旅への想い Liberec/リベレツ '090227
今朝の新聞のスポーツ面にスキーノルディック世界選手権の複合団体で、日本チームが逆転優勝したと報じていた。久しぶりの優勝だそうだ。チームの皆さん、おめでとう。
このニュースは、フジTVの「とくダネ!」の冒頭で、司会の小倉智昭さんも言及していた。「チェコのリベレツという街でやっていたようですが。あまり知られていない街で・・・」というコメント付きだった。
いやいや、リベレツ(※1.)はチェコを代表するスキーリゾートであり、チェコどころか、近隣諸国からスキーヤーが集まるメッカで欧州では知られたスキーヤー“憧れの地”。距離的に近いせいもあるが、ドイツからの客が多い街で、そんなリベレツをボクは訪れたことがある。たった一泊の滞在だったが、とても美しい街だったことを覚えている。'07年11月の半ばのある日だった。
リベレツにはプラハから向かった。プラハの宿を立ち、その日はモスト/Mostという街を経由して向かうはずだったが、プラハ本駅/Praha Hlavni(※2.)でモスト行きが遅れて、しかも駅の表示装置が壊れていたようで、電光掲示板の前でにカート付きのリュックと佇みながら、一向に出発表示の出ないモスト行きを観ていた。構内が広く出発の番線も変更されやすいので表示板の前から離れられず、本当にモスト行きがあるのかどうかさえ分からぬまま時間が過ぎ、おかしいぞ?と駅員に聞くと「もう出たよ」という。「掲示板に出なかったよ」と訴えても伝わるはずもない。チェコ語は知らないし英語もあやふや。しようがないので今夜の宿となるリベレツに向かったのだった。
プラハからリベレツに鉄道で向かうには、途中Tumowという駅で乗り換えることになる。Tanwald行きの列車は、2等車が5,6輛連なっており、客室の扉が壊れているような年代物で、少し埃っぽく感じた。同室にはおばちゃんと30歳くらいのお兄ちゃん。お兄ちゃんはボクにプラハで行われるロックコンサートのチケットを見せて、「今日は早起きしてこのチケットを買ってきたんだぞ」という感じで、おばさんとボクに熱心に話しかけていた。ポチャッとした見るからに田舎のとっちゃん坊やと云う感じで、ボクは心中「あんたとロック?似合わねぇなぁ」と思ったものだった。おばさんは最初「変な東洋人と一緒になっちゃったなぁ、ヤーパンってどの辺の国だっけ?」という感じだったが、お兄ちゃんが降りて行ったら、わからないチェコ語で話しかけてくれて、「どこに行くんだ?」と聞くと「リベレツです」と云うと、「あの街はねぇ」と話してくれたようだが、何も分からなかった。
しばらくプラハ近郊の都市と農村がごっちゃな地域を進み、いくつかの駅で乗降しながら少しづつ北東に進む。やがて丘陵地帯に入って行き、川沿いのルートをたどりながら約2時間で乗り換え駅Tumowに着く。チェコはたいがいどの駅も広々しているが、このTumow駅ものんびりと広い。同じ車室のおばさんに「レベレツ行きは乗換だよ」と囃されホームに降りると、何人もの駅員や車掌、運転士がホームにいる。しばらくしてホームの向い側にプラハから来た列車よりはるかに新しい列車が到着した。ドイツに近いこの地域は、生活路線と云うよりもリゾート路線という位置づけのようだった。
リベレツ行きは、車両の端に1等席が設けてあり、そこに進むと、車内にたくさん乗っていた高校生たちが、なんだこの変な顔の人間は?という顔でじろじろ見られた。チェコ滞在も一週間が経っていたボクは、ジロジロ見られるのは慣れっこになっていた。列車が出発するときに窓からホームを見るとさっきのおばさんが心配そうにボクを探していた。思わず手を振ってさよならした。今夜、彼女は夕飯時に家族に云うだろう。「プラハからの列車でヤーパンから来た男の客と同室になったよ」と。家族は信じるだろうか?ありがとう、おばさん。
Tumowからリベレツまでの乗車時間は約30分くらい。列車はTumowを出てすぐに右(北西方面)に曲がり、坂を上り始めた。線路の辺りは雪が積もり急速に寒くなって来て車窓に水滴が付いてきた。急に山岳路線に入ったようだった。11月は日暮れは早い。16時はもう薄暗くなって来た。
リベレツ駅は欧州の街によくあるように市街地から離れて立地していた。駅は待合室も売店もあり、ホームと駅舎の間は地下通路で結ばれていた。駅前を左右に走る道にはトラム(路面電車)が走っており、駅横の売店で24時間チケットを購入し乗り込んだ。
市街地は駅から下った位置にありトラムで5,6分くらいのところにあった。UK系のスーパーTESCOや商店街の間に広めの路を進み、バスとトラムの交通ターミナルがあった。旧市街地はこのターミナルから北側の坂にゆるく登るように広がっていた。建物はチェコの他の街よりも硬質に感じられた。やはりドイツに近いからだろうと思われた。泊まったホテルは坂の中腹にある大きなもので、チェコでは一番きれいだった。ホテルの展示場では世界的に有名なコンサルタントファームがセミナーを開いていて、大きな荷物を引いて汚れたコートの東洋人をパシッとスーツで決めた男女に珍しそうに眺められた思い出がある。
旧市街地の四角く広い石畳の広場に面して、大きな教会のような市庁舎があり、その夜景の中で美しさは、あぁここまで来て良かったと自然を感じる荘厳さがあった(※3.)。
街は山間部に開けた盆地のゆるい傾斜地に広がっており、北の端に動物園があった。動物園(※4.)から交通ターミナル、駅を通って南側の斜面に広がる住宅地までトラムが走っていた。また、交通ターミナルからトラムがJablonecという隣町まで路線が伸びており、この路線はトラムが走るとは思えないくらいの郊外路線で隠れた素敵な鉄道旅であった。また辿り着くJablonecも盆地に佇む落ち着いた町だった。リベレツからも国鉄路線があったが、駅は坂の上で、列車数はトラムの方が多く、街の中心地どうしを結んでいるので利用者はトラムの方が多いようだった。
翌日の昼、ボクはリベレツ駅からドイツのZittau/ジッタウに向けて旅立った(※5.)。山間の美しいリゾート都市・リベレツ、いつかまた訪れたい街だ。
スポーツのニュースでふと思い出した旅の情景だった。
※1.http://www.tabibito.de/czech/jliberec.shtml
※2.プラハ本駅(Praha Hlavni)は街の中心街に近く地下鉄駅にもつながっていて便利だが、広い構内は全体に薄暗く浮浪者も見かけたりする。
※3.当時、市庁舎前の広場を日本のゼネコンが工事をしていた。
※4.この動物園はチェコ最古の設立らしい:http://www.anone.cz/B3l1
※5.ジッタウは列車で約30分。途中ジッタウ手前でポーランド領をしばらく最徐行して走行する。

