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2012年4月24日 (火)

役立つなぁ Google ホリデーロゴ '120424

会社に来て最初にすること。 オフィスの窓を開けて、社員のゴミ箱のゴミを集める。新...

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2012年4月15日 (日)

映画録 レディ・エージェント 第三帝国を滅ぼした女たち/FMALE AGENTS '120414

少し前のこと、深夜のケーブルTVで観た映画。 第二次世界大戦の欧州戦線、ナチスに...

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2012年3月25日 (日)

タレント考 呆れた企業モラル キムタクスピード違反事件 '120324

「社会人として恥ずかしいことをしたとして深く反省し、今後2度とこのようなことがな...

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2012年3月23日 (金)

ふと思う疑問 これこそ懲戒!習志野署サボタージュ事件 '120323

習志野署の署長が、捜査よりも慰安旅行を優先した警察官たちに旅行の許可を与えたこと...

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2012年3月11日 (日)

戦争考 19450310東京空襲 '120311

昨日、フェイスブックに載った友人のコメント。 「今日は、東京大空襲があった日。今...

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2012年3月 5日 (月)

ふと思う疑問 近頃肩身の狭いヒト “占い師” '120305

ここんところ肩身が狭いヒトは・・・たぶん占い師だろうなぁ。 そもそも占いやってる...

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2012年2月26日 (日)

音楽録 吉田拓郎「おきざりにした悲しみは」 '120226

「生きてゆくのは あぁ みっともないさ」で始まるこの曲を、初めて聞いた時に「なん...

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2012年2月 7日 (火)

読書録 藤沢周平「時雨みち」 '120207

久しぶりに藤沢周平作品を読んでみた。「時雨みち」である。
もう初期の作品群は長編を除いてあらかた読み終わっていると思っていたのに、ふと映画化もされた「山桜」を読んでいただろうかと気になり、どの本に入っていたっけ?と探していたら、「時雨みち」一冊丸ごと読んでいないことが分かったのだった。
「時雨みち」よりも前の作品「時雨のあと」と間違えていたらしい。まだ読んでいない短編集があって何だかうれしくなった。

多くの評論家が、「用心棒日月抄」シリーズ辺りから、作品全体を覆う“暗さ”が薄まり始め、「獄医・立花登」シリーズ(未読)執筆時には特に明るくなったと藤沢作品を年譜を解説している。
この「時雨みち」に収められたのは、まさに上記の二シリーズ執筆の間に著した作品群である。

この本の解説をしている岡庭昇氏(高名な評論家らしいがボクはよく知らない)が、この本(文春文庫)で興味深い発言をしている。

『この短編集でいえば、私は「滴る汗」や「幼い声」や「亭主の仲間」や「時雨みち」が好きだ。この世のやるせなさと、人の生のいいかえもとりかえりもきかない実存性が、そこにはたっぷりつまっているからである。』

これはボクの「好みの選択」と大きく異なるもので驚いた。
ボクは、「滴る汗」でハラハラし、「幼い声」でがっかりし、「亭主の仲間」では読み進むことを止めようかとさえ思ったのだ。そして「時雨みち」はまさに人生の後悔を描いた、秀作ではあるが心晴れない読後感に浸ってしまうものだった。
これらはまさに、藤沢氏の初期の作品群を覆うどうしようもない“暗さ”を残した作品群と思われ、どちのらかと言えば読まない方がよかったと思える作品だった。要するにボクは嫌な(愚かな)人間を見たくないだけなのだ。

しかし「この世のやるせなさ、人の世の取り返しのつかないわびしさ」を見事に描いたという指摘は岡庭氏と全く同じ見解。ただそれを岡庭氏は評論家の目(興味)で語り、小心読者のボクは自分のことのように感じながらオロオロと読んだのだ。

この短編集には、“浅さ”や“軽さ”ともいうべき、他人への思いやりを欠けた人間のどうしようもない愚かさや、他人への期待の空振りの寂寥感が迫る作品がある。
冒頭の「帰還せず」は公儀探索人の同僚への同情の寂しさ、「飛べ、佐五郎」の残念な男と世話した女の哀しさ、「盗み喰い」の取り返しのつかない情けなさ、「おばさん」のわかっていたはずなのにという後悔・・・これらもまさしく読んでいてため息の出るような寂しさ、わびしさを感じる作品だった。
ボクのような小心で愚かな者は、この人生に躓いた主人公たちと同化してしまい、読みながら心がさ迷うのだ。

だからか、「山桜」の失敗を重ねた女・野江にようやく訪れた本当の出会いにホッとし、「夜の道」での幼い頃の記憶が戻った主人公・おすぎに「早く行っておいで」と叫びたくなり、「おさんが呼ぶ」のおさんに訪れた希望にしみじみと共感するのだ。

藤沢作品を読む度に、心が膨らんで来るように感じる。微さやかな幸せ、とはこんなものではないだろうか。

この「時雨みち」の諸作品を藤沢周平氏が書かれたのは'79年から'81年にかけてとのこと。ちょうどボクの高校時代で、理系のボクは日本史を選択しなかった。
藤沢氏の存命の時期に、ボクは氏の作品を読むことはなかった。他の本によると氏とボクの住居は自転車でもそれほどかからない距離である。
愚かな中年が近所にいて、せっせと作品を読んでいることを、藤沢氏に天上から笑ってみてくれていたらうれしいと思うのだった。

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2012年2月 5日 (日)

読書録 小野田襄二「革命的左翼という擬制 1958~1975」 '120205

この本を読むまで、ボクは著者・小野田襄二氏を知らなかった。
それもそうだ。小野田氏が中核派を離脱したのが1975年であり、その頃ボクはまだ中学生だった。

そして新左翼系の活動家だったヒトの回顧録を読むのは、中野正夫氏の「ゲバルト時代 Since1967~1973 あるヘタレ過激派活動家の青春」を読んで以来だ。

赤軍派の兵士だった中野氏は闘争から離脱してほぼ35年後に回顧録にしたが、中核派幹部だった小野田氏は28年後にこの本を著している。
中野氏の離脱が政治闘争そのものからの離脱と感じたが、小野田氏のそれは所属セクトからの離脱で、政治活動にはその後も何らか関係したと思われる点で、「回顧録」の質が違うような気がした。

ボクが新左翼運動を知ったのは、大学に入学して演劇研究部に参加し始めた頃から(だがらと言ってボクの在籍した大学が学生運動が盛んであったわけでもなく、劇研に活動家がいたわけではない)。
別のブログにも書いたことがあるが、ボクが大学に入った'82年頃には、学内では目立った政治活動の雰囲気はなく、自治会を日共系の民青が執り、毎日“明るい政治”を語っていたくらい。ただ農学部だったためか、三里塚の農民支援の為の援農バスが時たま出ていたり、学生会館の壁には韓国の光州事件への共闘メッセージが朱色のゲバ文字で踊っていたし、校舎の通路には新左翼系セクトの縦長の集会ビラが糊で貼られ、それを誰か(たぶん、学校当局か民青)が派がしたあとの紙切れが風に揺れていたりした。
また表だった動きはしていなかったが、部落解放同盟系のサークルや、第4インター系の学生が何人かいるサークルもあり、たしか「世界革命」という新聞が学内でも買えた。
TVの女子大生ブームの浮かれた、一見政治なんか無関心な空気の中にも、世の中を語る学生たちは静かに集まってもいた。

で、その頃の中核派と言えば、ボクのいたサークルにもたまに情宣に訪れるくらいで、少し遠い存在で、いったいどんな人なのかは全くわからなかった。
それでも、清水丈夫、北小路敏、陶山健一らの名が知られており、当時中核派は、法政、横浜国大などが拠点として知られ、実際法大に芝居のポスターを貼りに行った時などは学館内に椅子や机で作られたバリケードで口が堅自治会室の入口をみて、驚いたものだった。

さて、ボクの新左翼運動への印象は、多くの同年代人と同じようなものだった。
それは’70年代初頭のあさま山荘事件とその後に発覚した山岳ベース総括事件を引き起こした連合軍事件であり、大企業をテロ攻撃した東アジア反日武装戦線が起こした連続企業爆破事件、そして新左翼諸党派が繰り広げた内ゲバ事件などの影響から、単に「殺し合い、破壊する人々」とうイメージだった。

だから大学に進学した後も、学生運動や新左翼運動は、学内に燻ぶってはいたけれども、自らが参加するほどの身近さはなかった。というよりも'70年安保時代よりも十数年経っており、細かなセクトに分立しており、理解しようがなかったというのが現実だった。

しかしながら数々ある(った)新左翼諸党派の中でも、特に気になっていたのは中核派の動きだった。
中核派は革マル派との内ゲバといい、三里塚闘争での北原派への肩入れと言い、何かと目立っており、「行動する中核派」というイメージが強かった。
革マル派はかつての東大安田講堂からの直前逃亡や三里塚闘争からの排除など、「行動しない党派」であったことから何となく“密室”的なイメージがあったのとは対照的だった。

その中核派の元幹部が書いた回顧録とは?とかなりの興味津々な気持ちで読み始めたのがこの本「革命的左翼という擬制 1958~1975」である。

結論から言えば、読みやすかったがイマイチよくわからなかった、というのが本音。そう思ったのは何故か?

それは、全体を覆うイメージが「このヒト、ほんとに中核派?」ということ。
革共同成立から中核・革マル両派の分裂、'70年安保、そして内ゲバへと続く時代に、中核派の最高幹部の一人だったヒトの本とは思えないほどの闘争外記述の多さに何となく「?」が連続した。

特に革マル派に殺害された中核派のトップであった本多延氏や現トップの清水丈夫氏への非難はかなり厳しいもので、逆に革マル派を率いた黒田寛一や松崎明両氏(共に故人)についての記述はシンパシーに近いものすら感じた。
これは近親憎悪のようなものだろうか。
この本では両派の理論の違いを深く語っているようには感じられず(というよりそもそもそれほど違いはないような気がする)、どちらかと各指導者たちの性格や嗜好を語っているように感じられた。

この本を読んでのボクの収穫は、まず各派の指導者が'70年安保の全共闘時代にすでに30歳に達していた“おっさん”であった事実を確認したこと。
また当時から学生運動と政党活動が分離されて考えられていたことが明らかになったことだ。世間では全共闘=新左翼みたいに思われていたように感じるが、やはり組織としてはそう考えていなかったということなのだろう。
まぁもともと日本共産党から分離した人々が多い(著者は違うようだが)ことから、政治活動と学生運動を別建てにして考えていたのだろう。
これは正しいことだと思うし、親の庇護下にある学生の行動と、生活の糧を得るために働く労働者とは、そもそもその基盤が違いすぎる。働いているヒトから見れば、学生が何を叫ぼうと「働いて稼いでから言えよ」と言われてしまいかねない。
この考えは、革マル派が闘争に走らず「組織重視」と言われたことや、国鉄分割民営化の際に動労が闘わず体制側にすり寄ったのも、組織温存=雇用確保、という結果論が腑に落ちた。

ただこの本では、あれだけ吹き荒れた内ゲバの嵐が、なぜ起こったのかを説明しきれていないし、本多延氏までもが虐殺されなければいけなかったのか?が分からない。
ボクの学生時代の感覚では、革マル派のイメージがかなり悪く、街頭闘争にも出ないのに中核派や革労協へのテロはせっせと行い、ひたすら黒田様信奉に励む、なんだかよくわかんない秘密主義宗教団体のように感じていた。
特にその後の国鉄分割民営化時に国労の職員が採用排除される中、動労は優先採用されるなど、裏切りにしか感じられず、革マル派=反革命という感じに思われていた。

この本を読んで感じたことは、あの新左翼諸党派の源流はほんの一握りのひとたちであり、その後成立したさまざまな諸党派は、路線上の対立というよりも、その指導者層の性格など個人的な嗜好(思考ではなく)や感情に左右されていたのだなぁという点で、ひたすら哀しい。

ボクはなぜ新左翼諸党派があんな陰惨な内ゲバやテロに走ったのかを知りたいと永年思って来た。
中野正夫氏の「ゲバルト時代」を読んでも感じたが、本当に「革命ごっこ」をしていたに過ぎないように感じてしまうことがある。でもそれでは悲しすぎる。殺されたヒトや後遺症を残したヒトが数多くいるし、その家族や周辺の人々も、それでは浮かばれないだろう。

ボクは日本の左翼運動(=進歩的民主主義と呼びたい)がかくも停滞している原因の一つに、'70当時の内ゲバやテロが大きいと思っている。これを克服せずには、新しい展望は開けないと、ずっと思ってきた。

ボクは実際内ゲバや分派闘争に関係した人々に、その当時の心境や状況を語ってほしい。
多くの関係者が老境を迎えた今、日本を良くしよう、と少しでも思って活動したヒトたちの声を聞いてみたいと思おう。

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2012年1月26日 (木)

ふと思う疑問 イマイチ?なコトバ [絆] '120126

「絆(きずな)」という言葉・漢字が人気らしい。 この言葉を使った様々なイベントが...

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