寝る間も惜しんで読み進めたいのに、読み終わるのが怖い、悲しいって心底感じる本がたまにある。
ボクにとっては、例えば小説の分野では、ブライアン・フリーマントルのチャーリー・マフィンシリーズだったり藤沢周平ものだったりするのだが、趣味の世界で言えば、堀淳一氏の軽鉄道ものや宮田親平氏の欧州トラムものだったりする。
そして鉄道趣味の中でボクがようやく出会えた“乗り鉄”ものが、この安居弘明氏の「イタリア完乗 1万5000キロ」であった。
2010年10月の発売直後から、近所の本屋さんの書棚で気にしつつなかなか手に取れず、翌年になってようやく購入し、「面白くなかったらやだなぁ」と心配しつつ読み始めたのが6月頃だった。
読み始めてすぐに夢中になった。
長靴でリフティングしてるようなイタリア全土(ボールはサルディニアとシチリア両島)に張り巡らされたいたイタリア国鉄全線(現FS/Ferrovie dello Stato S.p.A.)をめぐる旅なのだ。観光地だろうがそうでなかろうが、“乗り鉄”はひたすら列車に乗り続ける。
たぶん同じ鉄道趣味のヒトでも、“乗り鉄”的共感がなければ、この本は途中で投げ出されることなるだろう(一般のヒトが読めば怒り出すだろう)。
この安居氏は本当に乗りつぶすことだけ目標にストイックにFSに乗るのだ。
まず、イタリア全土に1万5000キロ(正確には少し欠ける)ある全てに乗るには、相当の間彼の地に住んでいなければ、乗りきれないし、そんな発想もしないだろう。
ボクのように年に一、二回欧州に行っているくらいの未熟者では、到底乗り切れるはずがない(※)。
著者の安居氏は、某メガバンクのミラノ支店へのご転勤時を利用して、'98年から'03年にかけて、主に土日の週末を費やして乗られている。これは並大抵のことではない。
まず、土日にプライベートな時間を作れること。
欧州では土日に仕事をすることは少ないだろうから日本よりは所用は少ないだろうが、それでも仕事やプライベートな付き合いが皆無ではないだろう。ましてや銀行の幹部ともなれば、その付き合いは一般人よりもかなり多いのではと推測できる。
そして家族の理解が必要だ。
ボクでさえも妻と行く海外旅行時には鉄道ばかりに乗って入られない。氏も転勤には家族もご一緒されたであろう。家族の協力(というか諦め?)があっての偉業達成と思われる。
そして財力である。
いくら欧州の運賃が日本よりも安価であるとはいえ、全国の鉄道に乗るには小遣いがふんだんになければ無理だ。まぁ、氏の身分であればこれは比較的ハードルが低かったかもしれない。
この本は何も乗った乗ったと自慢している本ではない。
読み進むと、FSにかなり詳しくなる。アペニン山脈内や南部を中心に、想像を絶する閑散路線の存在が明らかになり、否応なくボクも乗り鉄欲が高まって来た。
また、高速新線の建設が急ピッチに進んだ現在でも、夜行列車が相当数半島を駆け巡っていることが頼もしく、そしてさらに、かつての日本国鉄にもあった運転経路が複雑怪奇な列車が少なからず存在していることなどがわかってうれしさが加速するのだ。
列車の遅れが頻繁なのもよく伝わってくるが、これは欧州の鉄道に多少興味のあるものにとっては織り込みの情報だ。
日本と同等と思われることの多いドイツやスイスの鉄道でも、かなり遅れることは鉄っちゃんには知られたことである。これは長距離を駆ける列車が多いことも理由の一つだろう。日本のJRなど各駅停車の走行距離が旧国鉄時代に比べかなり短縮されている。もちろん、FSの定時運転、遅れた際の復帰運転への情熱が低すぎることも一番の問題であるが。
“乗り鉄”として残念なのは、詳細な地図の掲載と時刻表、写真等が少なかったことだ。せめてもう少し詳細な地図を掲載していただければ、読み進む楽しさが増したと思われる。
だがこれは著者の問題ではなく、むしろ出版側の事情だろう。写真や地図は多いに越したことはないが、そもそも出版コストの低減も目的の新書であることを考えれば、致し方ないだろう。いくら鉄道愛好家の多い日本でも、乗り鉄は少ないだろうから、本書の出版の実現だけでも評価したいところだ。
ボクは本書を主に通勤の車中で、少しづつ、約半年間をかけて読んでみた。そういう意味では、幸せな半年間だった。その間ボクは並行して約30冊を読んでいる。
読む度に巻末のイタリア路線図を広げ、本を傾け傾け確認したものだ。図中には詳しい駅名の説明も乏しかったので、「たぶんこの辺りだろう」などと思いつつ、噛みしめるように読んでいった(もちろん小説など他の本も並行して読み、本書を読み切る間に約30冊を読んでいる)。
とにかく、とても面白く読めた。
日本にどれだけ“乗り鉄”がいるかわからないが、海外鉄道好きの“乗り鉄”なら、この本を読まない手はないだろう。書棚の一番いいところが定位置になるに違いない。
“乗り鉄”の皆さんには、けっして読み易いとは言えない本書には、イタリアの地図を片手に読まれることをお勧めする。
そして、ボクは何度も繰り返し読むことになるだろう。
ちなみに、サブタイトにある「パスタの国」だが、著者は本書内でパスタにありつく機会が少なく、どちらかと云えば「パニーニの旅」になっている(笑)。
※ ボクが乗ったイタリーの鉄道:マルペンサ空港-ミラノ中央(途中まで北ミラノ鉄道)、ミラノ中央-トリノ・ポルタ・ヌォーヴァ、トリノ・ポルタ・ヌォーヴァ-ジェノバ・プリンチペ、ジェノバ・プリンチペ-ミラノ中央、ローマ・テルミニ-ナポリ中央、ローマ・テルミニ-フィウミチーノ空港。この他、ミラノ、トリノ、ローマ、ナポリ、ジェノバのトラムや地下鉄、ケーブルカーなども乗車している(2012/01現在)。
地図好きのボクにとって今尾恵介氏はある意味ヒーローである。
年齢もほんの少ししか違わないおじさんに云われても今尾氏はぜんぜん嬉しくないだろうが、地図に関する書物をこれだけ順調に著作される氏は、「地図の貢献者」であり、「地図好き」のヒーローという言葉がぴったりではないかと思う。
現在これだけ地図に関する本を世に出した人をボクは知らない。すでに掘淳一氏の量を超えているのではないだろうか?
そしてただたくさんの本を出して要る訳でない。氏の本を読んでみると伝わってくるのは、氏がほとんど手抜きをしていないことに気付くのだ。氏の本を読んだ地図好きしかわからないことだが、氏の本の内容には“誠実さ”であると感じるのだ。
正直「ボクは地図好きです」というと、変な顔をされることがある。
地図マニア、地図オタクなんてのは、地図に興味のないヒトには、「地図のどこがオモシロいのか」とその真意を疑われることだろう。特に女性には全く受けないようだ。まぁ地図にロマンを抱くのは男が大半なのは、なんとなくしようがないと思って諦めてはいるが・・・。
ところで村上春樹の「ノルウェイの森」に出てくる「突撃隊」は、地図マニアで国土地理院に就職するのが夢で、潔癖症」だったが、彼はその後どうなったのだろうか?と心配でならない。
地図の中には、雨や風、地殻変動で出来た山や谷や平野があり、川が流れ海に達する自然が描き込まれており、その自然に対して、ヒトによって作られた町や道路、鉄道の線路や田畑が刻み込まれていいるのだ。要するに、地図にはヒトの営みや自然が写し込まれており、精巧で読みやすく、そして美しい地図に接する度に、地図と言うものは何と素晴らしいものか、いつかぜひ訪れてみたいものだ、と思わずにはいられないのだ。
さて、本書「地図から消えた地名」だが、実はサブタイトルに「消滅した理由とその謎を探る」が付いている。
そう、地名とはその場所を表す記号であるけれど、そう呼ばれてきた中に歴史と文化、簡単にいえば先に書いた「自然とヒトの営み」が託されているのだと思う。
端的にいえば、「江戸」を「東京」と読んだ時点で、日本人の歴史がひとつ加わったと言えると言うことなのだ。
ボクは地図好きを自称しているが、だからと言ってこれまで地図についてまじめに勉強したことも、地図学についての書物を読み漁った経験もない。ただ、幼いころから地図を眺めるのが好きで、好みの地図があれば購入して時間さえあれば眺めることが至福と感じてきた単なる地図オタクだ。
例えば、NHKの「世界ふれあい街歩き」などの番組であのカメラが街を歩いてヒトに出会ったり語ったりするのがとても面白いのだが、その町のどこを歩いてきたのかと街の路地を地図で示してくれる瞬間に最もホッとするし、理解が100%に近付くのだ。
日本の多くの旅番組の欠点は地図を示さないことだと思う。
美味しい飲食店や面白い商店を訪ねたりしても、そこに地図が掲示されなければ理解度が落ちてしまうのだ。もちろん所在地や電話番号が表示されることも多いので、現代では地図を持っていなくてもPCで検索出来てしまうが、後からそんなことをするヒトは視聴者の1割もいないのではないだろうか。
本書には、日本の歴史の中で消えてきた多くの地名の変更の理由を、全国から抜き出し記述されている。
1頁約700文字で紹介する地名が113(「大説明」とする)、その後に「消えた市町村巡り」として300から450文字で紹介する地名が274である(間違えていたらごめんなさい)。合計384の今は行政地名として存在しない地名を挙げて説明しているのだ。
まぁ説明と言っても、その土地のかつてあった地名がどう失われたのかを中心にしたエッセイなので、克明な解明ではない。
[本書で紹介されている地域別の地名数:大説明/えた市町村巡り]
北海道: 9/19、東 北 : 8/26、関 東 :40/70、中 部 :22/48、
関西:12/41、中国: 8/22、四国:10/15、九州:13/33
この本で初めて知ったのだが、日本では明治維新後から今日まで、概ね4度の市町村消滅が行われたということが判った。それを別の資料で調べてみると以下のようになる。
一期として明治政府が行った「市制及び町村制(1888年/明治21年によって約71,000あった市町村が15,000余りとなり、その後明治、大正、昭和と元号が変わる中で市町村は1,000を割り、戦後、市町村が消滅する第二期として新政府が施工した「町村合併促進法(1953年/昭和28年)」によって 9,800余りあった市町村が 3,500を割り込む。そして平成の大合併ともいえる、合併市町村への地方交付税の合併による一時的な割増しとその後の減額と言う飴と鞭の制作により、とうとう2011年の今日には1,700余りに激減している。
日本は130年間に実に98%の市町村が消滅したことになる。でもまぁ、市町村の合併=「地名の消滅」とは言えない。本書で取り上げているように行政地名として失われても、市町村内の字名で残っているところがある。しかしそういった合併促進によって失われた地名を今尾氏は本書が取り上げた訳だ。それはきっと今尾氏が、今回行われた政府による平成の大合併による地名の消滅を誰よりも危惧したからに他ならない。
地名の消滅は合併だけではない。
地域の区画整理や細かく名付けられた地名や名称が長いところなどが、行政上の整理された例だ。
何丁目といった大区分に再編成される中で失われた多くの時代性を物語る地名の数々。例えば東京23区内には、広大な「**何丁目」だらけだ。一部新宿区の旧四谷区や旧牛込区地域(※1)、そして千代田区の神田周辺(※2)に江戸時代からの地名が残されているが(※)、それ以外の地域はまさに無味乾燥の一語に尽きる。また本書では神戸の旧葺合区と旧生田区が合併して中央区になってしまったことなどを例に挙げて強く嘆いている。
またこの本は地名の成り立ちにも詳しい。
元号や時代の流れに沿った縁起を担ぐ「瑞祥地名」、域内にある著名な観光地名を冠した「観光地名」、合併した各市町村の一字などを持ち寄った「合成地名」など、明治以降に成立した市町村名をいくつも例を挙げて詳しく書かれており、ボクも初めて知る地名の由来が多かった。
なお、この本の欠点をひとつだけ示すとすれば、地図の掲載が少ないことだ。
モノクロの紙に文章と地図を刷りこむのは印刷上難しく、かつ地図の印刷は本の制作上コストアップにつながることで、本書では地図よりも紹介市町村数を優先したのだろう。
日本の失われた地名をこれほど記述し、一冊の本に吸うことがどれほど大変な作業だったかは、地図好きには痛い程伝わってくる。そもそもこの本は数冊に分冊して発行しても良いくらいの内容であり、特に「平成の大合併」のどさくさで失われた地名の多さといい加減さは酷いものだったから、文化と歴史と言う意味で、もっと丁寧な記録が残されていいように感じるのだ。
地図の掲載が少ないことよりも、この本が出来たことの方を地図好きは讃えるとしよう。
最後に、この本では扱われていない地名だが、我が故郷・三河にはかつて「碧海郡(へっかいぐん)」という郡があった。
三河は西三河と東三河に分けられるが、概ね岡崎より西側が西三河と呼ばれ、旧郡では、南側から幡豆郡、額田郡、碧海郡、加茂郡(明治時代に東西に分割)があった。
そのうち碧海郡は、現在の愛知県の中央部を流れる境川と矢作川で囲まれる地域だ。1891年(明治24年)に3町62村を数えたが、その後碧南市、刈谷市、西尾市、安城市などが成立し、北部は豊田市、東部は岡崎市に合併するなどして、郡離脱が続き、1970年(昭和45年)に高浜、知立良両市が成立して碧海郡は消滅した。
そして、現在郡内には「碧海」の文字を冠した地名はなく、域内にくまなく支店網を拡げる「碧海信用金庫」と、名鉄西尾線に一「碧海古井駅」に名が残るのみである(JRの高山本線に古井-こび-駅がある関係で改名を免れているのだろう)。読み方は「へっかい」とダサいのだが「碧海」はなかなかイイ名前なのだが・・・両者には頑張ってもらいたいものである。
今尾氏にはこれからもどんどん地図にまつわる本を書いていただきたいと切に思うのだ。
※1 市谷鷹匠町、市谷左内町、二十騎町、細工町など
※2 神田佐久間町、神田鍛冶町、神田紺屋町、神田北乗物町など
ボクが宮城谷昌光氏の本を読むようになったのは、ビックコミック誌上で連載されていた「墨攻」を読んだことで(※1)、中国古代史に興味が湧いたことがきっかけだ。それまで中国への興味と言えば中国共産党の長征や文革の混乱、そして漢字の成り立ちくらいのかなり寂しいものだった。
その原作である酒見賢一氏の小説「墨攻」を読み(※2)、墨子への興味から古代中国の春秋戦国時代の歴史を取材した文学として、宮城谷氏の本を読むことになったのだった。
宮城谷氏に親しむきっかけはまだあった。
最初に読んだ長編が「晏子」だったことと、その後読んだのが作品が「海辺の小さな町」だったことだ。
「晏子」では斉の国を救う晏子親子の清廉な姿勢が感銘を受けたし、「海辺の小さな町」の舞台が豊橋で、街は違うけれど氏がボクと同じ三河の出身だったことを知りより親近感を得たのだった。
その後、「侠骨記」「沈黙の王」「春秋の色」「花の歳月」「玉人」など、比較的短編を読み続け、「子産」で中編に入り長編「孟嘗君」に至ったのは2006年の夏だった。
しかしながら、その後ボクは宮城谷作品から遠ざかり、部屋には氏の作品が積まれ続け、2011年の今年、5年ぶりに「他者が他者であること」を手に取ったのだった。
氏の作品を読まなかったこの5年の間、ボクには様々なことが起こった。
数年間所属したある外資系医療機器メーカーを退職し、ドイツ・チェコなどを約3週間旅行した後入社した会社を半年で辞めることになった。その失業中にリーマン&トヨタショックを起こり、不況下11ヵ月に及ぶ失業生活を送った後に、現在の会社に入って2年半が経過した。
ボクはこの不安定な時期に宮城谷作品を読むことが出来なかった。
この間、ボクは藤沢周平を知り、ブライアン・フリーマントルなどをよく読んだにも関わらず、宮城谷作品を手に取ることはなかった。読まなかった理由には、ひとつは宮城谷作品に長編が多いことと、宮城谷氏が現役の売れっ子作家であることなのではないか、と思っている。
しかし、それ以外に何か理由があるのかもしれないが、今回「他者が他者であること」を手にしたのは、ボクの中で何らかの変化があったのかもしれない。
この本は宮城谷氏の'90年から'07年の18年に間に様々なメディアに載せたエッセイ集である。
大きな構成は以下の通り。
Ⅰ.湖北だより
Ⅱ.中国古代の構図
Ⅲ.カメラ
Ⅳ.他者が他者であること
まずⅠ.湖北だよりは、'90年代後半の4年間に東海地方のブロック紙である中日新聞に寄稿したもの。
ボクはこの本で氏が三河の地を離れ、遠州・浜名湖近くに移り住んだことを初めて知った。引っ越し先の話や出身の愛知県と移り住んだ静岡県の人間比較をしていたりする。
このエッセイは半年毎の仕事だったらしく、連載小説の多い氏の良い気休めになったのではないだろうか。
また彦根藩主家の井伊家が遠州の出であることを初めて知り、日本の戦国時代の面白さも感じることが出来、氏がいつか井伊家の物語も書くのではないかと勘繰っている(ボクは宮城谷氏に忠臣蔵の悪者・吉良氏の物語を是非会でもらいたいと思っている)。
Ⅱ.中国古代の構図は、'91年から'06年までの間に新聞などで発表した中国古代史の書物や登場人物について語ったもの。氏の最も得意とする分野であり、その造詣の深さに改めて感心した。ボクは墨子と同様、漫画から興味を持つことが多いが、雑誌モーニングで連載されていた「蒼天航路(※3)」の主人公・曹操などへの言及にも興味を持った。
そしてⅢ.カメラである。
正直言ってボクはこの本を読むまで、宮城谷氏がカメラにこれほどまでに造詣が深いとは全く知らなかった。これはカメラ専門紙「日本カメラ」の'92年の1年間にわたって連載したもので、読者もカメラ趣味の方々で、その内容はかなり専門的に思えた。
ボクは写真は撮るけれど、比較的簡単なデジタルカメラかスマートフォンで撮影するくらいの素人なので、内容はちんぷんかんぷん。
ボクはこの章で、氏が世に出る前の'80年代の三河に住んでいた頃にカメラに熱中していたことを知り、決して不遇の時代ではなく、中国古代史資料の勉強の傍ら、カメラに凝っていたことに改めて驚いたのだった。
そして最後がこの本のタイトルにもなった「Ⅳ.他者が他者であること」。
この章は、司馬遼太郎や藤沢周平、立原正秋、白川静ら、氏が影響をうけたであろう作家や研究者について、主に作品を中心に語っている。ボクは司馬氏の作品はその余りの人気ぶりに、未だ手をつけていないだが、藤沢周平と立原正秋についてはボクも数多くの作品を読み親しんできた作家なので、大変興味深く読んだ。
また、宮城谷氏が司馬氏の没後に編まれたムック本に寄稿した「三河武士、そしてその創作者たる家康像」は特に関心をもって読んだ。
本書「他者が他者であること」を読んで改めて感心したことは、宮城谷氏の知性だ。
物事を深くとらえて更に研究し、自分のものとする姿勢に感銘を受けた。しかもその探求する姿勢に嫌味や誇張が感じられないことが驚きで、天才とはかくも聡明なものかと、凡才の権化である自分をしみじみ嘆いてしまった。
これを機に、ボクは宮城谷作品に戻ろうと思う。
※1.原作:酒見賢一、作画:森 秀樹、脚本:久保田千太郎による劇画作品。小学館から全11巻他が出ている。
※2.新潮社文庫。漫画よりも物語が短い。
※3.原作:李學仁、作画:王欣太によるの劇画作品。講談社から全36巻他が出ている。
外国好きのボクには、行きたい街はまだまだたくさんあるけれど、ロシアで一番行きたい街と云えば、実はレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)。
これは長い間の憧れでもあった。
もちろんモスクワやゴーリキー(現ニジニ・ノヴゴロド)、イルクーツク、コムソモリスク・ナ・アムーレなどにも行きたいけれど、まず今最も行きたいのはピーテル(サンクトペテルブルクの愛称らしい)だ(※)。
ピーテルはソビエト時代に革命の父・レーニンにちなんでレニングラードと呼ばれたが、政変後旧名のサンクトペテルブルクに戻された。しかし、'60年代生まれのボクには今でもこの街は「レニングラード」なのだ。
ボクはあまのじゃくな性格からか、一番ってのが嫌い。
日本では東京(住んでるくせに)や富士山(最近けっこう好き)、都銀時代の第一勧業銀行(今でもこの系列の銀行のカードは持っていない)、長期政権時代の自民党や9連覇時代のジャイアンツが大嫌いだった。
だからか、ロシアでは首都モスクワに対する都市としてレニングラードが好きなのだ(ちなみに街の名前は革命前に戻ったけれど、ピーテルを取り囲む州の名はそのままレニングラード州ってのも面白い)。
なぜボクがピーテルに憧れているかと云えば、それはもうトラム(路面電車)である。この街はかつて世界最大のトラムの路線網を誇った聖地だったのである。
ソビエト連邦からロシア連邦に移行した'91年当時の路線距離は実に340キロ(ある情報によると総延長距離は700キロというのもある)。しかし、その後断続的に廃止が進み、現在は200キロ程度になったらしい。200キロあればかなりの距離だが元々が長く、また廃止が急速なので、今後が不安だ。元気に走っているうちに乗りに行きたいものだ。
さて「サンクトペテルブルク探訪」である。
この本は'93年に発行されたもので、70年以上続いたソビエト時代を経て間もない時期を取材しており、ロシアの混乱期を活写している。
草の根出版会の「母と子でみるシリーズ」はどれも写真が多く取り上げていて大変わかりやすいが、この本も“資本主義に戸惑うピーテル”の表情を良く伝えていると思う。
全体の構成は以下の通り。
・ふたたびサンクトペテルブルクへ
・運河のある町
・ネフスキー大通り
・「罪と罰」の舞台
・シベリア・イルクーツクにて
・映画の世界
・ロシアの若者たち
書名は「サンクトペテルブルク探訪」だけれど、後半はピーテルから話が離れる。しかし、それはそれほど意外でもない。
読み進むとこの本が突然資本主義の荒波に放り出された'93年当時のロシアを、大都市であり一大観光地であるピーテルから描き出し、ピーテルの街を出て拡がって行く。
写真が生きているので、各章が生き生きして見える。
この本では、ネヴァ河河口の三角州に強引に街を建設したピョートル大帝、啓蒙専制君主エカチェリーナ二世の都として、ロシア革命の中心地として、そしてドストエフスキー作品のメイン舞台としての、歴史的なピーテルを描きながら、着飾っていない住民たちの本音が顔に見てとれる。
ピーテルはロシアきっての一大観光地だ。ピーテルに並ぶ観光都市は多分ない。
代表的なものを挙げても、“青銅の騎士”ピョートル大帝が“ヨーロッパの窓口”として建設した人工都市であり、エルミタージュとロシアの二大美術館、教会では聖イサク、血の救世主の各教会やカザン聖堂やアレクサンドル・ネフスキー大修道院など。またペドロパブロフスク要塞、クンストカメラ、エカテリーナ宮殿などなど建築物を挙げたらきりがない。いかに旧ロマノフ王朝がピーテルを巨大な建造物で溢れさせたかがわかる建造物群、そして巡洋艦オーロラ(アヴローラ)号・・・見ものは限りない。
さらに文学でもピーテルを好んで作品の舞台にしたドストエフスキーがこの本でも紹介されている。
残念ながらこの本ではピーテルの都市交通についての情報は盛り込まれていない。
多分この本が書かれた頃に、トラム(ロシアではトランバイ)の路線廃止が始まる頃だったと思われる。
しかし、観光ガイドにはない、素顔のピーテルを描いた本として、読んでよかった本の一冊である。
さて、ボクはいつピーテルに行くことになるだろうか?
※ ロシアには、'04年の9月に極東地域のウラジオストクとハバロフスクを訪れている。