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2009年3月の15件の記事

2009年3月31日 (火)

あ、似てない?このふたり [塩田真弓&延友陽子] '090331

たぶん好みじゃないのだけれど気になる有名人ってのがボクにはある。

TV東京の塩田真弓記者(今はアナウンサーではなく記者らしい)と日本TVの延友陽子アナウンサーである。

このふたり、共に丸顔である。そして目線と云うか目の輪郭がきつめ。このふたりのどちらかをTVで観ると、どうしてももう一人の方を思い出してしまう・・・なぜだろう?

最近特に塩田記者がきれいになったなぁと思うのだが、それは最近結婚したからだろうか?

また、延友アナウンサーは写真とかで観るよりも映像の中の方がきれいなように感じる。もっと若い頃はちときつめの顔だなぁと思っていたけれど、最近はとても色気が出てきたように感じてしまった中年の感想である。

まぁどうでもいいことだが・・・

2009年3月29日 (日)

ふと思う疑問 お決まりの際に伺います '090329

ファミレスや飲食店に行った時に「注文がお決まりの際に伺います」ってよく云われる.

けど、ボクが注文を決めた時に来てくれた試しがない。必ず手を挙げて呼ぶんだよな。当たり前だよ。他人の心が読めんだったら、もっと凄いことしてるでしょ。

どうして「注文を決めた時がわかる」なんて云えるんだろう?

あと、料理を持って来てくれた時に「*(料理名)*になります」って云うよね。そんな時「あんたはコーンスープなのかいっ!」って突っ込み入れたくなる。やっぱり「お待たせしました。*(料理名)*です」ってのが普通だと思うなぁ。

まじめな話です!

2009年3月27日 (金)

映画録 Erin Brockovich/エリン・ブロコビッチ ‘090327

「エリン・ブロコビッチ」・・・この映画を二回目に観て、印象ががらりと変わった。そして今回監督がスティーブン・ソダーバーグ氏だったことにも気付いた。う~ん。

2000年の制作と云うけれど、最初に観たのはもっと前のような気がしていた。その時も劇場で観たわけではなくレンタルビデオで。環境破壊に勇敢に立ち向かった無教養なシングルマザーの実話として、まぁ観ときましょうかって感じだったと思う。その時の印象は、ただただジュリア・ロバーツ演じるエリン嬢のうるさいこと。ちょっと気に食わないことがあるとすぐにキレるし、遠慮ってものがない、傍若無人な振る舞いに、映画の展開以上に気になって、“あぁ~いやな奴”ってこと。そもそもジュリア・ロバーツに好感が持てたのは「プリティ・ウーマン」以来あまりないので、この映画でゴールデングローブやUSアカデミーの主演女優賞を獲ったってことも、最初に観た時は「なんで?大げさに演じればいいわけ?」って思ったくらい。それから数年が経ち、偶然TVで放送してたので観てみたら、なんとなかなかいい映画じゃないかって思い直した次第。何がよかったか?

相変わらずエリン嬢の煩さには閉口した。けど、映画自体は派手に作っておらず非常に淡々と撮っている。カリフォルニアの抜けるような明るさの下、極ありふれた街に住んでいるシングルマザーが、交通事故を縁に法律事務所と関わりを持ち、そこで見かけた立ち退き問題と地域住民に発生している病気に、何かを感じて始まる物語り。普段は何でもない親父弁護士の許しをもらって突き進むエリン。こつこつと調べれば調べるほど疑問が深まる。住民たちの無知なるが故の苦労、悲劇・・・何かがおかしい?そんな疑問を親父弁護士に投げかけるエリン。これは大きな訴訟になると急に応援しだす親父弁護士。浮かび上がる大企業の環境破壊の実態と欺瞞的な隠蔽工作に憤るふたり。エリンにはびっくりするような話だが、苦しんでいる住民を解決できるのなら、と益々やる気になるエリン。

物語はこの後一旦停滞する。映画が停滞するわけではない。訴訟があまりに大きくなり、親父弁護士は自分の事務所では手に負えないと考え、大手法律事務所と提携する。親父弁護士にしてみれば、ま大地円にもなっていない訴訟がこれ以上長引けば、事務所が傾くと考えた当たり前の措置だったが、先にエリンに相談もしなかったこと、大手法律事務所の住民への横柄な態度から、「なんだ、結局住民不在か」と観ている方もがっかりしてくる。しかし・・・

この映画は、題名のエリン嬢の体験した当時のUS裁判史上最大級の環境汚染訴訟に勝った実話。実は通りだったのは、以外にもエリン嬢の容姿。映画でのジュリア・ロバーツは、ミニスカ、タンクトップで、巨乳を見せびらかす、セクシーさ全開で歩き廻って、これは映画向けの設定だろうと思っていたけど、実は本当のエリン嬢もこのまんまだったらしい(※1.)。そういう意味でこのキャスティングは適任だったのだ。そして認識と違っていたのは、エリン嬢の素上・知識も教養もないって印象だったけど、彼女はしっかりカンザス州立大学を出ている訳で、全くの無教養ではない。う~ん、この点は極端さを出すための演出だった訳ですな。「実話」と云ってもあくまで映画ですから、けっこう脚色はされるものだってことが分かる映画でもありました。とにかくホントのエリン嬢は教養はあるけど、性格はこんな感じだったんでしょう。ま、一緒に仕事はしたくないタイプって感じかな。

そして監督がスティーブン・ソダーバーグ氏だったこと。最近では「チェ・二部作」でしっかり無骨な映画をい見せてもらってますが、すでに伝説的名作になっている「セックスと嘘とビデオテープ」を始めとして、これまでに「ミミック」、「トラフィック」、「グッドナイト&グッドラック」、「フィクサー」、「シリアナ」、「アウト・オブ・サイト」・・・なんだかずっとソダーバーグ監督にお世話になって来たんだなぁと改めて敬服する次第で、恐縮しきりでありました。氏は「フィクサー」でも企業の環境破壊の訴訟ものを撮っていますが、こちらではちと苦味を利かせた映画になってましたナ。

役者では、親父弁護士役のアルバート・フィニーがイイ味出しててよかったなぁ。彼の存在感がロバーツの演技を引き立ててたって思えたのはボクだけかな?

最近、いつ燃えた? 」 ・・・チラシの宣伝コピー・・・

企業による環境破壊を浮かび上がらせ、訴訟に勝利した一女性のサクセスストーリーを、生き生きと演じたジュリア・ロバーツを見直したのと、ソダーバーグ監督に拍手!地上波TVで二度目の鑑賞。

※1http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B3%E3%83%93%E3%83%83%E3%83%81

2009年3月23日 (月)

映画録 サン・ジャックへの道/SAINT-JACQUES... LA MECQUE '090323

「サン・ジャックへの道」・・・とっても気持ちのいいフランス映画を観た。旅する映画は数々あれど、こんなに景色が美しくてすがすがしい映像はなかなかないんじゃないかな?

物語りの設定はそんなに突飛じゃない。親の遺産が欲しいなら聖地・サン・ジャックまで巡礼に出なさい、しかも兄弟一緒に歩いて・・・なんと粋な計らいだろう?苦しみの後に幸せが待っている?でも云われた本人はびっくりだろうなぁ(笑)

この癖のあり過ぎる仲の悪い三人兄弟には、性格俳優の代表選手のような3名。三人共になりきってて巧い。特にホームレスっぽい弟役はかの迷優ダルッサン!(※1.) これ以上だらしないオヤジが居るか?って感じ。なのにこの男、やたらもてる。ずるいよ。

そして同行の参加者たちのエピソードもなかなか微笑ましい(けっこう深刻な話もあるけど、そこはもうおフランス流に仕上げてます)。ので、山あり崖あり牛あり水溜りありの巡礼の旅があんまり辛そうに観えない。しかし1500km!凄い!日本だったら旭川から大阪まで歩くんだよなぁ!大変だろうけど、そんな旅に出られたら羨ましいなぁ。

時々挿入される夢のシーンが幻想的で不思議。このシーンは観客によって評価は分かれると思う。けど、意識下の願望や誘惑、畏怖なんてのを表現してたのかな?。巡礼の旅はそれぞれの参加者の心と家族への思いを混ぜこぜにしながら、だんだんと澄んだ空のようにさっぱりとさせて行く。

ダルッサン以外の出演者は初めて観た役者が多かったけど、みな自然な演技で良かった。特に“きれい”とか“かっこイイ”とか“かわいい”って役者が出てないことも、より自然に感じられたんだろう(・・・いくら辛くても巡礼路の岩陰に荷物=ゴミを置いてきたのはいただけない!お仕置きして欲しかったな)。

人生って 捨てたもん じゃない。 」 ・・・チラシの宣伝コピー・・・

人生の中でふと立ち止まる時や振り返る時ってどれくらいあるだろうか?「旅」で何かを甦らせたり、新しい何かを見つめたり、出来たら素敵なリセット、だよなぁ。

最後になるほどって感じだったのが、世界遺産としても有名な聖地「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」が、フランス語では「サン・ジャック」って急に短く云いやすくなっちゃうことも教えてくれた。スペイン語では当たり前に思えた長い名が、国を変えれば全然違う読み方になる、逆転の発想みたいだ。

「シネフル・イマジカで鑑賞。旅は歩くに限る!とにかくどこかに旅に出たくなっちゃったな!

※1.ジャン=ピエール・ダルッサン/Jean-Pierre Darroussin・・「画家と庭師とカンパーニュ」でいい味出して、ます!

2009年3月21日 (土)

ふと思う疑問 いらっしゃいませ、こんばんわ '090321

住まいの近所に比較的大きなBOOKOFFがある。漫画好きには便利な古本屋だと思う。

そんなBOOKOFFでの話し。最近では少なくなったようけど、本を探してる時に店員が突然大声で「いらっしゃいませ、こんばんわ」とか「ただいま**キャンペーン中です」って叫ぶことがある。あれ、うるさいよ。近くで本を探してる時なんか、特にびっくりしちゃう。確かに図書館のようにシーンと静かでなくていいけど、落ち着かないのはどうかと思う。

音楽を急に止められたり、突然大きな声や音が流れる環境が普通に思えるようになったら、それはもう情緒不安定な人間になっている証拠だと思う。

それに流れてる音楽を急にブチ切って放送始めたりする時があるのも×だな。聞いてる音楽が急に切られて気持ち良いヒトはいないはず。しかも放送のボリュームがやたら大きな音に設定している場所なんか耳を覆いたくなることがある。「いらっしゃいませ」とか呼びかける神経があったら、音楽のこと、放送のこと、気にして欲しいな。

BOOKOFFにはもっといろいろ云いたいことがあるけど、またにしよう。BOOKOFFが好きだから書いてるんだよ。

これ、まじめな話です。

2009年3月19日 (木)

映画録 Watchmen/ウォッチメン '090319

「ウォッチマン」を観た。なんとも形容しがたい映画体験だった。

時は'80年代中葉、舞台はUS。ウォーターゲート事件で'74年に辞任したはずのニクソンが大統領のままだし、なんとベトナム戦争にも勝っちゃってる・・・それには全て「ウォッチマン」が関与していた!・・・

ここで重要なのは、Watchmenとは単に「見守る」とか「監視する」とかだけでなく、「関与」して時には直接「手を下す」ヒトたちだったということ(この点はチラシや予告編では触れられていないところ)。

ニクソンを辞任させたくないし、ベトナムにも負けたくない、映像ではケネディ暗殺にも・・・単純に考えると、US至上主義的な右翼的で共和党の保守思想べったりな映画なの?なんて穿った見方が出来ないこともない。CIAってそう云うことして来たんだよね?・・・でもまぁ、話しはSFなので奇想天外なのは理解しよう。

けど、どうも話しに乗るタイミングがつかめなかった。

原作はアメコミの歴史を変えたと云われる'80年代の大人気コミック。だからその頃ワクワクしてコミック読んでたUSの元少年たちには応えられない待望の映画だったんでしょうなぁ(先日封切られたUSでは興業成績トップらしい)。舞台装置も'80年代になりきっててかなり雰囲気出していて、あの時代を思い出させる懐かしい作りになっていた(ボクもあの頃は若かった)。CG技術の発展がこの話をアニメでなく実写で実現させたんだろう。しかも2H40Mの長尺で公開されるってこと自体が、USでの人気を物語る所以。でもこの話を知らない日本人にはちょっと長く感じるかもなぁ。

映像も非常に綺麗だし、役者の演技もヒーローに成りきってて悪くない。音楽もイイ線行ってたし(ボブ・ディランなんかも流れたりして)・・・でもなぁ、やっぱそもそもこの「ウォッチマン」の物語りを知ってるのと知らないのでは、かなり温度差が出るような気がした。だって突然火星で話しこんじゃうシーン!?があったり、丸めがねのような飛行艇がNYの街を飛び交ったり。

核関連実験の失敗エピソードは変身ものとして違和感なし(このシーンはハルクを連想させたけど、USってこういうの好きだね。でも放射能を遮断するガラスなんてないよなぁ。ああいう映像が放射能を甘く観る風潮を作っちゃうんじゃないかと不安になったり)。映像は渋く暗め。ベトナム人への虐待シーンやレイプシーンも含めて全体に暴力露出が多く、グロく執拗に描かれてるし、Hシーンもちゃんと?あって、そこん所が[R15]指定なところなんだろうな、と。そう意味ではかっこイイだけじゃない大人向きの作品になってた。SF好きとアメコミファンは抑えとかないとマズイ映画だと思う。ただ、スマイルバッチが何を意味するのかが最後までわからなかったなぁ('80年代を象徴するものなのかな?)。残念!

知ってはならない、真実がある- 」 ・・・チラシの宣伝コピー・・・

欲を云えば、昔の角川風に「読んでから観るか?観てから読むか?」的なプロモーションを敷いててくれたら親切だったと思う。読んでから観たらもっと面白く感じるかも。
03/19、久々の試写会体験でした。場所は竹橋の日本教育会館で。

2009年3月17日 (火)

失業の風景 初めての確定申告 '090317

生まれて初めて確定申告ってのをした。お金が返ってくるなら、うれしいよね。どうかな?

申告書類はもう一ヵ月以上前に、たまたま税務署の近くを通った時にもらってたんだけど、その日は少し読んで眠くなっちゃったのでそのままにしておいた。TVのCFでも、街を走るバスの車体にも、確定申告を呼びかけていたのに、なんとなくやらなかった。そして、あっという間に3月の13日になっていた。妻に「月曜日は込むから今日行っておいた方がいいよ」と云われ、朝書類を読んでみて、すぐに眠くなっちゃった。う~ん・・・まずい。

夏に辞めた会社が送ってきた源泉徴収票と、保険会社からの生命保険と地震保険の控除証明書、そして社会保険庁からの国民年金の控除証明書をかき集めた。それから自宅家屋の年末残高等証明書も見つけた。下手に間違えて記入すると書き直しが面倒だし、間違えだらけで申告書類が使いものにならなくなったらまずいので、週末の金曜日、午前10時頃に自転車で約10分の税務署に向かった。

税務署の廊下には、ネット申告するヒトの列と相談者の二列が、部屋から伸びていた。廊下から観える部屋の中はまるで人気の立ち呑み屋のように混んでいた。ちょうどJRの緑の窓口のように立って記入するスタイルの机がいくつも並んでいて、それぞれの机が投票会場のように6人づつに仕切られて、たくさんのヒトが立っていた。机が九つだから室内にはざっと54名の相談者がいる。まるで満員電車だ。

十分ほど待って相談会場に入れた。「わからないことがあったら係の者に声をかけてください。青と黄色のジャケットを着ている者が相談員です。」と教えてくれるが、係のヒトどう見ても10人にひとりもいない。しかもすでにほかの客に捕まっている様子。通りがけに声掛けても、他の人用の書類を持って来た様子で、「少しお待ちください」と云われるだけ。

しばらくして向いの客が相談員を見つけて相談を始めた。そこでびっくり。客「書類は持ってきました」、税務署員「ハイ、見せてください・・・(この間30秒ほど)・・・年末調整されていますね?」、客「はい、会社でしたと思います」、税「では、何しにいらっしゃったんですか?」、客「えっ?何もしなくていいんですか?」、税「いえ、収入は会社の給料でだけですよね?(客、うなづく)でしたら、もう済んでますよ」、客「あ、そうですか。」、税「何か申告する収入とかがありましたら確定申告は必要ですが」・・・年末調整してるのに来ちゃったらしい。ご苦労なことだ。

その相談員を捕まえて何をどこに記入したらいいか聞いてみた。まず確定申告書Aの第二表に、所得額と各種控除額を記入せよ、それから第一表に移れと指示。なるほどなるほど・・・ここで、住宅控除には、年末残高等証明書以外に、住宅取得時に税務署から発行された「住宅借入金等特別控除申告書」が必要なことがわかった。「その書類がないとダメですか?」と聞けば「なくても別の書類を提出すればいいが、まずあなたが住宅を取得したことを確認することから始めることになります」とのことだ、う~ん、税務署にとっても面倒らしいし、今更取得時のお金の出し入れ具合を探られるのも面白くない。じゃぁ、一旦自宅に帰って書類を探してみよう。それに、ここじゃ落ち着いて記入できないぞ。

そんなこんなで金曜日は自宅に引き返したのだった。この間約20分、行列は建物の外まで延び出していた。確定申告書の提出は、残る月曜日のみとなった。

それから二日後、日曜日の23時になってようやく記入する気になって、書き出すといろいろと足りないところも出てきた。12月に3日いたアルバイトも申告しなきゃなと思い、アルバイト先が送ってきた書類もつけた。そんなことしてるうちに深夜2時近くになり、風呂に入って寝た。

翌朝、やはり10時頃税務署に着くと、なんと税務署敷地内に臨時で作られているプレハブの提出所から長い列が。蛇行しながら100mはあるのでは?う~ん、これはすごい。ボクは昨夜作った書類をチェックしてもらうために署内の相談の列へ。前回よりも列は長いが外にはみだすほどじゃない。20分ほど並んで室内へ。さっそく相談員を探して確認してもらう。

税務署員「全て記入したのですか?」、ボク「はい、書類があるものは全て」、税「ではこれを提出してください」、ボク「書類がたくさんあるのですが、糊でどう貼ればいいんですか?」・・・この質問に税務署員はおもむろに書類を重ねてホッチキスで提出書Aにバチりと。なるほど~。ボク「ありがとうございました」 ものの5分くらいで退室。しかし外には提出の長い列が建物を取り巻いてる。雨じゃなくてよかったね、と思いながら、列に並ばず自転車置き場へ。この列じゃきっと30分以上、いや1時間は待たされるだろう。午後ならもう少し短くなるんじゃないかな?と踏んだのだった。

ボクは近所のコンビニに行き書類をコピー。だって本物を提出して、その後音沙汰なしで還付金が無かった時に確認できないよね。社会保険事務所と違って税務署はきっちりしてるだろうから大丈夫だろうけど、お役所仕事は信用ならないからなぁ。

そんなこんなで、結局15時ころに再び税務署へ。やっぱり列は半減してて、約10分くらいの行列で提出。受取り場所のプレハブの中には、係のおじさんたちは5人くらいで受け取っていた。ほとんど何も確認していないような感じで流れ作業で受け取ってる。

「審査に二か月くらいかかると思いますので」・・・らしい。いやいや、あの大々行列じゃ、もっとかかるんじゃないの?と心配になったり。ちゃんと観てもらえばいいので、ゆっくり正確にやってください。

こんな感じで生まれて初めての確定申告書の提出が終わったのだった。ふぅ~

2009年3月15日 (日)

映画録 SWEET SIXTEEN/スィートシックスティーン '090315

学校に通っていたのはいつの頃だろう?そんな昔じゃないけれど、もう戻る道はないと悟ってしまった15歳の少年・リアムの、極ありふれた転落の数か月の物語り。

ケン・ローチ監督の「SWEET SIXTEEN」という、何とも辛く救われない映画を観た。スコットランドの美しい入り江の港町。かつての繁栄は遠く、町には冨者たちが汗と脂肪を絞るジムと、その日暮しの失業者たちの群れ。敗者となった彼らは、希望を失くし薬と暴力を垂れ流すのみ。それはサッチャリズムがUKを一見金融大国として復活させて引退した後の社会の歪が顕在化した頃の話。そう、日本では小泉さんとお友達たちが「格差はあってもいい」などと笑って好き放題してた頃の話だ。製造業に派遣労働者が導入され、そして数年後の今日の日本を予想させるような映画だ。敗者は「努力しなかったからだ」と責められて終わりなのか?「努力」とは他人よりも上に行くことなのか?蹴落としたり足を引っ掛けてもいいのか?・・・

少年は15歳。母の出所日の翌日に16になる。今ある少年の願いは、出所間近の母と暮らすことだけ。そこには母も愛人も祖父もいない。その為なら、何をしたって構わない。他人を傷つけても。誰を利用しても。友情すらも・・・

始まりから終わりまでほとんど希望が見えない物語りだ。 少年の母は愛人の罪を背負って刑務所で服役している。刑務所内で麻薬をさばくため、その愛人は面会時を使って少年に麻薬を母親に渡させようとする。それがバレて母親の罪が重くなり釈放が遅れることを恐れた少年は引き受けなかった。そのことで愛人に暴行を受け家を出ることになる。しかも母の愛人と暮らす祖父も少年を助けるどころか逆に非難する始末だ随分前から学校に行くのを止めてしまっていた少年は、仲間を誘って母の愛人が持っている麻薬と祖父の入歯を盗む。さらに警察にたれ込んで、愛人の家を手入れさせる。

それまでタバコを売って小遣い稼ぎをしていた少年は、盗んだ麻薬を売ることでタバコ販売の利益が莫大なことを覚える。そしてその稼ぎが続けば、念願のマイホームを手に入れることができると確信する。

こんな辛い話はないだろう。これが創作だなんて思えないほどのリアリズム。これが「サッチャリスム以降の激変した“規制破壊”の歪によって産み落とされたイギリス」という現実なのだろうが、ボクにはまんま小泉後の政治バブル以降の日本、いや世界に蔓延しているぐグローバリズムによる格差社会を予言した映画に他ならない。

ボクはこの映画に少しも「救い」が無いと思った。リアムの行動にも何も共鳴できない。彼は現実社会の膿だ。リアムは母親と暮らすためのお金を稼ぐために、薬を売りさばく。そしていつしか薬の元締めに評価されて、仲間を使った大きな密売組織を作ってゆく。そして、待望の家を手に入れることに・・・。母の出所日、彼は友人たちを集め、家のお披露目と母の出所を祝う。しかし・・・

翌朝、母は愛人のところに去る。彼女はいつも誰かに依存して生きてきたのだ。それは息子では埋められないものだったのだ。幼い頃から姉と施設で育てられ、今は愛人の罪をかぶって服役していた母とようやく暮らせることになったのに、母はまたリアムを見捨てた・・・彼はそれを信じたくない。母との同居を妨げる障害は絶たなければ、と。

ボクは彼を非難するすべを持たない。誰かが彼にどうしろと云えるか?誰か「救える」のか?解決する糸口はあるのか?・・・監督ケン・ローチは誰も救わないことで「現実を直視しろ」と云っているかのようだ。

リアムの話はひとつのエピソードに過ぎないと思う。この港町の隣の町でもきっと同じような少年や少女がいて、世界中の街にも、そして日本の知らない街にも、グローバル化と呼ぶ暴風に躓いている人々がいるだろう。リアムはそのひとりにすぎない。リアムは明日のボクかもしれない。

この映画の魅力は監督力であり脚本力であり、役者たちの自然で不気味な演技力だと思う。こんな境遇に生まれ育って一度転んだら、きっと起き上がれないかもしれない、という恐怖・・・

クスリと無気力と暴力がジワリと浸すどうしようもない現実社会のリアリズム。この描き方は唸る。

劇中、唯一の慰めは姉の弟への労わり。そしてリアムを演じたM.コムストンの演技と云えないようなまっさらな姿勢、視線。この悲惨な社会でうずくまるひとりの少年を演じただけなのに、彼はひとりで素晴らしい青春映画にしてしまった。もしかするとこれを才能と呼ぶのかも知れない。

心がヒリヒリしている 」 ・・・チラシの宣伝コピー・・・ 

繰り返すが、この映画の世界は今日の日本の姿だ。ボクは逃げたい。この社会からどう逃げればいいんだろう?
重い映画を強風の3月のある日、早稲田松竹にて鑑賞。

2009年3月13日 (金)

ふと思う疑問 性は幼い方が許される? '090313

性は幼い方が許されるのだろうか?

よく新聞の社会面で「18歳未満と知って少女と性的関係をもった」って感んじで逮捕されたヒトのことが載ってる。けど、どうして大人の男は18歳未満の女の子としちゃいけないんだろう?(断っておきますが、ボクはそう云う趣味はありません)

じゃぁ男の方は18歳未満だったらどうなんだろう?ラブホ街なんて高校の制服着た男女がけっこう歩いてる。ボクの高校時代だってバイクの後ろに彼女乗せてモーテルに突入した奴がいた。大人の男だけ18歳未満の女の子としちゃいけなくて、高校生同士はOKなのか?高校生に許されて大人はダメっておかしくないか?

もしそうなら、性的関係を持っている高校生の男が18歳になった瞬間に、逮捕されるのかな?それに巷に溢れてるヤンママの中には16,17で子供産んでるヒトもいるけど、相手の男の年齢はどうだったんだろう?

ね、なんだかおかしいよ。女性の結婚年齢の下限を18歳にすべきだと思うな。それか年齢下げて15歳未満の男女同士またはどちらかは性的な関係を持ってはならないってことにすべきなんじゃないかな。

まじめな話です!

2009年3月11日 (水)

映画録 THE CONSTANT GARDENER/ナイロビの蜂 '090311

「ナイロビの蜂」・・・なぜこの題名になったんだろう?先に小説の邦題がこうなっていたからと云っても、違う題にしても良かったと思うが。でも適当なものが見つからない・・・

以前からなかなか良質な映画と噂には聞いてはいたが、元題が「忠実な庭師」と聴いて余計にどんな映画だろう?と思ってしまった。観る前は「シェルタリング・スカイ」のような愛の彷徨を描いた観念ものかな?と思っていた。いや、そうともとれる夫婦愛を描いた作品ではあるが、その味付けはケニヤの大地と国際的な陰謀が暗躍する社会派の物語りだった。

映画は妻・テッサが死ぬところから始まり、出会いから外交官としてケニアへの赴任に同行し、殺されるまでを夫・ジャスティンがを遡る、そして・・・。まず妻が殺されるシーンから始まること自体、ハッピィな映画ではないことを宣告される。そして出会い。ジャスティンが急に代役となって若い研究者や学生相手にUKの外交政策に対して退屈な講義を終え、弁護士・テッサが執拗に外交政策を批難するシーンから、彼女の思考や性格が観客に提出される。そしてふたりはその日のうちに和解と融合を成す。性格は大きく違うが相性は良かったようだ。そしてジャスティンのケニア赴任が決まるや、押しかけるように夫婦となる。

赴任したケニアでも実直に外交官を務め、自宅では庭いっぱいの草花を愛でるジャスティン。片や否応なくナイロビのスラムでボランティアに精を出すテッサ。そして政府高官が出席するパーティに製薬会社や医療奉仕団体のメンバーが参加し相談するシーンを目撃したテッサは、貧民街で欧州の製薬会社が展開する不思議な医療奉仕活動に疑問を抱くようになる。製薬メーカーは何の薬剤を住民たちに施しているのか?なぜ政府の高官たちはそれに関与しているのか?その追求のため、彼女は何を犠牲にしたのか?

妻の死に疑問を持ったジャスティンは、彼女と同行していた地元医師が失踪し、浮気と殺人犯の疑惑を持たれたことを確かめたいと思う。妻の遺品が捜索され、急遽外交官の任を解かれ本国に戻されるジャスティン。その解任の強引さとパスポート没収への懐疑から、いよいよ妻の死が何かの陰謀であることを直感する。そして出国しテッサが情報を共有していたドイツのNGOメンバーに会おうとするその時、彼は捜査行動からの撤退を迫られる。しかし妻を失った彼にはもう、何の脅しも効かない・・・

ジャスティンは、妻・テッサとの思い出を噛み締めながら、彼女の死の疑問を解き明かしてゆく。そしてスーダンで奉仕活動をしている医師に会い、疑問の解明=妻の思いと妻への自分の思いを確認して、彼は妻が殺されれた場所・トゥルカナ湖畔へ最後の旅に赴く・・・

欧米の医薬や医療機器メーカーが発展途上国で奉仕活動を展開していることは広く知られていることだ。そしてその殆どが善意で行われているのだと願ってはみるものの、この映画で取り上げられたような医療奉仕を隠れ蓑にした治験や廃棄製品の処分であることはきっと現実にあるに違いないとも確信する。そしてそれが現地の権力と癒着し、しかも外交ルートの私腹を肥やす手段になっていることも・・・

たぶん、この映画で描かれていることはフィクションではない。大なり小なりこれに似たことは事実だろう。

それは、ボクがかつて担当したことのあるとある外資系企業がアフリカで全社的に展開していたボランティア活動について感じたこと=使用されている器具が旧式の処分向け製品であったことや、その活動に参加した企業幹部は自社ジェットで訪問し、ごく短期間で戻っていることなどから感じたことだ。確かに廃棄製品でも使えるものなら提供することに意義はある。そして医療行為の手薄な地域に医療従事者を派遣することは尊いことだとも思う。でも・・・そもそもその地域の貧困や戦乱の元凶は何だろう?

話の筋は違うかもしれないが、第二次大戦後に日本に導入された小学校での給食のパンと牛乳(直後は脱脂粉乳)の定着も、確かに子供たちに栄養を与えようという善意からのスタートだっただろうが、結局食事の欧風化も秘めた目的だったのではないだろうか?

地の果てで、やっと君に帰る。」 ・・・チラシの宣伝コピー・・・

妻は何を思い、どう行動し、なぜ殺されたのか?夫は殺された妻の謎を追い求めながら、何を探し求めたのか?重厚な社会派映画でありながら、男女の心の触れ合いの行方を探る愛情深い物語になっていた。じわっとしんみりした。ケーブルTVで鑑賞。

2009年3月 9日 (月)

映画録 Sexy Beast/セクシービースト '090309

映画館好きのボクも家ではケーブルTVで映画を観る。特に映画専門TVにはいつも頭が下がる。これまで見逃した映画や監督作品がまとめて特集されたりすると、もう寝てなんかいられない。そして、ボクがよく観てるのが「シネフィル・イマジカ」。このチャンネルで面白いのが劇場未公開作品の放映。未公開だから当然観てる人が少なく情報が少ない。面白いのか、ダメなのか?大げさに云えば“チャレンジ”だ。だから偶然観た映画が面白かった時なんかはもううれしいのなんのって。今日「セクシービースト」を観た。なかなかの名品だった。

数年にわたるムショ暮らしを経て、裏稼業から足を洗い、今は地中海を臨む別荘で妻と友人夫婦と悠々自適に暮らす元ギャング・ガルの元に、突然かつての仕事仲間・ドンがやってくる。用件は“仕事”の依頼。二度と現場に戻りたくないギャルは断るが、やって来たドンの性質が悪かった。“仕事”を執拗に迫り、妻を罵倒し、友人夫婦に絡む。犯罪で稼いだ金で暮らしている彼らには、何を言われても警察に通報できない弱みがあった。彼らはこの恐怖から逃げられるのか?

この恐怖の依頼人・ドンを演じるベン・キンズレーの演技が怪奇だ。こんな奴に絡まれたらどうしたらいいのか?と無茶苦茶な恐怖だ。まさに、「ヒストリー・オブ・バイオレンス」のエド・ハリスか、「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」のダニエル・デイ=ルイス、いやいや「ノーカントリー」のハビエル・バルデムばりの鬼気迫る演技だ。観ていてムカついてくるくらい腹が立った。ちなみにこのキンズレーの完璧な演技は、’00年のUSアカデミー賞で助演男優賞にノミネートされたらしい。この迫力ならさもありなん。

そして元ギャング・ガルを演じるレイ・ウィンストンの、悠々自適なくたびれ方と、必死に“仕事”を断る姿、そしてロンドンでの堂々とした立ち振る舞いと仕事ぶり・・・キングズレーの派手な怪奇さはないが、じっと神経衰弱ぎりぎりで耐え忍ぶ演技はなかなか見もの。悪い奴なんだろうけど応援してしまった。

結局、ガルはロンドンの“現場”に復帰する。顔合わせで酒に酔い陽気に笑い合う掻き集められたギャングたち。“仕事”は貸金庫破り。方法はなんと水攻め!・・・貸金庫破りの首謀者・テッドに依頼人・ドンの不在を疑われながらも、知らぬ存ぜぬを通すガル。仕事を懸命にこなしたガルをテッドは許すのか?・・・

冒頭シーンで、この映画全体を暗示するような巨大な落石シーンが印象的だ。プールの底に穴を空けた巨石。水を抜かれたプール。雇われたスペインの少年。プールは修理されることになる。・・・

この映画はなぜ日本で劇場公開されなかったのだろう?それはたぶん出演者が地味だったからじゃないか。キンズレー以外はそれ程名前が知られていない役者ばかりだ(顔は観たことある役者だから、UK映画好きには有名人)。登場人物はオジサン、オバサンばかりで、ピチピチはいないのも日本向けじゃない。しかし、内容は科白も演技もムダがなくクール。こういうのが犯罪映画ではないかい?と思えた。フランス映画「36 Quai des orfevres」が日本で「あるいは裏切りという名の犬」として公開されたように、何か粋な題名でもあればよかったのになぁと思った。

日本で劇場公開されない映画のなかにもけっこう決作はあると思うなぁ。掘り出しものでした。

2009年3月 7日 (土)

読書録 佐藤尚之「明日の広告」 '090307

たまには仕事に関連した本も読まなければいけない。そう思ってもなかなか読めるものではないが、失業して9ヵ月目、来月中には失業給付も終わるので・・・と云う訳ではないが、「明日の広告」という本を読んでみた。

ボクはこれまでの20年余りの歳月をほとんど「広報」や「広告」の世界で生きてきた。先回ある企業を辞める時に、精神的にかなりの負荷を背負って辞めたことで、次の仕事先を決める作業になかなか出る気分になれなかった。ちょうど夏の始まりのころで、ダメージを受けた身体に熱気と湿気が襲い始めていた。大学を卒業するまでの歳月のちょうど倍の人生を過ごしてきた。次の人生もこのままこの世界でサラリーマンをしていいのか?と自分への疑問がもたげていたのだ。

いや、現実から逃げたかったのかもしれない。いろんな煩わしさや人々から・・・しかし、やはりこの世界の周辺にいることが自分の性に合うようだと気付いた。いや、違う仕事など今更就けようがないないのだ、と悟ったのかもしれない。

そしてボクの体たらくな日常を見かねたある友人が、一緒にやらないか、と云ってくれたお陰で重い腰を上げることにした。そしてそのリハビリのために手に取ったのが、かの“さとなお”の「明日の広告」だった。

彼とは面識はない。あたりまえだ、失業した元広報マンと、“世界の電通(※)”のクリエイティブディレクターである“さとなお”氏の間に接点などありもしない。しかしこの本で語られる彼のこれまでの広告人生の軌跡は、丸っきりボクの足取りと裏表なのだ。

彼はつくづく立派だ。Netの登場によってこの世界がどう変わるかをいち早く嗅ぎ取り、前向きに着々と進化してきた。彼の語る消費者と企業、広告と社会の変化は、この二十年間の変化の歴史そのものだ。その輝かしい世界と同じ時間を確かにボクも体験してきたのだ。この本の中で彼が語る「目も耳も閉ざしている人」とはまるでボクを指しているかのように感じたのだ。グサリ・・・

いや、ボクだってPCを操れない訳ではないし、今日のようにブログも書く、しかし・・・PCのスキルも当たり前以前で、やっとワードが書けるだけで、エクセルも表計算には心もとないし、パワポも打ち込む程度だ。最低限の操作以上に自分から学ぶことなどなかった。困った時に人にやり方を聞き、それを何度か繰り返したことで結果的に身に着いたにすぎない。。

何から何まで、この本は素晴らしい。それは何か?笑われるかもしれないが、この本の書いてあることに全く偽りがないからだ。本当に“さとなお”と云う人は正直な方なのだろう。たぶんこの本を手にした若い広告マンたちは、この本を読むことによってかつてのコミュニケーション作法がどのように今日まで変化してきたかを知ることになるだろう。経験することができない経緯をこうした書物が詳しく伝えてくれるのは、何にも増して有意義なことだろう。「日本広告書籍大賞」というイベントがあるとしたら、この本はまぎれもなく象印賞を獲得するに違いない。

しかし、彼とほぼ同じ時間を自分の作法に徹して現実に向き合わなかったキリギリスには、この本はど真ん中に切れ味鋭いストレートを投げ込まれ三振に切って取られる三球目のように、ただ手も足も出ないただただ唖然と見送るしかないのだった。それほどイタい痛すぎる内容の本なのだ。

おっしゃる通り!・・・それしか云うことはない。この本には「変化した消費者とコミュニケーションする方法」という、きっとこの新書制作担当者がその余りにもど真ん中のタイトルに、なんとか付けた親切すぎる副題があるが、ボクにはそれが「変化しなかったコミュニケーション担当者へのレクイエム」と読めるのだった。

しかし、ボクは食べて行くため、ローンを払うため、そして実家で年金暮らしをし、バカ息子の失業を心から心配しつつ社交ダンスと俳句に興じる両親より長生きして葬式を出すまで、なんとか生きてゆかねばならない。そのために、この本を読んだことをスタートに、またこの世界の端っこに引っかかろうと思っている。

※ どうしてこの企業が独占禁止法に触れないんか、昔から疑問だ

2009年3月 5日 (木)

映画録 少年メリケンサック '090305

「映画の日」が休日に絡むと、勤め人の妻も映画を観に行ける。そんな時は妻の観たい映画を観ることになる。そんな訳で3月は工藤官九郎脚本・監督、宮崎あおい主演の「少年メリケンサック」を観ることになった。

妻は「木更津キャッツアイ」以来のクドカンファンである。そして’08年のNHK大河ドラマ「篤姫」も毎週のように観ていた。「篤姫」ブームの余韻醒めやらぬなか、2月に公開されたこの映画が、話題にならない訳がない。しかも「篤姫」で凛々しい幕末の女を美しく堂々と演じた宮崎あおいが、一転パンクロックバンドのディレクターをハチャメチャに演じるとなれば、期待も高まるってものだ。

最初、伊勢丹の先、旧新宿京王の跡地に建てられたマルイの上階に展開するバルト9を目指したが、次回上映は満席で見られない。ではと歌舞伎町に転進、閉館なったコマ劇場の先のアカデミーでチケットを購入。席指定でもないしnet予約でもないから、客は並ぶしかない。当たり前の光景だが、net予約で席まで予約でき開場ぎりぎりに戻って来てもゆっくり観られるシネコンに馴れると、何とも旧態と云った風情に感じた。そう云えば歌舞伎町で映画を観たのは何年振りだろう?いや十数年なかったかも知れない。まぁ、名画座好きで早稲田松竹や新文芸坐がメインのボクだし、風俗にも関心があるだけでお金のないボクが歌舞伎町に来る必要はほとんどないのだが。

上映10分以上前に館内の階段に二列縦隊で並ばされ、入場。館内は裕に300人くらいは入れる大きな器で、八割方の入りの様子。階段状の観やすい劇場だったが、椅子は新品ではなく、動くと音を立てて軋む。シネコン馴れの客にはここも古く感じるだろう。客層はボクより年上と思われる50-60歳代風のカップルも多く、これも「篤姫」ブームの影響か。「男ひとりは宮崎あおいファンだよね」と妻がチェック。なるほど野郎ひとり客も結構いるいる。友達と来るか彼女連れてこいよ、と突っ込みたくなるが、ま、彼らの自由だろう。

さて、映画は・・・相変わらずのクドカンワールド。ハチャメチャで笑えるシーンは多い。ストーリーもなかな練られていた。・・・がそれほど面白くなかった。なぜだろうか???

それはダレルシーンが多いのと、出演者に共感できなかったからだ。中年パンクバンドになってしまった「少年メリケンサック」が良くない。パンクだから当たり前なのかもしれないが、ライブ会場に来てくれたnetで注目した観客にサービスが無さ過ぎ。歌がおかしいし、そもそもボーカルの田口トモロヲが歌えない。ギターの木村もボウ立ち。髪型も単に坊主なだけ。あれじゃぁいつもと変わんない。

そして佐藤浩一のふてぶてしさ。脚本通りなら仕方がないが、身勝手オヤジなだけに観えた。
う~ん、バンドの造形にもっと工夫欲しかったのはボクだけか?このバンドを楽しめなければ、映画にも乗れないんじゃない。名選手、名監督にならずか?その前に、周囲が客観的なサポートが必要なんじゃないだろうか?天才・クドカンの限界は観たくないぞ。

しかし、宮崎あおいの“弾け方”は◎。巧い、と云うより全身で映画を楽しんでいる風情が伝わって来た。クドカンの彼女への演出は冴えていたと思う。しっかり役者の可能性をひきだしていた。
そして、ボクが男だから思うんだろうが、とにかく彼女はカワイさには参った。売れないミュージシャンの彼のアホさに合わせるような阿呆ラブぶりもぜんぜん嫌味にならない。そして何より彼女のスーツ姿がかっこよかった。あんな女の子が近くにいたら、個人的にも無茶苦茶盛り上がるだろうなぁと。
あ、映画のコピーとポスターも◎。ちなみに宮崎あおいは劇中、ポスターのパンク女にならない。

「 好きです!パンク!嘘です! 」 ・・・チラシの宣伝コピー・・・

旬な意味で今回この映画を観る意義はあったと思う。クドカン好きの妻も楽しんでたようだし。

03/01・映画の日、歌舞伎町のアカデミーで。ちと重い「チェンジリング」の後の鑑賞ってところも組み合わせ的に良かったかも。

2009年3月 3日 (火)

読書録 藤沢周「さだめ」 '090303

藤沢周の「さだめ」を読んだ。藤沢周平ではない。地元の図書館で藤沢周平を探すようになって早半年余り、同じ棚に似た名前の作家の本があることには気づいていた。

藤沢周氏は’59年生まれ、法政大学文学部卒だと云う。ボクとほぼ同じ世代だ。’93年にデビューし、’98年に芥川賞を受賞しているそうだ。デビューが34歳、芥川賞受賞が39歳・・・十代や二十代の早熟なデビューではないが、なかなか順調な道のりではないか。まぁ芥川賞が単に文藝春秋社の(WBCが読売新聞社の個別イベントであることと同じで)宣伝イベント以上のなにものでもないことは理解しているが、作家として食べて行くために必要な賞なのであろうし、複数の著名な作家が読んで選んでいるのだろうから、それはそれとして立派である。

あの時代の法政大学の学生なのか・・・当時、'80年代初頭の法政・市ヶ谷キャンパスは、今のような清潔で澄ましたような建物ではなく、高いやり状の塀に囲まれた一種独特な雰囲気を持っていた。校門の横の塀にはゲバ文字で赤塗りされた何枚もの大きな立て看が聳え、戦闘的な労働運動や社会運動との連帯を激しく叫んでいた。校内も地面はなくコンクリートのゆるい傾斜の広場の周りに校舎が囲んでいた。そして学生会館の建物の中には、長椅子で築かれたバリケードにより迷路のような通路が走り、その奥に自治会の執務室があり、きっと何年も学生の身分の活動家たちが居そうな雰囲気が濃厚だった。当時、洗練されてはいないが緑濃いキャンパスのある理系の学校に通っていたボクには、木の生えていないコンクリートで埋め尽くされた校舎とバリケードある学生会館には、大変な違和感を感じたものだった。しかし当時の法政大学の学生運動は、当時の他大学の左翼シンパの学生たちからは、孤高な一種独特な輝きも放っていたように思いだされる。

しかし、当時の法政大学全体がそんな闘争的な雰囲気だったか?と云えばそうではなく、そんなゲバ文字の立て看の傍らを、当時女子大生ブームたけなわのワンレン風女子大生が通り過ぎ、オールシーズン同好会系サークルが隆盛を誇っていた。藤沢周氏は現在作家業の側ら、法政大学の教授職にも就かれているようなので、きっと大学当局とも波風立てない学生だったのだろう。

「さだめ」という本は、ボクには不思議な本だった。アダルトビデオに出る女の子をスカウトする男・寺崎が、綾瀬で声をかけた女の子・佑子から「出てもいい」との連絡を受けることから、物語が始まる。“何故か涼しい”感じの佑子には、AV女優になるような雰囲気ではないことで、AV監督・田村にウケることになるが、彼女に惹かれながら、彼女の生活を垣間見えてしまうことで、微妙な距離感に漂う物語りだった。

ボクもアダルトビデオを観ない訳ではないが、観ても年に1,2本程度。しかしアダルトビデオのスカウトとAV女優がメインの話・・・場所も、ビデオ撮影スタジオの曙橋、佑子の住む綾瀬、スカウト場所兼待ち合わせ場所の北千住、寺崎の住む中野の四ヵ所しか出て来ない。佑子がなぜアダルトビデオに出ることにしたか、彼女の家庭事情がどうなのか、なぜAV監督にウケたのか、そしてなぜ佑子は寺崎を・・・ボクの日常や感情からはかけ離れた世界の話しで現実感のない、水槽の向こうから眺めているような感覚だった。題材が題材だけに寺崎と佑子の濃厚なセックスシーンもあるのかと踏んだが、それどころかAV男優との絡みもなく、なんだか拍子ぬけ感もあった。しかし、高速道路の走行場面での、寺崎の左手の人差し指だけを握る、冷えていて湿った感覚には、何かしらの欲情が湧くような気がした。

出逢いのシーン、寺崎は“何かナイフで脇腹のあたりを音もなく刺し貫かれたような感触”を感じる。そして “いつでも自分が殺される”とも。そしてラスト、寺崎は佑子をアダルトビデオ会社に転籍させ、自分はスカウト業から足を洗う。しかしなぜか佑子と弟と三人で花火大会を観に行き、出逢いの感覚が現実となる。読んでいるボクと寺崎が同じ水槽の中で浮遊しているような現実感のない感覚の中で物語りが終わる。痛みが感じられないのだ。

知らない作家に出会い、少しの時間を共有する。“イイ本”と他人に薦めるような内容の本ではないが、実はちょっと魅力的な本だったと、妙な満足感を得た小説だった。

2009年3月 1日 (日)

好物録 歯医者の寝椅子 '090301

失業して早9カ月目に突入した。この間してきたことと云えば、腹筋と腕立て伏せ、図書館と映画館とハローワーク通い、このプログ、そして歯医者への通院だ。

そして歯医者にある治療用の寝椅子が昔から好きだ。体の関節部にフィットしたあの形がボクをこの上もなくリラックスさせる。布団で寝るのが好きなボクだが、いつまでも寝ていると体が痛くなる。まぁそれほど長く寝たりしたのは、学生時代以来ないが。

歯医者の寝椅子はいったいいくらぐらいするのだろうか?昇降もするから高価なんだろうなぁ。中古でも普通の人じゃ買えない値段かな?コルビジュのシェーズロングもいいけれど、なんか違うんだよなぁ。

歯医者で治療するのはたまに痛かったり、あの反響音で「何を削ってるんだっ!」と思うくらいの恐怖もあるが、歯の治療に通わなくちゃいけない、と思うと、あの椅子に座れるんだ、と少しだけうれしくなったりする。ボクだけだろうか?

床屋さんの椅子も嫌いじゃない。ボクは散髪中に足を上げてもらうのが好き。ぐっすり眠れる。髪をさっぱりして、頬の産毛も剃ってもらいながら眠るのが至福の時だ。ガーガージュウジュワってする歯医者より良いに決まっているが、体へのフィット感は歯医者の寝椅子の方が格段にイイ。今通っている床屋の椅子が足上げ式ではないことがとても残念でならない。

歯医者の寝椅子は照明ランプも付いている。うがいも出来る。ま、水道をつなげないといけないけど。

ボクは将来歯医者の寝椅子を自分の部屋に入れて、思う存分読書と睡眠を楽しみたいと思っている。まぁ、その前に働いて稼がなきゃいけないのだが・・・アーメン。

とりとめもないことを書いた時は、恥ずかしいので朝日歌壇の好きな短歌を無断転載します(朝日新聞 '081214 掲載)。

松代の大地下壕の岸壁に誰が書きしか都市の名の「大邱」

兵庫県・北林 稔 さんの作品・・・無断転載、ごめんなさい。

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