疑問で、「評判の小説もこんなものか」と馬鹿にしたものだった。

そんな想いだったのが、3月に新文芸坐で「パコと魔法の絵本」と併映上映、「パコと~」の評判がよかったので、ついでに観てみよう、そしてもしかしたら「容疑者~」も映画の方はちゃんとしてるかも?と及び腰で観に行ったところ・・・結論:面白かった!TVと出演者が同じなのに“実に面白”かったのだ。

福山は相変わらずの“まぁまぁ”さだったけど、堤と松雪の演技は立派、さすがやのぅ~て感じの安定感。TVで鼻についた柴咲の演技も、映画では登場シーンも少なく嫌みなく観られた(彼女はちょっと出るくらいがちょうどいい。最近は「POs-Ca」のCMが感じ良かったなぁ)。やっぱ、理科系のドラマは1時間程度のTVで語るのは無理があるのだろうなぁと思った次第。

正直申し上げて、この映画はガレリオ=福山くんは添え物で、堤&松雪の映画でしたな。

映画よりTVの方が断然面白かった「ヒーロー」とは大違いで、映画の方がちゃんとしてた良い例になりました。やっぱお金払う方をちゃんと作らないとね。

でもTVと映画、ほぼ同じスタッフで作ったらしい・・・ここで当り前な教訓!物語の映像化には、①物語にはTV向き(正味40分くらいで完結するドラマ)と映画向きがある、②理系の物語にはそれなりの説明がいる、③視聴率を取りたいばかりにタレント役者を重用する物語り作りは愚かだ、ということだろう。

そしてラスト、「容疑者」の「献身」は見事腑に落ちて、あぁこういう話だったのだな!とオジサンはほんとに納得&満足したわけであります。

「 その謎を、愛そう。 ガリレオが苦悩する、その謎とは? 」 ・・・チラシの宣伝コピー・・・

コピーの出来はかなり?だけど、映画「容疑者Xの献身」は◎。

2009年4月21日 (火)

あ、似てない?このふたり [多部未華子&イ・ヨウォン] '090421

たぶん好みじゃないのだけれど気になる有名人ってのがボクにはある。

女優の多部未華子と韓国の女優のイ・ヨウォンである。

このふたり、共に子供顔である。そして頬が柔らかそうに膨らみ気味。そして背が高そうで痩せてるみたい。TVで多部を観ると、なぜかイ・ヨウォンを思い出してしまう・・・どうしてだろう?

まぁ多部はまだ二十歳だそうだから子供顔で当たり前、ここ一年くらいCMやドラマにやたら出ている。春からはNHKの連続TV小説のヒロインにもなったというから“売れっ子”なんだろう。ただ、元宇宙飛行士と一緒に出演している某住宅メーカーのCMのセリフ(コピー)がクサくて、なんだか印象が悪いんだよなぁ。まぁ、セリフは置いといて深刻さがわざとらしく観えるのは演出がクサいからで、メーカーもOK出した訳で、彼女のせいではないのだろうけど。

また、イ・ヨウォンは「光州5・18」のヒロインとして初めて観たが、なんだか優しそうな表情が好感が持てた。凛といて賢そうなところも良かった。最近はTV東京で放送していた「外科医ポン・ダルヒ」にも出ていたのを観た。すらっとした長身で余り「女」を感じさせないが、とにかく表情が優しい。韓国映画には内容が濃い映画が多いが、魅力的な美人女優も多く注目しているが、このイ・ヨウォンは、そう云った「韓国美人」とは違う路線なのが、印象深いのかもしれない。

ふたりとも演技を磨きつつ、優しい表情は忘れないで欲しいだなぁと中年の老婆心が呟いているのです。

まぁどうでもいいことだが・・・

2009年4月19日 (日)

ふと思う疑問 号外にだまされるな '090419

北朝鮮がミサイルを発射したときに、どこかの新聞社が号外を配ったらしい。

最近新聞社は何かと云えば号外を配ってないか?WBCで優勝した、イチローが安打数で日本一になった。etc.

号外は昔からあったはあったが、最近はちと多すぎないか?「号外をたくさん出す新聞社」は特定のところで、内容よりも部数が自慢のところらしいが、あれっておかしくないか?

号外は普通大きな駅前とかで配ったりしているが、もらえるのはタダでしかもそこを通ったヒトだけ。購読者からお金取っておいて、お金払わない通行人にタダで配ってる。しかももらえるのは大都市にいる人間だけ。地方で永年定期購読している人間には縁がないもの。しかも最近は号外の配布をTV局にわざわざ先に知らせてカメラ取材させてニュースにしているところもある。映像に一瞬新聞名が写るのはTV局と新聞社のバーターなのだ。号外を宣伝にしている新聞社は結局中身がないのを自らひけらかしている証拠ではないだろうか?

まぁ、号外で微笑ましいと云えば、春の選抜高校野球で準優勝した岩手の花巻東高校の活躍を報じた号外が地元で配布されたこと。この時は毎日新聞が盛岡で、日刊スポーツが盛岡と花巻で配ったらしい。地元の祝い事であり、もらった人にはうれしい記念になるだろうし、新聞社にとっては絶好の宣伝チャンスになっただろう。これは許せる。

改めて云う。

1.号外とは、極たまに出すから価値がある。よってしょっちゅう出すべきではなく、頻繁に出すメディアは逆に品格がないと云える。

2.号外を出す原資は、朝夕の新聞の定期購読者や広告主からの出稿料で負担されていることを新聞社は忘れてはならない。

3.号外を乱発する新聞社の“品格”を疑おう。

そう思わない?

2009年4月17日 (金)

タレント考 北野誠よ 帰って来い! '090417

北野誠よ、何をしているんだ?元気でいるのか?突然番組を降板したと聞いてびっくりしている。そして心配している。

何がどうして番組から居なくなったのか?いったいラジオで何を云ったのか?既存のメディアは何も報じていない。あれほど、誰と誰が付き合ってるだ、別れただ、とくだらない事で毎日騒ぐ情報バラエティ番組も、何も報じていない。いったい何なんだ。

どこぞの団体を批判したのか?いいじゃないか、どんどん批判すればいい。この国は報道の自由、表現の自由が認められているんだ。その団体はいったどこのどいつなんだ?何が問題なのか?文句があれば公表すればいいのだ。タレントの事務所に圧力掛けて番組を降さすなんてゲスな考えはいったいどこから出てくるのか?それじゃぁチンピラの脅しと同じだろう。文句があるなら正々堂々と表に出ろ!

北野誠よ。元気を出せ!おまえは逃げも隠れもしてはいけない。俺はお前のその歯に衣着せぬコメントが好きだったんだ。お前の小気味いい云いぐさと、他人に怒るときのそのみけんに出来る縦じまが好きだったんだ。

北野誠よ、負けるな。こそこそ圧力をかけて踏ん反り返っているどこぞの団体は、そんな姑息な手を使うこと自体、お前の云ったことが本当だと認めている表れだ。きっとお前が云ったことが本当なんでびっくりして、陰湿な攻撃を始めたんだ。

北野誠よ、逃げてはいけない。お前はほんとにそう思ったんだろう。だったらおまえは正しい。もしそのことで誰かが傷付いたとお前を非難したなら、それは公の場で闘おうじゃないか。そしてお前が悪いのなら、反省して心の底から謝ればいいのだ。

北野誠よ、帰って来い。何も恐れるな。お前は誰に非難されることもなくお前なのだ。元気を出せ。負けるな。笑って毒舌してくれ!オレはお前が好きだぞ!おまえがTVで吠えるのを楽しみにしているんだ。

北野誠よ、笑って帰って来い!自由の国の偉大なるタレントよ!オレは北野誠を応援するぞ!

2009年4月15日 (水)

映画録 GRAN TORINO/グラン・トリノ '090415

「俺の時代はそうじゃなかった」って突っ張るのもすでに空しい。だからと云ってこんな世の中に迎合するのは柄じゃない。俺にはオレのスタイルがある・・・賞たらしクイント・イーストウッドが絵に描いたような頑固ジジイを演じ、監督までしてる映画「グラン・トリノ」を試写会で観た。

「感動の名作!」なんてのは少し違うような気がするけど、素直に良かったと云いたい。

俺は迷っていた、人生の締めくくり方を。少年は知らなかった、人生の始め方を。 」 ・・・チラシの宣伝コピー・・・

ジジイは朝鮮戦争帰りの後、フォードで自動車工としてひたすら働き、今は引退している。愛する妻に先立たれ、子供や子供家族とも疎遠。仲良しなのは飼い犬のみ。

長生きすると、若かったころの過ちや被った災いを振り返ったり悔やんだりする。いつかやり直したいと思いながら、もう取り返しがつかないことだとは気付いてる。その感傷はジジイになったイーストウッドだけの特権じゃない。でも、そこを映画にしてしまうところがこの賞たらしジジイの真骨頂だ。

この物語りは、典型的なUS中西部のかつて白人系労働者中心だったの街にを舞台に、様々な人種が移り住んできたことから生まれるが、これは何もここだけの話ではなく、世界中で起きていることだと思った。そう日本の各地でも同じような世代間の軋轢や生活格差の摩擦が起こっているように感じた。
理不尽な行いにどう対すればいいのか?自分らしく生きるにはどうしたらいいのか?
ひとりの男の生きざまを通して、自分の生き方を問う物語りなっていることに、素直に感嘆した。

主人公の頑固ジジイの隣に東南アジアの山岳部に住んでいたモン族の家族が住みついている。かつて白人中心だった中西部の街も、今では有色人種が多く、特に住宅街はモン族のコミューンが形成されている。モン族はベトナム戦争時に、US側に協力した関係で、戦後ベトナムやラオスに住めなくなったのだ。戦争はその地に太古から住む民族の将来をも引き裂いてしまっていた。

そんな隣家のモン族一家の子供たちとのふれあいによって、頑固ジジイは人生の終末に思わず癒されて行く。もうやり直せないと思った気持ちを再び呼び戻しながら、病身に鞭打って、自分の人生の終わらせ方を選んで行く。

劇中、朝鮮戦争へのトラウマが断片的に語られるところが新鮮だった。USと云う国はいつの時代にもいつも自国ではないどこかの国で、ヒトを殺し山野を焼き建物を壊しているんだなぁ、そしてそこには大義などなく、生身の兵隊が殺し殺されるという状況の中で慄き震えているのだと、気付かせてくれる映画でもあった。

イーウトウッドは映画への出演をこの映画で最後にすると云っているそうだ。なるほど、そう云う意味でこの映画を観ると、ラストシーンが余計に感慨深いものに思えた。

九段会館で試写会を観た。

2009年4月13日 (月)

読書録 近藤敦子「グアテマラ現代史」 '090413

南米コロンビアからメキシコまで細長く続く地峡地帯に「中米」と呼ばれるいくつかの国々が連なっている。パナマ、コスタ・リカ、ニカラグア、ホンジュラス、エル・サルバドル、グアテマラ、ベリーズ。かつてマヤ文明が栄え、スペインが征服し略奪の限りを尽くし、そして細かく独立した主にスペイン語を国語とする国々。熱帯から温帯に属し、至る所に火山が煙を吐き、地震が数十年おきに襲う大地。スペイン統治時代から欧州系民族が政治経済を牛耳り、支配構造にローマ・カソリックが大きく関わる。そして米西戦争後はこれにUSの衛星国化が始まる。多くの先住民族=マヤは、その欧州系支配層のもと、二級三級市民として虐げられて来た。これは見まごうことなき事実だ。

そんな中米諸国の中でボクにとって特に謎のベールで覆われていた国がグアテマラだ。スペインから独立して間もなく、USの多国籍企業「ユナイデット・フルーツ社(※.)」がバナナ・プランテーション農場を展開、拡大して以来、グアテマラは単なるUSのバナナ供給基地となった。

この 「グアテマラ現代史」は、1931年に成立したホルヘ・ウビコ独裁政権から'96年に成立したアルバロ・アルスー政権までの、グアテマラに登場した政権と政治勢力、そしてそのほとんどがUS勢力と結託した軍部の専制的な抑圧による原住民たちへの虐殺の歴史を描いたものだ。その夥しい数の虐殺の数と、抑圧の構造は、まさに現代の悪夢だ。

地峡地帯の中米の国々について日本人はどんな印象を持つだろうか?運河と独裁者「ノリエガ」で有名なパナマ、軍隊を廃止した国として有名でかつ親米・反共にもかかわらず民主的な政権交代を実現しているまれな国コスタ・リカ、独裁政権との長い闘いを経て民主化を実現しつつあるニカラグアとエル・サルバドル、親米路線を取りながらも独裁による目立った虐殺や激しい反政府運動もなかったホンジュラス、英国から独立したベリーズなど、その歴史は様々だが、その全てがかつての支配国・スペインとそれとともにもたらされ支配勢力と結託して成長したローマ・カトリック、そしてユナイデット・フルーツ社の利権を利用して介入し続けるUS・・・

グアテマラの暗黒の歴史の中で唯一の光と云えるのは、'44年から'54年まで続いた“グアテマラの春”と呼ばれた民主主義政権時代。特に後半のハコボ・アルベンス・グスマン政権の時代は、農地改革が進められ、ユナイデット・フルーツ社が所有する広大な農地の解放され、さらに労働党が合法化された。しかし、その改革は寡頭政治が跋扈する周辺国とユナイデット・フルーツ社、そしてUS政権の逆鱗に触れ、反政府軍にテコ入れし、同政権は崩壊する。

以来、グアテマラには民主的な政権はほぼ一度も成立しなかった。最も進歩的であるとされるから'96年からのアルスー政権でさえ、反軍的とみなした住民や組織を虐殺や誘拐する軍や右翼民兵を検挙できないでいる。

この本が著されたのは'96年で、それまでの暗黒の軍政史がアルスー政権の登場によって、メキシコを本拠にした反政府ゲリラグループURNGとの対話が始められたことを記念したものだろう。しかし、その後の道のりは相変わらず遠いようだ。

グアテマラが世界史に影響を与えた事柄として挙げたいのは、アルベンス政権時に中南米各地から民主的なヒトたちが集まっていた中、キューバ革命の指導者のひとり、ゲバラがいたことだ。彼はこのグアテマラの地で民主主義の正義と、ユナイデット・フルーツ社とUS政権による破壊を目の当りにし、後の革命への道の糧としたことだ。革命とは完全への連続した継続であり、抑圧者への容赦はありえない、と。

グアテマラの民衆に当たり前の自由=殺されない世界と虐殺者の逮捕・・・が実現する日が来るのはいつだろうか?

※ '84から「チキータ社」

2009年4月11日 (土)

政治考 高速道路が差別してる '090411

自公政権が景気対策に高速道路料金1,000円にした。TVのニュースでは「うれしい」なんて利用者の声がいっぱいだ。笑っちゃうよ。この高速料金の割引(政治的ダンピング?)には大きな矛盾がある。凄まじい差別があると・・・

1.なぜ、「大都市周辺は適用されないのか?・・・東京や大阪に住んでる奴らは高い料金払えってことか?自民党の票が少ない所は除外するってことか?

2.「大都市と云うのは、東京・大坂地区だけなのか?・・・どうでもいいけど「三大都市」って思ってる名古屋のヒトや、福岡、北九州など古くからの「政令指定都市」を自慢に思っていた一部のヒトはそれでいいの?

3.どうしてETC搭載車だけに限定したのか?・・・景気浮揚になんで「ETC搭載」を義務付けるのか?どうして現金払う車が適用されないのか?ETC搭載の有無は個人の判断だろう?ETCを搭載することで、国土交通省の官僚の天下りがうようよしているETC関連団体にお金が流れるからか?

4.どうして土日祝日のみの適用なのか?・・・平日休みのヒトは使えない。明らかな差別じゃないか?平日休みのヒトたちは怒らないのか?

5.鉄道やバス、フェリー、航空などの運輸会社への営業妨害ではないか?・・・なぜ高速道路会社以外の運輸会社が表だって不平を云えないのか?国土交通省や自民党への遠慮以外の何ものでもない。高速道路料金をこんな馬鹿げた料金にすることで、多くの運輸関連企業や社員に相当な迷惑がかかって来ると思えないか?料金1,000円だなんて急に一時的に落とすんじゃなくて、通常の料金を減らせばいいのだ。もっと周りに配慮した対応が出来ないのか?

6.どうして高速道路だけに税金を投入する必要があるのか?・・・高速道路だけに税金を投入するのはおかしくないか?自民党は今後も高速道路を作り続けたい。建設会社=ゼネコンや鉄骨、コンクリート、アスファルトなど素材メーカーからの献金や官僚の天下りポストが目的か。さらに地元に落ちる税金の見返り=献金と票というキックバックが目的だろう。

7.エコロジーの観点からもおかしな制度ではないか?・・・自動車の交通量が増えることで二酸化炭素や窒素酸化物が増えるだろう。バスや鉄道などの公共交通の活用で地球温暖化対策を促すのが政府の進む道だろう。

8.なんで勝手に自民党と公明党が料金を決められるのか?・・・そもそも高速道路は建設費を賄うために路線毎に収入を積み立てて、それが済めば無料にすることだったはず。それを反故にして高速道路が要らないところまで建設を進めたのは誰だ。1,000円で乗ってください?ふざけるな。東名や名神なんて、とっくにタダになっていてもおかしくないはずだ。

・・・目の前のことだけ観て、将来を観ず、ふざけた愚策がまかり通っている。

この国の民は平気なのか?もう怒りすらも忘れてしまったのか?

2009年4月10日 (金)

ふと思う疑問 がっかりなサービス・BOOKOFF '090410

BOOKOFFのことをまた書きます。

先日ボクの携帯TELに近所のBOOKOFFからこんなメールが届いた。

[ブックオフ**駅*口店☆セール情報☆]

★★★*月*日(*)コミック全品☆30%off☆★★★

■105円の商品も対象です

漫画好きのボクは行かづばなるまい、と心に誓った。特に、その前日の夜、105円の漫画を三冊購入していたボクは、「あぁ二日後だったらもっと安く買えたのに」と少々悔しかったからだ。

そしてお店に着いてびっくり。お店が閉まっていたのだ!「本日棚卸のため20時までの営業」みたいな紙きれが扉に貼ってあり、お店に入れなかったのだ。いつもは24時までやってるのに。お店の中は照明がついてあって店員が忙しそうに動いている・・・

せっかくお得なセール情報をもらっても、いつもと違う営業時間であることを伝えてくれなかったことで、ボクはお店に入れなかった。ただガッカリと云うか、少々怒りも覚えた。これって詐欺?

ボクは用事ついでに電車で出かけた帰りに駅を降り、帰宅の途中で寄ったのだから無駄は少なかったけど、わざわざBOOKOFFに行くために外出したり、迂回して来たヒトはきっと怒るに違いない。

BOOKOFFさん、もう少し客の立場になって商売した方がいいと思うな。

これ、まじめな話しです。

2009年4月 8日 (水)

映画録 Slumdog Millionaire/スラムドッグ$ミリオネア '090408

TVのクイズ・ミリオネアも観たことないし(※1.)、インドだって行ったことなんかない(ほんとは行きたい ※2.)。これまでアカデミー作品賞なんて何様?って感じでいたけど(いやいや今でもそう思ってますが)、たまにはちゃんと選ぶこともなるんだなぁって、この映画を観た後思わず思っちゃった。いやぁこの映画のパワーはすごかった!まさにエネルギーの塊りみたいな映画だった。

この映画が描き出した世界は、正直グロいし、きたないし、臭うし、許せないし、やたらムカつくし、やんなっちゃうくらい哀しい。特に子供時代は“もう帰ろうかな”って思うくらい。でもでもほんと愚かで救い難いんだけど、明らかにその全てが人間の引き起こす過ち以外の何ものでもない。そんな現実の中で成長する主人公を見つめながら、物語りはひたすら走ってゆく。そう云う意味で人間のものすごいエネルギーに圧倒された。

こういう映画を“ど真ん中の娯楽映画”って云うんじゃないかな?いやぁ、観てよかった。

ただし、中盤から後半にかけて演出を急ぎ過ぎたように感じた。そこは主人公たちの心情の揺れが曖昧で、展開が唐突。えっどうして?って感じるシーンも。また、主人公に寄せる人々の行動もなんだかステレオタイプに感じて少し醒めたりするところも。でも話しが悲惨なのに展開のスピードが心地よくてずっと映画を食い入るように観ていた。

あ、そうそう、全国のアンチみのもんたの皆さん、みのの語りがイヤで避けてた方へ。インドのみのもんた、観てみるべき!

ボクは偶然試写会が当たって観られてラッキーだったけど、これから観るヒトには、エンドロールの最後まで観てから席を立つべきだと思う。さっさと席を立つヒトがいたら、それはこの映画の熱を感じなかったヒトだろうな。

運じゃなく、運命だった。 」 ・・・チラシの宣伝コピー・・・

いやぁ、唸らせてくれました。

※1.ザッピング中に一瞬立ち止まったことはありますが・・・

※2.でもインドエアに乗ってバンコクまで行ったことあり。機内はカレーの薫り

2009年4月 6日 (月)

政治考 北朝鮮、ミサイル発射 '090406

テポドンだか、なにドンだか知らないけど、北朝鮮が何やらミサイルを発射したらしい。

まず腹が立つのは、他の国にいろんな援助をもらっておいて、何でミサイルなんて作ってるんだ?大陸弾道弾か衛星か知らないが、とにかく国民を安心して食わせることが先だろう。今の北朝鮮にミサイルを飛ばす資格などないのだ。いったい何を考えているんだか?これでは生活保護受けながら子供を私学に入れたり塾に通わせてるのと同じじゃないか?うん?

北朝鮮ってのは社会主義国って報道されることが多いけど、あれも大嘘。日本が負けて朝鮮半島が解放された直後の建国の時はいざ知らず、その後金日成の長期独裁、息子の世襲ってところで、もうこれは帝国主義的宗教国家以外の何物でもない。中世の遺物を“社会主義”って言葉にすり替えてるだけだろう。ソ連が崩壊してから、社会主義って言葉もなんだか死語扱いだけど、ソ連自体が社会主義じゃなくスターリニズムという独裁国家になり下がっていた訳だから、なんだか社会主義思想もかわいそうな奴って感じだ。

特に、国を鎖国状態にして国民に自分の国の良し悪しを判断するすべを奪っていること。そして国民を貧しいままに放置して、軍事ばかりを優先していること。これ自体がもう民主国家でないことは明らか。しかも韓国や日本の住民を拉致するなんて、言語同断。いつか北朝鮮が崩壊した後に、いったいこの国は何をしてきたのか?と北朝鮮の国民はびっくりするだろう。

仮に北朝鮮って国が今豊かで他国に迷惑をかけていないとしてミサイルを作ったとしても、なんで他の国の空の上を飛ばさなきゃいけないのだ。飛ばしたいのなら、自分の国の領土内に落とせ。他人の国をまたいでやることじゃぁない。ふざけるんじゃない。

ところでこの北朝鮮のアホ話で気になった日本のことがいくつかある。

1.昨夜のフジTVのたしか「サキヨミ」とか云う番組で、視聴者相手に「日本の防衛費はこのままでいいのか?」なんていうアンケートをやっていた。これには正直びっくりした。今回の北朝鮮のミサイル発射と日本の防衛額は直接関係ないじゃないか?フジTVは防衛費を増やせば北朝鮮がロケットを飛ばさないと云いたいのだろうか?はっきり云うが、軍事費と云うのはどんどん増殖して行くものだ。戦前の日本がいい例だ。他国を侵略した揚句「お国のため」、米英に戦争しかけといて「奴らが悪い」云々・・・残念ながら、この番組の方向は、軍事大国化を唆すフジTVによる世論の操作にほかならないだろう。やっぱりフジTVってメディアは産経新聞と同じ穴のムジナなんだなぁって感じたナ。伊藤アナウンサー、嫌いじゃなかったんだけどなぁ。

2.北朝鮮がミサイルを飛ばした後、ダミ声お坊ちゃま首相が「かなり巧く行った」とコメントを述べていた。いったい何が巧く行ったのか?国内の情報伝達と判断が良かったと云ったのだったら、そりゃぁお門違いだろう。情報伝達と云う意味では、首相の力量は意味がなく、事務方が粛々と勤めればいい話しで、しかも前日誤報を二度も流して、官房長官に謝らせておいて、巧く行ったら喜んでる。ほんと、嫌なオヤジだよ。では何が巧く行ったのか?ミサイルの残骸が地上に落ちて来なかったことを喜んでいるのなら、これもお粗末。そもそもロケットを北に作らせ、飛ばされた時点で、日本の外交力の無さを示しているのがわからないのだろうか?首相と云う職はバーで愚痴を云う仕事ではないのだ。身を張って国の立場を世界に訴え、国民の不安を取り除くことが最優先の仕事であることを、ダミ声お坊ちゃま首相は気付いていない。国際会議に参加して仲間を募るだけでは意味がない。例えば単身乗り込んで金正日の首根っこ捕まえて、「止めろって云ってんだろっ!」くらいの度胸と才覚を持つべきだ。小沢くんがこけたことでいい気になるなって感じだ。

3.野党のコメントもガッカリだ。ミサイル発射で二度も誤報が流れたことを「謝って済む話ではない」なんて云い方をしていたようだが、それじゃぁいけない。誤報はまずいが、そもそもこの国の防衛システム自体がその程度なのだ。他国を侵略した戦前の体制を改めたのはよいが、他国からの侵略に対してはどんな形でも国は国民を護る責任があるのだ。外野からヤジを飛ばすようなコメントでは国民に支持されない。専守防衛のあるべき姿をしっかり訴えてこそ政党ではないか。防衛省を非難するのではなく、防衛省を勇気づけるような中身のあるコメントで、どうすれば国が守れるのか?を明快に主張して国民に訴えるべきだろう。軍需産業から多額の献金のある自民党や目の前の議席と権力だけに固執する公明党では出来ない、本当に国民を守る意志としての政策を強く主張すべきだろう。

当たり前だが、とにかくミサイルの残骸は日本に被害を与えなかったことを良かったと思い、またこれから北朝鮮への避難と建設的な国際協調に全力を傾けるべきだろう。それにはまず、北朝鮮との貿易を完全に遮断して、確固たる態度を示すことだろう。そして北と貿易している国々にこの現状を訴え、北への制裁=兵糧攻めを強めるよう働きかけるべきだろう。

全て新聞やTVの報道に基づいて書いてみた。もしボクの観た報道にフジTV「サキヨミ」のような誘導があったら残念だ。

2009年4月 5日 (日)

映画録 The End of the Affair/情事の終り '090405

グレアム・グリーンの小説「情事の終り」の映画を観た。

実はボクは'06年に小説の方を読んでいた。そして3年後に偶然ケーブルTVでこの映画を観ることが出来た。なんだか忘れていた思い出が突然よみがえったような感覚だった。

物語りは、第二次世界大戦下のロンドン。時折ナチスドイツの空爆がある中、あるパーティで知り合った官僚の妻と作家の秘められた恋。忍ぶ逢瀬だからこそあるスリル、募る思い、嫉妬・・・前半はありふれた不倫愛。それなりに楽しめるが、特別なことはない。ふたりが共に上流階級なところが、イギリスの階級社会が全面に出てきたように感じられてなんだかやれやれって感じ。ただ、このふたり、単なる不倫劇から実が二人共に“運命の人”って感じでかなり真剣に愛し合っていることに気付いてゆく。

そんなある日、二人の初めてのお泊り逢引の日に、ロンドンはナチスのジェット爆撃機V1の空襲を受ける。そしてふたりの逢引の宿に落ちた爆弾によって、男はがれきの中に倒れる。女はそれを観、ショックのあまり思わず彼の蘇りを神に祈る。もし彼が助かるなら、彼との恋をあきらめると・・・

後半はほとんど心理劇だ。無事だった男は急によそよそしくなった女に不信感を持ち、失意の余り旅に出る。女は自分が無神論者でありながらなぜ彼の復活を神に祈ったのか?と悩み、ふと街角で神を否定する男の演説に耳を傾け、家にまで通い討論したりする。旅から帰った男は、女の夫が妻の素行を疑っていることに乗じて、自分への不信を探ろうと探偵を雇う。そして次第に彼女の自分への思いが明らかにされて行くが・・・

第二次大戦後の日本にも多くのにわか宗教が流行ったとのことだが、ロンドンでもそうだったのかと思わせるエピソードだ。作者のグリーンは終世社会主義的な思考の持ち主だったことを隠さなかったヒトのようだが、そう云う意味でこの話は男女の不倫劇に託した人間の宗教感の曖昧さや、弱気になった時に思わずすがりたくなる気持ちの揺らぎを著した文学作品と云えるのだろう。

作中、病弱になった女の母親が登場するが、母親の生き方や性格が女の行動に反映されているように感じた。世の中には信心が深いくせに性欲には目がない人間が多いものだ。世の中、自分の欲望に素直な方が救われる、とグリーンは云いたかったのではないだろうか?

安定した官吏の妻であることは決して崩さず、しかし欲望のままに異性を求める、しかし、その相手が自分への愛を確かめたいと願っていた最中に死んだことで、自分の彼への愛を知り、背けていた神への祈りが突然わき出てきた。しかし神を信じること自体を否定してきた自分をそのまま肯定も否定もできない・・・

この物語を映画と小説で比較すると、小説の方が歩があるように思われた。もちろんボクは新潮文庫の田中西二郎氏翻訳を読んだのだから、訳が良かったのかもしれない。しかも先に接した方が印象が強いというのもあるだろう。ただ映画の方が秀でた点がある。それは何と云っても女役のデボラ・カーの美貌であり、その一種独特な表情だ。前半の貞淑な妻と好色な女を使い分けた表情と、後半の悩み混乱する姿・・・それだけでも観た甲斐がある映画だと思った。

2009年4月 3日 (金)

映画録 L`EQUIPIER /灯台守の恋 '090403

英仏海峡とビスケー湾を分かつように大西洋に鋭く突き出したブルターニュ半島の先に、海の要衝・ウェッサン島はある。浅瀬と海流が洗う荒波の遥か沖にそそり立つ孤高の灯台。この灯台を観ただけで、この映画を観た価値はあるように思えた。ボクはいつか“実物を観てみたい!”と心の中で叫んでしまった。この灯台、どうやって作ったの?って聞きたくなるくらいの圧倒的な存在感。映画は、この灯台が紡いだ微かな大人の恋物語り。それがこの「灯台守の恋」だった。

時代は'60年代初頭、 “フランスのベトナム戦争”とも云えるアルジェリア戦争は泥沼にはまっていた。傷を負った帰還兵たちはフランス本土各地で職を斡旋されたのだろう。そんなひとりの青年が灯台守としてこのウェッサン島にやってくる。そしてそこに秘められるべき恋が生まれた。

青年はケルト文化が色濃く残る因習深いブルターニュの果てにやってきた。ブルトン語を話し、民族的にも歴史的にもフランスよりイギリスに親密感を持つ土地に、しかも地元により密着した灯台守の仕事に、“よそ者”がやって来る。地元民の就業の邪魔だと疎んじられるのに。しかし、青年はそんな四面楚歌を静かに耐え、仕事に打ち込む。なぜか?彼が負った戦争の傷跡は深く心の奥に刻まれていたのだ。彼は志願してこの最果ての異郷の地にやって来たのだった。過酷で孤独な仕事に身を置くことで、何かを取り戻そうと思ったのか。

邦題にある「恋」を、映画は声高に語らない。美しく壮大な海と大地の接点で人々が貧しく逞しく暮らす風景を淡々と描き出す。どのカット美しく詩的だ。そんな風景の中に静かに溶け込むように、地元民とともに働くことで、青年は人間性を回帰したかったのだろう。そして青年は美しい人妻と惹かれあう。海の上で撃ちあがる花火のよう美しく微かなふれあい。しかしそれは許されぬ恋。地元民の視線や妨害、そして先輩の灯台守とのほのかな友情・・・青年はよそ者を受け入れない因習深い民と儚い恋から逃れるように島を離れてゆく。

物語りは、そんな物語があっただなんて誰も忘れてしまった何年もの後の時代、亡くなった両親の家を処分しに故郷の島に帰った灯台守の娘が、島と灯台を舞台にした一冊の本を手にすることで、両親と自分の人生にかけがえのないもう一人が存在することを知るのだった。

大人の儚い恋を描いた映画だ。それは幽かな恋。しかも木も生えない荒涼とした島と孤高の灯台が舞台となることで、登場人物たちの心情が流れるように映画になってゆく。大きな盛り上がりもないが、それもまた粋な物語りになっていた。

一冊の本に秘められた母の恋 」 ・・・チラシの宣伝コピー・・・

故郷の島と灯台の物語に触れた娘は、パリに還って作者を会うがあるだろうか?

そしてぼくはあの灯台を見に行くことがあるだろうか?

※:http://bretonsdujapon.wordpress.com/

2009年4月 1日 (水)

ふと思う疑問 弱い者が苛めてる '090401

交通機関でストがある時に「あの会社はストばかりやってよくない」って云う人いるけど、どうなんだろう?

確かに交通機関が運行しないってことは利用者には迷惑な話だけど、そもそもストは、経営者と労働者の雇用関係の交渉が拗れた結果。だから、解決しなけりゃストするのは当たり前の権利。

それにストが解除された後の運行上の復帰作業は大変。だから、労働者もホントはストなんかしたくないはず。通常のダイヤ通りに運転した方が絶対楽だし、利用者からも文句を云われたりしない。

ストがあって迷惑したと思う利用者は、もし文句を云うなら経営側に向かうべきだと思うな。駅員や車掌に文句言っても始まらない。あれじゃぁ、立場の弱い者を苛めてるだけだよ。

それに文句を云っちゃうその人のスト権や団結権ってどうなってるんだろう?ちゃんと闘っているのかな?

最近、交通機関のストってそんなにないけど、ボクはむしろストがあると、いつも普通に使っている交通機関のありがたみを感じたりする。例えば池袋から渋谷にJRに乗ったら160円。でもタクシーに乗ったらいったいいくらかかるだろう?JRの10倍では済まない。公共交通機関ってすごく安価だと思うな。

だから、年に一度あるかないかのストくらい、文句言うのはやめようよ。同じ労働者として逆に応援するくらいの度量があってもいいんじゃんないかな。

これ、真面目な話です!

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